カイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんの軌跡

アニメカイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんに興味を持って調べてみたら、膨大な量の担当作があることがわかりましたので、出来る限り同氏担当作を追跡しています。discordアカウントは、まきも#3872 です。

ルパン三世2nd132話脚本:己を貫く主人公達

ルパン三世2ndは、アニメ版ルパン三世の第2シリーズ。ルパンのジャケットが赤いのが目印。今回の演出コンテは三家本泰美氏(コンテの“石原泰三”は三家本氏の変名)。

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今回の話は、モンキー・パンチ先生の原作漫画「変装防止」をアニメ化したものだが、内容の追加や変更が多々ある。
原作漫画は各エピソードがかなり短く、アニメにするには、色々な工夫をして尺を埋める必要があるため、そこが脚本や演出の腕の見せ所となっている。

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舞台はネパール。大事なコレクションであるナポレオン紙幣を盗まれたルパンは、実行犯とみられる男・アッシーを締め上げる。
そこへ不二子が現れ、アッシーの帽子を拾って彼の頭に被せ直すが、あしたのジョー1の高屋敷氏脚本疑惑回にて、段平が丈の頭に帽子を被せ直すシーンがあり、かつまた、1980年版鉄腕アトムの高屋敷氏脚本回にて、子供の頭に帽子を被せ直すシーンがある。

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これはジョー1の脚本疑惑について、気になる要素である。いずれにせよ、あしたのジョー1の帽子のくだりは、何らかの理由で高屋敷氏にとって印象深いシーンだった事は確か。

不二子によると、アッシーの背後にあるのは、ヒマラヤにあるインチキ宗教団体・ファンダーという組織らしい。

ファンダー教は、世界中から金品を盗んだファンダー(教祖)の部下が、教徒のふりをして盗品を教祖に捧げ、信者達の前で、奇跡に見せかけて姿を消すシステムを作りあげていた。つまりは、泥棒達の逃亡先の確保や証拠隠滅のシステムとして機能している。

こういった、インチキオカルトは高屋敷氏の作品によく出てきて、強調される。インチキオカルトや、偽の神に対する怒りのようなものも感じられるが、手口の巧妙さも描かれる。画像は歴代インチキオカルト師。今回、元祖バカボン演出、チエちゃん奮戦記・花田少年史脚本。

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不二子からの情報を得て、早速ルパンはファンダー教総本山に赴く。そこには銭形も来ており一悶着あるが、ルパンはうまく逃げおおせる。

次にルパンは、拘束していたファンダーの部下・アッシーを、盗聴機を付けた上で彼等のアジトにて開放する。

だがファンダーは、ドジを踏んだとしてアッシーを射殺、盗聴機を破壊する。ルパンは、ファンダーが冷酷かつ食わせ者であることを実感するのだった。

そこでルパンはファンダーの部下に変装し、ファンダーの儀式に参加。

儀式は、金品を教祖に捧げた後、服を脱いだ信徒(部下)がファンダーのマントに包まれると消えるというもの。当然これにはギミックがあり、教祖がスイッチを踏むと、信徒(部下)が落とし穴に落ちる仕組みになっている。
このような凝ったギミックは高屋敷氏の作品ではクローズアップされる。チエちゃん奮戦記脚本と比較。こちらもインチキオカルト師によるイカサマギミック。

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カイジにおいても、帝愛などが使うイカサマギミックの描写に力を入れている。帝愛も、女神像の強調や、会長と黒服の関係の禍々しい関係や、説教など、インチキオカルト的な表現が成されている。

ギミックによって地下に降りたルパンは、変装を溶かす機械により、変装を解かれてしまう。それでもなんとか機転を効かせて隠れるも、監視カメラの映像記録により、ファンダーと、その女部下・ルチアの知るところとなる。

