カイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんの軌跡

カイジおよび福本作品、そのアニメが好きで、シリーズ構成の高屋敷英夫さんが、子供の頃からアニメのクレジットで凄くよく見る名前なので調べてみたものの膨大すぎてまとめきれなくなってきたので、自分のブログよりここに切り離してまとめることにしました。ツイッターアカウントは@makimogpfbです

F-エフ-3話脚本:確固たる自我を持て

アニメ・F-エフ-は、六田登氏の漫画をアニメ化した作品。破天荒だが天才的なドライビングテクニックを持つ青年・赤木軍馬が、様々なドラマを経てレーサーとなり、数々の勝負を繰り広げていく姿を描く。
監督は真下耕一氏で、高屋敷氏はシリーズ構成・全話脚本を務める。
今回は、コンテ/演出が澤井幸次氏、脚本が高屋敷英夫氏。

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  • 今回の話:

上京した軍馬は、レーサーになるという目標の手始めとして、自動車教習所に赴き、そこで教官をしている純子と再会。
純子の指導虚しく、軍馬は教習車で爆走、教習所追放となるが、居合わせた純子の叔母・さゆりの営むアパートに住むこととなり、純子や、純子のレーシングチームメイトである啓太・ヒロシとの同居を開始。
一方、軍馬の嘘八百の手紙を受け取ったタモツは、上京して軍馬のメカニックになるかどうか迷うも、母に背中を押され、上京する。

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本記事を含めた、当ブログにおけるF-エフ-の記事一覧:

http://makimogpfb2.hatenablog.com/archive/category/%23F-%E3%82%A8%E3%83%95-

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冒頭、信号演出や、都会の喧騒に紛れる軍馬が、カイジ2期脚本と重なっていく。どちらもアニメのオリジナル描写。

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軍馬がハンバーガーやおにぎりを食べる場面も、アニメのオリジナルとして追加されている。高屋敷氏の特徴である飯テロ・食いしん坊描写が炸裂。挙げればキリが無いが、チエちゃん奮戦記・ルパン三世3期脚本と比較。

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更に原作に無い場面は続き、新聞で自動車教習所の広告を見つけたために、軍馬は教習所へ赴くことになる。ここは、原作の上手い補完となっている。新聞や紙媒体を、高屋敷氏はよく活躍させる。
カイジ2期脚本とシンクロ気味。
原作通りだが、カイジも、新聞で貴重な情報を得ている。

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教習所にて軍馬は、筑波サーキットで出会った純子(小規模レーシングチームのリーダー)と再会する。なんとなく、カイジ2期脚本の、遠藤とカイジの再会シーンと重なる。カイジの方は、アニメオリジナル。

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軍馬は隙を見て、教習車で爆走。追いかける純子の車とデッドヒートを繰り広げる。
結果、純子の車と軍馬の車は正面衝突。フロントガラスを突き破って純子の車に飛び込んだ軍馬は、純子に偶然(?)キスし、純子を益々怒らせる。
作画やカメラワークが凄い。

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当然軍馬は教習所追放となるが、居合わせた老婆・さゆりに気に入られ、彼女の営むアパートに住むことに。味のある老人の描写は、高屋敷氏の作品にはよくある。めぞん一刻脚本と比較。どちらのお婆ちゃんも、アニメオリジナルでの出番が多い。老人との心温まる交流も、同氏特徴の1つ。

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さゆりは軍馬を歓迎し、酒盛りをする。ここも、酒や食べ物が美味しそうに描写される。MASTERキートンカイジ2期脚本と比較。

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教習所で叱られたあたりから、軍馬がタモツに宛てた、嘘八百の手紙が、軍馬のナレーションで読み上げられる。原作通りだが、こういった「手紙の活躍」を、高屋敷氏はよく使う。オリジナルで、「大家さんは美人の未亡人」という文が追加されており、めぞん一刻(管理人が美人の未亡人)脚本の経験が使われている。

帰宅した純子は、食卓にいる軍馬に驚く。ここで、さゆりが純子の叔母であることが判明。かくして、軍馬、純子、純子のレーシングチーム仲間である啓太、ヒロシの共同生活が始まる。オリジナルで、「おかわり!」という軍馬の台詞が追加されており、高屋敷氏の食いしん坊描写が出ている。チエちゃん奮戦記脚本と比較。

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そして、軍馬の手紙は、タモツの母が読んでいたことが判明。
とにかく手紙は、様々な高屋敷氏の担当作で強調される。これも挙げればキリがないのだが、家なき子演出、じゃりン子チエカイジ脚本と比較。

