カイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんの軌跡

アニメカイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんに興味を持って調べてみたら、膨大な量の担当作があることがわかりましたので、出来る限り同氏担当作を追跡しています。discordアカウントは、まきも#3872 です。

宝島6話演出:子供と大人の間

アニメ・宝島は、スティーブンスンの原作小説を、大幅に改変してアニメ化した作品。監督は出崎統氏。高屋敷英夫氏は、偶数回の演出を務める(表記はディレクター)。
今回の脚本は山崎晴哉氏で、コンテが出崎統氏、演出が高屋敷英夫氏。

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本記事を含めた、宝島の記事一覧: http://makimogpfb2.hatenablog.com/archive/category/%23%E5%AE%9D%E5%B3%B6

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  • 今回の話:

ジムはブリストルに赴き、トレローニ(村の富豪)やリブシー(医者)と合流、「宝島」への航海の準備をする。そんな折、彼は船の料理長に就任予定の男・シルバーに出会う。ジムは、彼が海賊なのでは…と疑うも、後に打ち解ける。様々な思いが交錯する中、船は出航する。

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ブリストルに向かう馬車にて、トレローニ(村の富豪)の執事・レッドルースは、もう母親が恋しくなったのか、とジムをからかう。優しかったり、個性的だったりする老人を、高屋敷氏は強く印象づける。
DAYS・めぞん一刻MASTERキートン(脚本)と比較。

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ジムは、快く送り出してくれた母を思うが、意を決した顔になる。F-エフ-(脚本)*1のアニメオリジナル場面にて、母を思うも、決意に満ちた顔で上京するタモツ(主人公・軍馬の親友)が重なる。

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ジムの母は「男の仕事をしておいで」とジムを送り出し、F-エフ-(脚本)のタモツの母は、「自分の思う通りに生きろ。それが男っつうもんだ」(アニメオリジナル台詞)と、タモツに上京を促す(F-エフ-3話参照)。比較すると面白い。

ブリストルを目の当たりにしたジムは、益々決意に満ちた顔になる。
眉を動かすだけで、成長や決意を感じさせる顔にする表現は、家なき子(演出)でも見られた。不思議なことに、(絵に関与できない)脚本作であるF-エフ-にも同じような表現が見られる。

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決意は立派なものの、ジムは重い荷物に四苦八苦する、まだまだ子供らしい一面を見せる。年齢に関係なく、キャラの幼さを見せるのが高屋敷氏は本当に上手い。
ど根性ガエル家なき子(演出)、F-エフ-・カイジ2期(脚本)と比較。

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ジムとトレローニ(村の富豪で、船のオーナー)のやりとりも愛嬌があって微笑ましい。
元祖天才バカボン演出/コンテ、はだしのゲン2・DAYS・F-エフ-(脚本)と比較。

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ジムが、お使いのために町を歩く場面にて噴水が出るが、出崎統監督はじめ、竹内啓雄氏・高屋敷氏も噴水を(他作品でも)よく出す。
ベルサイユのばら(コンテ)、エースをねらえ!(演出)と比較。

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そして、いわゆる「出崎鳥」と言われる、鳥の演出が出る。本作は出崎統監督作だから、出るのは当然として、高屋敷氏単独でも出す。画像は白鳩集。ルパン三世2nd(演出/コンテ)、らんま・じゃりン子チエ(脚本)と比較。
とにもかくにも、高屋敷氏は「脚本」でも出すのが驚き。

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ジムがシルバー(船の料理長)を海賊だと思って路地裏に隠れる場面は、カイジ2期(脚本)とシンクロ気味になっている。カイジ2期の方はアニメオリジナル。状況設定が同じなら、かたや演出、かたや脚本でも映像が似てくる一例だと思う。

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シルバーとジムは出会い、シルバーはジムの手を取り強引に握手する。手と手のコミュニケーションを、高屋敷氏は重要視する。あんみつ姫忍者戦士飛影(脚本)と比較。

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シルバーが海賊だと疑うジムは、黒犬(ジムを襲撃した海賊の一人)の名を出す。
ジムが「黒犬黒犬黒犬…」と連呼するが、カイジ2期(脚本)の「地下地下地下ー!」が思い出される。今回は演出なので、台本への関与は謎だが、高屋敷氏の脚本の癖として、「単語の連呼」がある。演出・コンテ作でも、エコーをよく使う。

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結局のところ、シルバーは黒犬を知らず。海賊たる黒犬が、カタギの自分の店で飲んだとして、彼は黒犬をとっちめる。袋小路に追い込む状況が、ベルサイユのばら(コンテ)と共通する。ベルサイユのばらは、宝島より後。他の作品でも、しばしば路地裏や袋小路という状況が見られる。

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黒犬との乱闘で杖を折ってしまったシルバーに、ジムが手を差し出し、肩を貸すと言う。これも、手と手のコミュニケーション。ルパン三世3期・忍者戦士飛影(脚本)と比較。