ルパンは結局、裸のまま捕まってしまう。
ファンダーは、頭の切れるルパンを気に入り、部下にならないかと持ちかけるが、ルパンはその誘いを一蹴。
するとファンダーは、ルパンが自分の誘いを受け入れるまで、3つのうち1つが毒入りというリンゴを次々とルパンに食べさせるという戦法を取る。負けたら死ぬデスゲームは、カイジ(脚本・シリーズ構成)でもおなじみ。

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結局、最後の1個が毒入りだったのだが、ルパンは最後まで誘いを断る。このあたり、高屋敷氏が、あらゆる作品でよく出すメッセージ、「己を強く保て」が出ている。

頑ななルパンをもて余したファンダーは、最後の1個である毒入りリンゴをルパンの口に突っ込む。だが、胃に仕込んだトリックでルパンは生還、形勢を逆転させる。全裸でのピンチからの逆転は、カイジ脚本でも多いに強調された。

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古くは、ど根性ガエル演出にて、銭湯を舞台にした決闘があり、こちらも、ひろし(主人公)のピンチからの形勢逆転が描かれている。

ちなみに毒リンゴ関連のくだりはアニメのオリジナルで、いかに高屋敷氏が博打やトリック要素が好きかが窺い知れる。

ここで、地下へ続くルートを発見した次元と五右衛門もルパンと合流。ルパンは、五右衛門に協力してもらい、ファンダーの部下が集めた金品を貯えた、偽の神像を燃やす。ファンダーは慌てるが、それは防火布を使ったフェイクだった。

ルパンは、ファンダーの怒った顔が見たかっただけだと言い、自分のお宝であるナポレオン紙幣を取り戻す。

ファンダーは一旦敗北を認めるも、体に巻いたダイナマイトを見せ、自爆する覚悟があると脅す。ルパン達は逆にピンチになるが、銭形(同じく地下の存在に気付いた)がルパンを燻り出そうと地下に煙を送り込んでいるのに便乗して、窮地を脱する。

そして、五右衛門は神像の首を斬る。ここも「偽の神」に対する、高屋敷氏の怒りのようなものが感じられる。しかも、この描写はオリジナル。カイジ脚本でも、首の無い女神像(サモトラケのニケ像のレプリカ)が強く描写された。

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神像を壊されたはずみでファンダーはダメージを受けるが、彼は逃げずに、お宝と共に安らかな顔で自爆する。

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敵にもシンパシーを感じるようにさせるのも、高屋敷氏がよく振るう手腕。最終的に、善悪の区別を難しくさせるのが同氏の大きな特徴。

ファンダーの自爆から逃げ延びたルパン達は、ファンダーを「欲深い神様だ」と評する。ここも、「偽の神」に対する批判が見て取れる。

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一難去ってまた一難、今度は銭形がルパンを捕まえに迫ってくる。不二子がヘリでルパン達を迎えに来てくれるが、ナポレオン紙幣は取り戻したものの、ファンダーの貯えていたお宝を取れなかった罰として、不二子はしばしルパン達を放置。ルパン達は、銭形とのマラソンを強いられるのだった。

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  • まとめ

「インチキオカルトと、偽の神への怒り」が、今回も描写されている。特に今回は、オリジナル部分が大分多いので尚更目立つ。
特に神像の首を斬るのはアニメのオリジナル展開であり、こだわりが感じられる。

また、敵であるファンダーにも、ねじまがってはいるが強い意志がある事が描かれる。特に、自爆をするのはオリジナルであり、特徴が強く出ている。

そして、所々銭形が活躍するのもオリジナル。ルパン三世における、他の高屋敷氏の演出や脚本回もだが、銭形はそんなに間抜けには描かれていない。ルパンが逃げるのが上手いだけで、いつもいい線には行っている。これも、善・悪や敵・味方の区別をグレーにする、高屋敷氏の特徴が出ている。

