カイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんの軌跡

アニメカイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんに興味を持って調べてみたら、膨大な量の担当作があることがわかりましたので、出来る限り同氏担当作を追跡しています。discordアカウントは、まきも#3872 です。

F-エフ-2話脚本:自分で作った道を行け

アニメ・F-エフ-は、六田登氏の漫画をアニメ化した作品。破天荒だが天才的なドライビングテクニックを持つ青年・赤木軍馬が、様々なドラマを経てレーサーとなり、数々の勝負を繰り広げていく姿を描く。
監督は真下耕一氏で、高屋敷氏はシリーズ構成・全話脚本を務める。
今回は、コンテ/演出が谷田部勝義氏、脚本が高屋敷英夫氏。

───

  • 今回の話:

衆院選に出馬予定の軍馬の父・総一郎は、軍馬が邪魔だと明言。
一方軍馬は、「サーキットじゃな、お前より速い奴はゴマンといるんだぜ」という聖(プロのレーサー)の言葉が気になり、筑波サーキットを訪れる。
そこで軍馬は、小規模レーシングチームを組んでいる純子・啓太・ヒロシと出会うも、他人の車を強奪して大爆走の上クラッシュ。純子に叱咤される。
後日、赤木家から本格的に追い出されることになった軍馬は、父に手荒な旅立ちの挨拶をする…

───

本記事を含めた、当ブログにおけるF-エフ-の記事一覧:

http://makimogpfb2.hatenablog.com/archive/category/%23F-%E3%82%A8%E3%83%95-
───

開幕、高屋敷氏の特徴の1つである、月の意味深なアップ・間がある。
挙げればキリがないが、空手バカ一代演出/コンテ、あしたのジョー2・蒼天航路脚本と比較。

f:id:makimogpfb:20180526231746j:image

アメリカから帰ってきた軍馬の異母兄弟・将馬と雄馬を迎えた夕食の席でも、軍馬は隣室で食事させられる。

隣室で食事をするのはアニメでのオリジナルで、軍馬の孤立が、より目立つようになっている。高屋敷氏は多くの作品で、孤独や、孤独救済を描く。ここでは、軍馬を慕う、赤木家の使用人・ユキが、軍馬の孤独を救済している。

また、食事シーンが、より強調されている。飯テロや食いしん坊描写も、高屋敷氏の大きな特徴。
ど根性ガエル脚本、ルパン三世2nd演出/コンテ、カイジ2期脚本と比較。
この場面では、「食べ物」も孤独を癒す役割を持っている。
メンタルと食事の関連性を、高屋敷氏は多くの作品で強調している。

f:id:makimogpfb:20180526231836j:image

衆院選に出馬するため、軍馬の父・総一郎は、軍馬の存在そのものが邪魔だと明言し、軍馬の亡き母(総一郎の愛人)の事も悪く言う。
軍馬は、母の悪口は許せないとして、益々、父に反発する。
この直後、煙草を吸う総一郎の姿が、アニメでは追加されている。高屋敷氏の、煙草演出へのこだわりが感じられる。
カイジ2期・めぞん一刻脚本と比較。

f:id:makimogpfb:20180526231907j:image

心配したユキが軍馬の部屋を訪ねるが、軍馬の姿はなかった。
そこへ将馬が現れ、「軍馬が好きなのか?」とユキに尋ねる。
ユキの表情を見て、将馬は「好きなんだな…」と言う。
原作では、ユキに片思いする将馬が、ユキを犯してしまうのだが、そこをカットし、替わりに上記の台詞が追加された。これにより、将馬→ユキ→軍馬の関係が、原作より純愛気味になっている。

f:id:makimogpfb:20180526231937j:image

その頃軍馬は、いつもの如く改造トラクターで爆走していたが、転落。
夜空を見上げた軍馬は、聖の「サーキットじゃな、お前より速い奴はゴマンといるんだぜ」という言葉を思い出す。原作では、聖の言葉を思い出すのは自室。
太陽、月、星といった「天」を活躍させる、高屋敷氏の特徴が出ている。