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ジムがシルバーに肩を貸して歩く場面が、F-エフ-(脚本)と重なる。背の低い方が肩を貸す状況も同じ。そしてF-エフ-の方はアニメオリジナル。こちらも、本作の経験が活かされているのかもしれない。

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疑いが晴れ、打ち解けた記念にと、シルバーがジムにビールを奢る。
実は酒が初めてなジムは、泡を少し舐める。舌を出す表現は、色々な作品で出てくる。ど根性ガエル(演出)、はだしのゲン2・カイジ2期(脚本)と比較。

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強がってビールを飲んでしまったジムは泥酔。酔い方が可愛いのも、多くの作品で表現されている。カイジ2期(脚本)、ど根性ガエル(演出)と比較。特に、ど根性ガエルとのシンクロは凄い。もしかしたら、作画陣も共通しているのかもしれない。

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更に、酔っ払ったジムは眠りこけてしまう。こちらも、他の作品と被ってくる。
ど根性ガエル(演出)、カイジ2期(脚本)と比較。どれも寝顔が幼いのが特徴。

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シルバーがジムを起こそうとする場面で舟が横切るが、これは出崎統氏の定番の演出。高屋敷氏は、何故なのかはわからないが、これを「脚本作」でも出す。あんみつ姫めぞん一刻・F-エフ-(脚本)と比較。

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夜、ジムは母に手紙を書く。高屋敷氏は、手紙を重要アイテムとして扱い、あらゆる作品で強調する。家なき子(演出)、F-エフ-・ミラクルガールズ・カイジ2期(脚本)と比較。

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ジムが思う母の姿として、彼女が縫い物をしているのが映るが、この「縫い物」、はだしのゲン2(脚本)でも、ゲンの母が縫い物をしていたのをはじめ、結構色々な作品で見られる。脚本デビュー作では?と思っている、あしたのジョー1の1エピソードでも段平が縫い物をしており、気になるところ。

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出航の日は快晴。ギラつく太陽の意味深な「間」は、高屋敷氏の担当作に実に多い。F-エフ-・あしたのジョー2・蒼天航路(脚本)、元祖天才バカボン(演出/コンテ)、チエちゃん奮戦記(脚本)と比較。

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いよいよの出航に心踊るジムは、「おれ…おれ…母さん…おれ…ばんざーい!!」と思うのだった。ここも幼い。なんとなく、F-エフ-(脚本)のアニメオリジナル台詞「鈴鹿だぜ!F3デビューだぜ…やっとオレの出番だぜ!何人たりともオレの前は走らせねえ!」と、言葉にならない喜びを爆発させる軍馬と重なってくる。

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  • まとめ

ジムの幼さと、優しさと、少しばかりの成長が交錯する回。彼にとって、酒はまだまだ早いこと(シルバーはジムが13歳とは知らなかった)は、ジムが大人の階段を登ろうと必死になるも空回りしていることを示している。

これ以外にも、母に送り出されたジムが決意に満ちた顔になるも、直後に、重い荷物を持ちきれないという幼い一面を見せる事にも表れている。ここも、大人になろうともがくも、まだまだ子供である13歳の少年が良く描かれていると思う(13歳に見えない程幼いが…)。

そして、幼さ(無邪気さ・純真さ)が良い方に働くことも表現される。シルバーに手を差し伸べ、肩を貸すジムの優しさは、子供の純真さと、大人になろうとする心が混ざっている。
シルバーは一癖も二癖もあるミステリアスな大人であるが、ジムは一先ず、片足が無いシルバーに肩を貸すのが良い。

高屋敷氏は本作では演出なので、幼さ、大人になろうとする必死さを、映像を通して表現する。これが脚本作になっても、最終映像に、キャラクターの「幼さ・無邪気さ」が滲み出ているのは不思議な現象であるが、とにかく、そうなる。
状況設定やセリフの工夫に、そのカラクリがあるのかもしれない。

出航の際に、「おれ…母さん…おれ…ばんざーい!!」と思うのも、母に手紙を書くのも、航海に出ることで大人への一歩を踏み出すと同時に、母を思う事を忘れない、ジムの子供らしさが出ている。脚本やコンテ、監督指示も関わると思うが、演出の高屋敷氏も貢献していると考えられる。

主にシリーズ構成作品で驚かされることが多いが、キャラクターの幼さを沢山見せておく「仕掛け」を設置し、さりげない場面や終盤にて成長を描く高屋敷氏の手腕は、間違いなく演出時代からある(家なき子の演出にも見られる)。同氏は、童心も成長の重要な要素としているのではないだろうか。

誰しも子供時代はあるわけで、大人になっても純真な童心を忘れない/尊重することは、人間に深みを与える。
勿論、もともと高屋敷氏は幼さを描くのが上手いのだろうが、その「意味」も出ている。それは、脚本作でも変わらないどころか、パワーアップしている。

2話4話の演出では、ジムの幼さ(よく言えば純真さ)が徹底して描かれていたが、今回は、ちょっとした成長が描かれ始めている。その仕掛けは、これからも意識したいし、これは脚本作にある技術的な上手さにも繋がっている気がする。それも踏まえて見ていきたい。