F-エフ-29話脚本:それぞれの激情
アニメ・F-エフ-は、六田登氏の漫画をアニメ化した作品。破天荒だが天才的なドライビングテクニックを持つ青年・赤木軍馬が、様々なドラマを経てレーサーとなり、数々の勝負を繰り広げていく姿を描く。
監督は真下耕一氏で、高屋敷氏はシリーズ構成・全話脚本を務める。
今回は、コンテ/演出が澤井幸次氏、脚本が高屋敷英夫氏。
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- 今回の話:
アニメオリジナルエピソード(一部原作通り)。
純子(ヒロインの一人)がタモツ(軍馬の親友だが、現在は軍馬のライバル・聖のメカニック)に協力を仰いだ結果、聖の尽力で軍馬のライセンス剥奪は取り消された。
その経緯を知った軍馬は激怒する…。
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http://makimogpfb2.hatenablog.com/archive/category/%23F-%E3%82%A8%E3%83%95-
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冒頭、空き缶のアップ・間があるが、こういった静物のアップ・間は、高屋敷氏の担当作に頻出。グラゼニ・めぞん一刻・カイジ2期脚本と比較。
軍馬が放心状態で釣りをしているが、釣りといえば、元祖天才バカボンの高屋敷氏演出/コンテ回に、バカボンとパパが釣りを楽しむ回がある。
そこへ岸田(軍馬を慕うインテリ青年)がやってきて、ライセンス剥奪が取り消されたと知らせに来る。聖(軍馬のライバル)が前回、協会専務理事に掛け合ったおかげなのだが、それを知らない軍馬は無邪気に喜ぶ。無邪気さを描くのは、高屋敷氏の得意分野。
軍馬は早速、英二郎(F3マシンを持つ、フリーのメカニック)のもとへ、F3マシンを貸してもらうべく、再度赴く。
船が映るが、出崎兄弟ゆずりの船描写を、高屋敷氏はよく出す。アカギ・ルパン三世2nd脚本、ルパン三世2nd演出/コンテと比較。
今までと同様、頑なに心を閉ざす英二郎だが、1000万円で貸してやってもいいと言い出す。あまりの高額に抗議する軍馬の姿が、カイジ2期(高屋敷氏脚本)にて、大金を要求する遠藤に抗議するカイジに重なってくる。
これに限らず、青年と中年男性の交流(?)は、同氏作品で強調される。
結局、色々手を尽くしても、英二郎を説得することは出来ず。
状況を岸田から聞いた黒井(軍馬の所属するチームの代表)と安田(同チームのチーフマネージャー)は、軍馬の為に何かしてやりたいと考え込む。青年を思いやる大人二人という構図は、空手バカ一代(演出/コンテ)にもある。
黒井は、モータースポーツ誌に載っているタモツ(軍馬の親友だが、現在は聖のメカニック)を見て、彼が群馬県出身であること、名字が「大石」であることに気付き、安田を伴って出かけることにする。
27話で出た、タモツの戸籍謄本と、この黒井の反応で、タモツと英二郎の関係がわかるようになっている。
当のタモツは、不治の病を抱える聖のため、いざという時マシンを安全に止めることができる装置を開発する(ここは原作通りだが、開発のタイミングが違う)。
だが、聖の覚悟も知る彼は思い悩む。
アニメの場合は、前回の聖の酷い発作を見た事で、タモツが装置を作る経緯になっており、彼の葛藤を順序立てている。
一方、空腹のため一旦アパートに帰った軍馬は、タモツと純子(ヒロインの一人)が電話で話しているのを耳にする。
そして、軍馬のライセンス剥奪が取り消しになったのは、聖が協会専務理事に掛け合ったから(そうするよう、純子がタモツに頼み込んだ)であるという事実を知った軍馬は激怒。
軍馬と純子は激しい口論となり、純子は軍馬の短所を列挙。ここは、めぞん一刻(脚本)にて、響子が激しく五代を罵る場面が重なってくる。
軍馬は、「サイテー男」である自分でも、「生きるためのルール」があると主張する。
両作品とも、男女の意地のぶつかり合いが描写されている。
場面は転じ、葉が意味深に落ちる。葉の意味深な描写も、高屋敷氏の担当作に多く出てくる。めぞん一刻・MASTERキートン脚本、空手バカ一代演出と比較。
葉だけでなく、同氏の世界では、「自然」が重要な役割を担っている。
黒井と安田は、英二郎宅を訪れ、軍馬は走らせてみる価値がある男であると主張し、改めてマシンを貸して欲しいと頼む。
更に、彼の息子であるタモツが聖のメカニックであることを告げる。
大人二人が、青年の為に動くあたりは、アカギ(脚本)でも描かれている。
その頃タモツは、聖に何か起きたら、マシンを止める装置を発動させるか否か悩んでいた。
こういった、交互にキャラクターを描く脚本技術は、じゃりン子チエ(高屋敷氏脚本参加)にも多く見られ、その巧みさが光る。