f:id:makimogpfb:20180526232009j:image

後日、軍馬は筑波サーキットに赴き、小規模レーシングチームを組んでいる純子・啓太・ヒロシと出会う。彼等に口を挟む軍馬はうざがられ、スパナで殴られる。

気絶する軍馬だったが、啓太の「バカ」という言葉に反応。他のチームの車を強奪して啓太を追いかける。

最初は滅茶苦茶だったものの、軍馬は天賦の才で啓太をぶっちぎる。それを見た純子達は、軍馬の才能に戦慄する。

f:id:makimogpfb:20180526232216j:image

だが軍馬は、聖と、その恋人・ルイ子を見かけ、それに気を取られてクラッシュする。ここで聖が出るのは、アニメのオリジナル。聖と軍馬の縁を、より強調している。

f:id:makimogpfb:20180526232253j:image

サーキットを滅茶苦茶にした軍馬は、純子に「サイテーな男」と叱咤され、追い出されるのだった。

f:id:makimogpfb:20180526232311j:image

その後軍馬は、総一郎が勝手に、学校に退学届を出していたことを知って怒りを覚える。
軍馬はタモツ宅(主にシイタケ栽培をしている)を訪れ、その事を話す。状況や感情と、シイタケが連動しており、「物言わぬもの」に役割を与える高屋敷氏の特徴が出ている。ベルサイユのばらコンテ、めぞん一刻脚本と比較。

f:id:makimogpfb:20180526232357j:image

軍馬は、筑波サーキットで聖を見かけたことをタモツに話し(前述の通り、アニメオリジナル)、自分は家を出たらレーサーになると宣言。すると鳥が飛ぶ。
高屋敷氏の特徴である、出崎兄弟ゆずりの鳥演出が、ここでも出現。
ベルサイユのばらコンテ、太陽の使者鉄人28号カイジ脚本と比較。

f:id:makimogpfb:20180526232435j:image

軍馬は、天才的なメカニックでもあるタモツを、自分の夢に誘うも、タモツは家の手伝い(農業)や資金難を理由に、無理だと言う。ここも、落ちていくシイタケに、高屋敷氏らしさが出ている。

f:id:makimogpfb:20180526232519j:image

そこで軍馬は、家を出て行く条件として、将馬に山を1つくれとふっかけるが却下される。
軍馬が部屋に戻ると、軍馬の荷物を片付けろと命じられた、とユキが泣いていた。
「お前ともお別れだな」と軍馬が言うと、ユキが抱きつく。
原作の「最後に、もう一度抱いてください」を削ったため、ユキと軍馬の関係も、告白すらしていないような純愛に変化している。
台詞を1つ減らし、表情で語らせるだけで、こうも純愛に変化させる、脚本・演出・作画の手腕に驚き。

また、こういった純愛路線は、高屋敷氏の他の作品にも表れており、同氏の好みなのかもしれない。忍者戦士飛影めぞん一刻脚本と比較。

f:id:makimogpfb:20180526232637j:image

めぞん一刻では、原作の性的要素を削る替わりに、響子を想う五代の純粋さが強調されていた。

そして軍馬は、総一郎の後援者をもてなす宴席に、改造トラクターで突っ込む。

f:id:makimogpfb:20180527000234j:image

原作では、宴席の隣室でユキと交わり、ふすまを開けられても性交をやめずに見せつけるという展開。
当然放送できないので、アニメではこうなったが、代替案も驚きの展開。見事な改変だと思う。

軍馬は総一郎に対し、赤木軍馬という存在を忘れるなと啖呵を切る。アニメでは「よーくその目ん玉の中に焼き付けておくんだ!俺っていう人間がいることをな!」というオリジナル台詞が追加されている。

めぞん一刻脚本でも、「僕の目の中には、あなたしかいないんです」というオリジナル台詞があり、共通性が感じられる。
ルーツは、監督作忍者マン一平の、目玉を飛ばす、一平の忍術からかもしれない。

そして、軍馬のこの啖呵は、「自分とは何か」「どういう自分になるかは、自分で決めろ」という高屋敷氏のテーマと、よくマッチしている。このシーンのために全てを積み上げたような構成により、高屋敷氏の発するテーマが、色濃く表れている。