あと、ルパンとナポレオン紙幣(コレクションの具体的描写は、アニメオリジナル)の要素の強調は、ルパンが金よりも自分のコレクションにこだわる男だという、高屋敷氏が押したいルパン像が感じられる。これは、43話脚本(毛利蘭名義)でも強調されており、不二子が「ルパンは自分のコレクションを売らない」と言っている。43話はオリジナルエピソードなので、より明らかに、同氏の考えるルパン像が出ている。

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それに付け加えて、ルパンがファンダーの誘いを、自分はアルセーヌ・ルパンの孫だと言って、命を賭けて断る所の強調に、「自分とは何か」「自分を強く保て」という高屋敷氏のテーマが色濃く出ている。ルパンの「俺はアルセーヌ・ルパンの孫だぜ」という台詞はオリジナルであり、高屋敷氏のメッセージが、より強く出ている。

これを踏まえると、高屋敷氏の考えるルパンとは、「自分を強く持ち、自分の主義を貫く男」となる。

これは、ワンナウツ(シリーズ構成・脚本)の渡久地や、カイジにも言えることで、彼等も自分の主義を貫く男であることが強調されている。渡久地の場合は、最初から最後まで「勝負」の厳正さにこだわる男、カイジの場合は、どんな事があっても義理を捨てない男、という姿を前面に出している。

「自分」を強く保つということは、よくよく考えれば非常に難しい事である。現に序盤のカイジは、赤の他人である船井に流され、手痛いミスを犯してしまう。

そんな彼が、覚醒や成長で、自分を強く保つようになる。カイジは、ダメな時は普通かそれ以下のメンタルの持ち主だが、とんでもない経験をするうちに強くなっていく。

つまり、アニメ版カイジにおける、高屋敷氏の構成は、「カイジが自分を強く保つ男になるまで」という側面もあるのではないだろうか。

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今回のルパン含め、アカギ、カイジ、渡久地など、高屋敷氏の押し出す主人公像は共通しており、いずれも自分を強く保つ事が出来ている。高屋敷氏の理想とする主人公像が見えて来た回だった。

蒼天航路シリーズ構成:割りきれないもの

アニメ・蒼天航路は、同名漫画のアニメ化作品で、曹操の生涯を描く。高屋敷氏はシリーズ構成も務める。
監督は学級王ヤマザキや頭文字D4期などを監督した冨永恒雄氏。総監督は、バイファムやワタルなどのキャラクターデザインで有名な芦田豊雄氏。

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今回は、蒼天航路の「シリーズ構成」としての高屋敷氏の仕事を追う(つまり、シリーズ全体)。

蒼天航路についてのブログ記事一覧はこちら:

http://makimogpfb2.hatenablog.com/archive/category/%23%E8%92%BC%E5%A4%A9%E8%88%AA%E8%B7%AF

最終回(脚本は、ふでやすかずゆき氏)は、曹操袁紹(えんしょう)の一大決戦について描かれ、袁紹軍の将、文醜(ぶんしゅう)と曹操との戦いが描かれる。

知略と知略のぶつかり合いの末、曹操文醜軍を川に誘い込む。

そして曹操軍は堰を決壊させ、文醜軍を壊滅させる。今回は高屋敷氏の直接脚本回ではないのだが、ルパン三世3期の高屋敷氏脚本の、火山湖を決壊させるシーンが重なる。

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追い詰められた文醜に、曹操は言う。

「まるで袁紹と同じだな、文醜。お前という人間を武と智で割れば、きれいに割り切れて残るものがない。
お前達には、心の闇がない。心の闇が無い者は確かに強い。
だが、俺以上に心の闇を持ち、俺を惹きつける者だけが、俺の全てを奪うことができるのだ。お前の負けだ、文醜。」

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それを聞いた文醜は躊躇するも、曹操に斬りかかる。そんな文醜を、曹操は討つ。

曹操は、黄昏に佇み、剣を収める。

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一方、曹操に、共に政治をやらないかと言われて迷い、「心の闇」が解放された関羽(現在、劉備張飛と分かれ、曹操下にいる)は修羅と化していた。
そんな関羽に、張飛が挑む。それを劉備が止めようとするも、二人は斬り結び…