街をうろつく軍馬は、こうなった以上、レースに出ないと言い出す。考えを改めるよう説得する岸田を締め上げる軍馬であったが、その時、総一郎(軍馬の父)が、衆議院議員に当選したことを知る(原作では、政界進出に失敗)。
父と子の関係は、忍者戦士飛影・MASTERキートン脚本はじめ、他作品でも色々描かれている。
そこへ軍馬の異母兄・将馬が現れ、ユキ(軍馬を慕う、元・赤木家の使用人。将馬に囲われている)が消えたと告げる。
二人きりになると、全ての元凶は軍馬だとして、将馬は軍馬を殴りつける。
軍馬も応戦し、二人は感情をぶつけ合う。ボクシングぽい描写は、あしたのジョー2・はじめの一歩3期脚本を思わせる。
純子は、(プロになることで)軍馬が自分から離れて行くにしても、彼に走って欲しかったのだと、さゆり(純子の叔母)に打ち明け、涙を流す。
さゆりは、そんな純子を慰める。色々理解してくれるお婆ちゃんは、めぞん一刻・じゃりン子チエ脚本ほか、多く出る。
将馬に殴られてボロボロになった軍馬は、岸田に支えられながら雨の中を歩く。
空手バカ一代演出/コンテ、めぞん一刻脚本ほか、雨の中のドラマは多い。
そんな中、軍馬はユキを発見するも、倒れ込むのだった。
- まとめ
複雑な複数プロットを動かす脚本技術は、じゃりン子チエ(高屋敷氏脚本参加)を思わせる。とにかくドラマの密度が濃く、感心させられる。
純子と軍馬、軍馬と将馬の、激しい感情の衝突も見事で、各声優の名演も光る。
純子と軍馬の場合は男女の、軍馬と将馬の場合は男同士の、譲れない意地のぶつかり合いが描かれ、台詞運びの巧みさも秀逸。
純子が軍馬に、「自分で何とかできたの?できっこないでしょ」と言うのだが、軍馬が多くの仲間達に支えられて来た事も強調してきた高屋敷氏の、軍馬に対する問いにも聞こえる。一方、軍馬の言う「サイテー男でもよ…生きるためのルールっつぅもんがあんだよ!」も中々深く、男の領域を描いている。
グラゼニ(シリーズ構成・全話脚本)においても、高屋敷氏は夏之介(主人公)と向き合っており、( http://www.deen.co.jp/news/20180522-3 )、同氏がキャラクターとじっくり向き合っていることが窺える。
これを踏まえると、アニメオリジナルエピソードである今回、各キャラクターが何を考え、何を言うのかを、高屋敷氏は熟慮していると考えられる。
だからこそ、今回のような感情のぶつかり合いが書けるのだと思う。
また、若者のために一肌脱ぐ大人達も描かれた。空手バカ一代(演出/コンテ)といい、アカギ(シリーズ構成/脚本)といい、こういった大人達の姿が強調されるのは興味深い。カイジ(シリーズ構成/脚本)でも、1期の石田、2期の坂崎・遠藤に、それは表れている。
高屋敷氏のポリシーの一つ?
タモツについてだが、23話にて、悔いなく聖に走ってもらいたいと(アニメオリジナル)で言っていた彼が、28話の、聖の酷い発作と壮絶な覚悟を見て、原作通りの考え(「サーキットは墓場ではない」)になって装置を開発する経緯と葛藤も、丁寧だと思う。
そして、英二郎とタモツ、総一郎と軍馬という、2組の父子についても触れられている。これは次回にて更にスポットが当たるが、男は父に向き合わなければならないという、高屋敷氏得意の「男の世界」が展開され、同氏の手腕が光る。
とにかく様々な、密度の濃いドラマが続々と展開されているのは驚異的。また、前述の、高屋敷氏の(グラゼニについての)コラムを踏まえた上で今回を見ると、同氏が各キャラクターとじっくり向き合っている事が実感できる回だった。
- 追記
将馬と軍馬が殴り合うシーンでの、軍馬の台詞について取りあげたい:
「てめえがだらしねえから…てめえがだらしねえから(ユキが)いなくなっちまったんじゃねえか!本気で…本気でユキのことが好きなら…親父の腰巾着みたいなマネしてねえで…てめえをさらけ出したらどうなんでぇ!そんな事もできやしねえで、しみったれてんじゃねぇや!」
これは、完全アニメオリジナル台詞であるため、高屋敷氏のポリシーを探る上で興味深い。
「自分をさらけ出す」という箇所が、同氏のテーマの一つ「自分とは何か」に繋がる感じがする。
「そんな事もできやしねえで」も、自分をさらけ出すこと=基本的な事という事か。
めぞん一刻(最終シリーズ構成・脚本)でも、「素直が一番」という、ゆかり(五代の祖母)の台詞を強調している。
これらを踏まえると、素直になって(本当の)自分をさらけ出し、相手にぶつかって行くことが、恋愛/人間関係の基本ということになる。このあたりも、高屋氏のポリシーが見えて興味深い。
めぞん一刻92話(高屋敷氏脚本)についての記事にて、「恋愛でも、その他でも、真っ直ぐ素直な気持ちで当たれ、というメッセージが感じられる。」と書いたのだが、まさに今回、このメッセージが再度出ている。しかも「そんな事もできやしねえで」に、より熱いものが感じられる。