軍馬の啖呵を聞いた総一郎は、「覚えておこう」と冷静に受け止める。憎まれ役とはいえ、ここの総一郎はかっこよく描かれている。
蒼天航路脚本にて、どスケベプレイがカットされたため、曹操の血塗られた未来を予見する張譲が少しかっこよく見えるのと重なる。
高屋敷氏は、善悪のラインをはっきり引かないことが多い。

f:id:makimogpfb:20180526232832j:image

ここからの展開は、完全なるオリジナル。
軍馬は改造トラクターを駆って去り、ユキがそれを追いかける。ユキの姿に気付いた軍馬は、少し下を向いた後、色々な想いを断ち切るように、前を向いてユキを抜き去っていく。
ここの表情の作画も素晴らしいし、この追加展開も素晴らしい。

f:id:makimogpfb:20180526232904j:image

原作では、軍馬がユキに、一緒に来いと誘い、足手まといになりたくないからと、ユキがそれを断るのだが、アニメでは、ユキが一緒に行きたがり、軍馬がそれを振り切るように改変されている。

ここも、高屋敷氏が演出参加(最終回含む)した家なき子のテーマ「前へ進め」が適用されているように感じる。

軍馬に去られたユキは、軍馬の名を叫び、泣く。あしたのジョー1最終回で、旅立ってしまった丈の名を叫ぶサチ子に重なるものがある。高屋敷氏は、あしたのジョー1にて脚本(無記名)、制作進行、演出や脚本の手伝いをしているので、その経験を生かしたかもしれない。

f:id:makimogpfb:20180526232950j:image

そして、「前へ進む」と決めたキャラが「男の顔」に豹変するのも、高屋敷氏の得意とするところ。
家なき子演出、カイジ・DAYS脚本と比較。
「前だ、もっと前に行くんだ」(アニメオリジナル)と、「勝負の大海へ漕ぎ出す」決意を固めるカイジは、ここの軍馬の魂を継いでいると言える。

f:id:makimogpfb:20180526233022j:image

  • まとめ

「自分という存在を知らしめる」軍馬の荒ぶる魂を描くことで、高屋敷氏のテーマであるところの、「自分とは何か」「どういう自分になるかは、自分で決めろ」が如実に表れている。これを直球で投げるために、あらゆる要素を積み上げている手腕も、見事という他ない。

めぞん一刻(最終シリーズ構成・脚本)でも大変だったと思うが、本作も、放送できない、原作の性的描写を削らねばならない。

その代替案が、ことごとく素晴らしくはまっている。特にラストの、上京シーンの追加は脱帽。
ユキに加え、タモツも見送る展開も良い。

f:id:makimogpfb:20180526235051j:image

原作では倫理を破壊(隣室で性交)し、アニメでは家を破壊(トラクターで突入)することで、軍馬は、自分を孤独に追い込むものを破壊する。

自分の存在が抹消されるということは、生命の危機であると同時に、ある意味、死よりも恐ろしい事である。軍馬は、本能的にそれを察知し、抗ったと言える。

そして、前述の通り、家なき子から来ている「前へ進め」というテーマ。1話に続き、2話でも強烈に出している。家での孤独を和らげてくれたユキへの想いを断ち切り、前を向く軍馬は、まさに家なき子で出てきた格言「男はいつか1人で生きていくもの」を地で行っている(まだまだ、色々やらかすのだが)。

あと、ちょっとした追加や削除なのに、原作と大きく異なってきたり、高屋敷氏の出したいテーマが強烈に出たりしている点も驚異的。これは、何回か書いているが、原作通りなのにアニメスタッフの個性やテーマが滲み出る、じゃりン子チエの脚本経験が生きていると思う。

原作の、性的な人間関係を、わずかな台詞の削除・追加だけで、あっという間に純愛関係に変えてしまった手腕も恐ろしいものがある。賛否はどうあれ、あまりの手腕の見事さに敬服する。

また、アニメのオリジナル展開として、一瞬だけ聖を登場させたことが、軍馬の「レーサーになる」という夢を後押しする結果となっている。これも、少しの改変で絶大な効果をもたらしている。

とにかく本作は、高屋敷氏の「脚本家」としての手腕が爆発していることに、驚かされっぱなし。それでいて、演出の経験も存分に生かされている。本作は、高屋敷氏の色々な作品を追って来てよかったと、つくづく思える作品で、益々目が放せない。