暗転、その後の彼等の活躍が文字で表される。

最後に、「破格の英雄曹操は 蒼天をー駆け抜けていく」という一文で、物語は締め括られる。

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  • シリーズ全体のまとめ

やはり私が11話についてのブログ記事で予想した通り、高屋敷氏の大きな特徴である、「善悪の区別は単純ではない」というテーマが構成の柱の一つになっている。
その証拠に、最終回のクライマックスにて曹操が「割りきれない心の闇」について語るシーンが大きく強調されている。

三国志の乱世においては、善悪の区別などつけてはいられない。そして、それぞれに大義があり、生きざまがある。また、複雑に人間模様や心理が絡み合う。
そんな世界を駆ける英傑達は、「割りきれないもの」を抱えていると言える。

あと、高屋敷氏の作品に頻出するテーマ、「自分とは何か」も、やはり浮き彫りになっている。曹操は、自分には単純に割りきることのできない「心の闇」があると自覚しており、それを受け入れている。また、それを上回る闇を持つ人間でなければ、自分から全てを奪うことができないと言う。
これは、曹操が「己を強く保つ」ことができる人間であるから出る言葉であろう。
「己を強く保て」というメッセージも、高屋敷氏は多くの作品で発している。

さらに、「自分の生き方は自分で決めろ」という、これまた高屋敷氏がよく出すメッセージも発せられている。蒼天航路は、自分の生き方を自分で決めることができる、強いキャラクターが多い。かつまた、高屋敷氏はそれをシリーズを通して強調してきた。

あと、以前も書いたが、男が将に、将が「龍」になるまでの「成長」も、シリーズを通して描かれたと思う。

高屋敷氏脚本の、まんが世界昔ばなし「きつねのさいばん」では、「義憤だけでは天下を取ることができない」、「天下を取るには、狡猾さや知略も必要」であると発している。

この物語の「きつね」は残虐なことも平気で行うが、知略に長け、周囲を丸め込む狡猾さを持っており、天下を取る。
一方、義を持ち、直情的な「おおかみ」は正々堂々、きつねに対決を挑むが、きつねの知略の前に敗れ、大怪我を負ってしまう。
こうして、きつねの天下になるわけであるが、ナレーションは「本当にこれでいいの?」と視聴者に問いかける。
上記を踏まえると、残虐で知略に長けるきつねが曹操、おおかみが「武と智で割り切ることができる」文醜、果ては文醜と同じタイプの人間である袁紹に見えて来るから面白い。

この構図は高屋敷氏が同じくシリーズ構成や脚本を務めたワンナウツでも適用されており、直情的で優等生であるプロ野球選手・児島が、裏社会で賭け野球をする渡久地(主人公)達を責めるが、渡久地は「言うことはかっこいいけど勝負を舐めてる」と言い返し、児島を負かしている(その後、リターンマッチで児島が勝つが)。

このように、過去作品にて出たテーマや要素が姿・形を変え新しい作品に、原作つきであろうとオリジナルであろうと受け継がれていくさまが、高屋敷氏の作品を追う上で非常に興味深く、かつまた戦慄を覚える点である。

脚本や演出内に高屋敷氏の特徴を見つけるのも面白いが、シリーズ構成ともなれば、同氏の発するテーマがシリーズ全体にのしかかっている。

めぞん一刻の最終シリーズ構成が、最終的に高屋敷氏の特徴まみれになっていることにも度肝を抜かれたが(こちらを参照)、未完だと思っていたアニメ版蒼天航路が、きっちりと高屋敷氏のテーマを大放出した上で終わっていることにも、大いに驚かされた。

そして、「シリーズ構成」としての高屋敷氏の計算力の高さに、脱帽するしかない。というか、恐ろしささえ感じる。アニメ版蒼天航路は、それを踏まえた上で再評価できる作品だった。