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タモツの母は、上京して軍馬のメカニックになりたいのではないのか、とタモツに尋ねるが、タモツは、家の手伝い(シイタケ栽培)があるから…と言い淀む。
そんなタモツに、母は「自分の思う通りに生きろ。それが男っつうもんだ」と助言する。
これはアニメのオリジナル台詞で、高屋敷氏がよく発するメッセージ、「自分とは何か」「どういう自分になるかは、自分で決めろ」が、強く表れている。
家なき子最終回演出でも、それは表れている。

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それでも「自信がない」と言うタモツに、母は「もし自分が若かったら、やはり父ちゃんみたいな男に惚れていた」と言う。タモツの父は優秀なメカニックだったが、慢心が祟って、飲む・打つ・買うを行い、家を出て行ってしまっていた。それでも母は父を愛しており、タモツと父は違う人間だ、とタモツを諭す。

タモツは考え込み、その直後、シイタケや機械、自然の意味深描写が続く(アニメオリジナル)。高屋敷氏は、物や自然に意味や役割を持たせ、それらで「間」を作ることが多い。めぞん一刻あしたのジョー2脚本と比較。

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そしてタモツは上京を決意。ここからは、アニメの、完全なる追加場面となる。

軍馬の異母弟の雄馬と、軍馬を慕う、赤木家の使用人であるユキが、タモツの見送りに来る。後の展開を考えると、上手い伏線になっている。

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走り出す列車の車窓から、タモツは、農作業をする母の姿を見つけ、「母ちゃ…」と言いかけるも、それを飲み込み、「男の顔」になって旅立って行く。「男」への成長と、旅立ちを描くのは、高屋敷氏の大きな特徴。家なき子最終回の演出が代表的。

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  • まとめ

なんといっても、タモツ母子の描写が興味深い。「自分の思う通りに生きろ」という、アニメのオリジナル台詞は、高屋敷氏が発するメッセージであるところの、「自分とは何か」「どういう自分になるかは、自分で決めろ」を直球で投げてきている(1話2話でも、それが出ている)。
カイジ脚本でも感じるが、まるで原作に存在するかのような言葉を追加するのが、高屋敷氏は上手い。
何回か書いているが、原作通りでありながら、アニメ独自のテーマがじわりと出ている、じゃりン子チエの脚本経験が大きいのでは?と思っている。

そして、2話の軍馬の上京シーンに続き、タモツの上京シーンの追加も、うまくはまっており、アニメ版の良さの1つになっている。こちらも、家なき子のテーマ、「男はいつか一人で生きていくもの」「前へ進め」が適用されており、タモツが、家なき子最終回のレミのように、「男の顔」に豹変する。

タモツも軍馬も、父に対して色々な感情を抱いており、軍馬は2話にて、父の「出来の悪いイミテーション」ではなく、自分は赤木軍馬という人間であると主張。今回は、タモツの母が、タモツと父は違う人間だと諭す。

親に左右されず、確固たる自我を持つことは、生きて行くために必要なこと。そこが崩れると、心が病む可能性がある。
高屋敷氏は、メンタルヘルスについて、鋭く切り込むことが多く、その先見の明に驚かされる。
何故かは不明だが、あしたのジョー脚本(特に2、1は無記名だがデビュー作)で、力石の死と向き合う丈を描写した経験も、生きていると考えられる。

あと、「母の愛」についても、ど根性ガエル家なき子演出の頃から、強く描かれている(下記画像は、家なき子演出との比較)。女性キャラが殆どいないカイジ(脚本・シリーズ構成)においても、カイジに、どこか母性を持たせている。

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今回、軍馬は、可愛いお婆ちゃん・さゆりと交流するが、冷たい家庭環境から脱して、擬似家族を得たとも取れる(まだまだ啓太・ヒロシ・純子とは打ち解けないが)。これも、高屋敷氏が長年取り組んでいる、「孤独救済」が出ている。

また、脚本技術として、原作では登場しない回でも、聖(軍馬の後のライバル)を極力、登場させている。

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カイジ2期脚本・シリーズ構成でも、石田の息子を、地下が映る際には必ず登場させており、終盤の感動的展開の伏線にしている。
そういった、「構成」計算力の高さが、本作でも確認できる。

1話からここまで、高屋敷氏の全力投球ぶりには、本当に驚かされる。そして毎回、高屋敷氏の投げたいテーマが、はっきり出ている。原作ものであっても、いや、原作ものであるからこそ、「アニメ独自のテーマ」を持たせる重要性を感じる。これからも、シリーズ全体を流れるテーマを探って行きたい。