そして総監督の芦田豊雄氏が2011年に亡くなっているのが、悔やまれてならない。(総)監督やコンテ作としては、本作が遺作にあたる。それも込みで、アニメ版蒼天航路は、再評価されるべき作品であると私は思う。

  • 補足

高屋敷氏の蒼天航路シリーズ構成についての考察ツイートのまとめ:

https://twitter.com/i/moments/961459000360427520

  • まとめ2

もう少し考察してみると、曹操が言うところの、割りきることのできない「心の闇」、同じく高屋敷氏がシリーズ構成・脚本を務めたカイジやアカギでも表現されている。

アニメ版アカギのサブタイトルは「闇に舞い降りた天才」(原作は「闇に降り立った天才」)。アカギそのものが、何を考えているのか、どんな人間なのかがハッキリわからないキャラクターであり、その「割りきれない心の闇」は深く大きい。というか闇そのものである。これを踏まえると、サブタイトルに「闇」が使われていることが、かなり意味深に響いて来る。

1話にて、安岡さん(刑事だが、後にアカギのプロモーター的存在になる)はアカギの本質を暴こうとするが、最終話ではアカギの「闇」の深さに戦慄する。
アカギはアカギで、一旦鷲巣(ラストの対戦相手)の本質を暴いたと思っていたら、鷲巣の心に未知の領域があることを知り、命を賭けてでも鷲巣の本質を見るべく、対戦を続行する。原作では、その後も対戦は続く(なんと連載は約10年ほど、それに費やす)わけだが、アカギが鷲巣の本質を知ろうとした所で鷲巣戦を区切った所に、「割りきれない、人間の心の複雑さ」を描いて来た高屋敷氏の計算高さを感じる。

あと、何度か書いているが、アニメ版のアカギは「東京タワーが見守る中、一筒牌に始まり一筒牌に終わる」構成になっている。そこも、「もの言わぬものが意思を持っている」ことを描いてきた高屋敷氏らしい。

そしてカイジのシリーズ構成・脚本でも、蒼天航路と同じく、終盤にて「割りきれない心」の闇が描かれている。

Eカードにて、カイジは全身全霊をもって利根川を倒すが、後に利根川が焼き土下座の刑に処されるのを見て、涙を流す。ここの強調も「善悪の区別は単純ではない」という高屋敷氏のポリシーの表れであり、蒼天航路で言うところの「割りきれない心の闇」である。

それを踏まえると、終盤での兵藤会長とカイジのやり取りも意味深。

会長は、自分は「ギャンブルに脳を焼かれている」と吐露し、カイジが自分と同じタイプの人間であると、誘うように言う。
カイジカイジで、会長の言うように、今後ギャンブルに脳を焼かれるようになるのだが、会長とは違う「未知の領域」がある。そこが、どんな事があっても義理人情を貫こうとしたり、利を蹴ってでも人を助けようとしたりする所。2期では、それが色濃く描かれるようになる。

こういった、人間の心の複雑さは高屋敷氏のあらゆる作品で強調されているが、あしたのジョー2脚本でも、それは出ている。丈もまた、何を考えているのか常人にはわからないキャラクター。高屋敷氏が、原作からして意見が分かれる最終回の脚本を書いたのも劇的。

そこを考えると、高屋敷氏の演出・脚本で「鏡」がよく出て来る事が面白い。真実や、真の姿を映すものとして使われているが、鏡には「人にはわからないもの」が「見えている」とも取れる。カイジでも、鏡が相当に強調されている。
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ルーツは、演出参加した「エースをねらえ!」で、ヒロインのひろみが、よく鏡に映った自分に話しかけていた所あたりだろうか。

こうして振り返ってみると、高屋敷氏は永遠とも取れるテーマ、「人間の本質」について、あらゆる作品で何十年も取り組んでいると言える。

アニメ版蒼天航路を見たことで、高屋敷氏の投げかけるテーマの共通性が、また色濃くなった。繰り返しになるが、本当に、あらためて見てみてよかったと思う。