カイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんの軌跡

アニメカイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんに興味を持って調べてみたら、膨大な量の担当作があることがわかりましたので、出来る限り同氏担当作を追跡しています。discordアカウントは、まきも#3872 です。

グラゼニ(2期)16話脚本:心からの涙

アニメ・グラゼニは、原作:森高夕次氏、作画:アダチケイジ氏の漫画をアニメ化した作品。監督は渡辺歩氏で、高屋敷英夫氏はシリーズ構成・全話脚本を務める。2期は1期最終回12話からの続きで、開始話数は13話。

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  • 本作のあらすじ:

プロ野球投手・凡田夏之介は、年棒にこだわるタイプで、「グラウンドにはゼニが埋まっている(すなわちグラゼニ)」が信条。そんな彼の、悲喜こもごものプロ野球選手生活が描かれる。

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今回は、コンテが藤原良二氏、演出が前屋俊広氏で、脚本が高屋敷英夫氏。

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本記事を含めた、グラゼニに関する記事一覧:

http://makimogpfb2.hatenablog.com/archive/category/%23%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%BC%E3%83%8B

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  • 今回の話:

前回、プロ意識の無さを夏之介にガツンと指摘された樹(二軍から上がりたての野手)は、その直後から打ちまくり、スパイダース(夏之介達が所属するチーム。ヤクルトスワローズがモデル)は首位に。
だがしかし、樹は急に打てなくなってしまう。一方、夏之介は絶好調に。
そして、引き分け以上で優勝が決まるという大一番の日に、樹の妻が帝王切開で出産し、子どもが集中治療室に入ったという連絡が…

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樹が打って、夏之介が抑えて…と二人の活躍もあり、広島遠征は3連勝。
本作全体の特徴だが、原作の客観的なナレーションに対し、アニメでは夏之介のナレーション(一人称「僕」)なので、視聴者が感情移入しやすくなっている。

また、名調子のナレーションは、カイジワンナウツ(シリーズ構成・脚本)、じゃりン子チエ(脚本)、忍者マン一平(監督)など、色々な高屋敷氏の担当作品に見られる。

夏之介に叱咤された日から、家族の元に帰らずにビジネスホテルに泊まっている樹は、靴下を脱ぐが、流石に家族の顔が見たくて、靴下を履き直す。靴下が原作よりクローズアップされ、アイデンティティを示すものとして表される。こういった表現は、かなり多い。カイジ2期・F-エフ-(脚本)と比較。

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そして、原作通りだが、樹は一人になって自分を見つめ直すことで調子を上げた。ここは、「自分とは何か」を長年、大きなテーマとしている高屋敷氏にマッチするポイント。というか、同氏が押し出したい部分を、原作から上手くピックアップしている事もあるのかもしれない。こういった感覚は、F-エフ-*1カイジ(いずれもシリーズ構成・脚本)でも感じられる。

樹がホテルから出る所を偶然見かけた夏之介は、彼に声をかける。
家に帰っていないこと、それから打てていることを樹から打ち明けられた夏之介は、それが自分の叱咤が原因であると直ぐに察する。

家に帰ると打てなくなるかもしれない…と躊躇する樹に夏之介は、打てるようになったのはスイングを変えたからだと指摘し、今日くらい家に帰っても問題無いと、樹の背中を押す。
原作通りだが、オカルトや迷信頼みではなく、理詰めを好む高屋敷氏らしい強調。これも、カイジ(脚本)などで強く描かれている。

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同氏の、オカルトに否定的な姿勢は、元祖天才バカボン(演出/コンテ)やルパン三世2nd・チエちゃん奮戦記(脚本)など沢山の作品で表れている。

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そして宝島(演出)では、シルバーが迷信や幽霊を強く否定している。

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また、「理」によって樹を安心させる夏之介の優しさも、ここで表れている。こちらも、義理人情は「義」だけでなく「理」が必要…という高屋敷氏のポリシーが上手く乗算されている。

そして、久しぶりに家に帰った樹は家族との楽しい時間を過ごす。
(原作通りだが)樹が妻に甘える姿は、以前も書いたが、元祖天才バカボン(演出/コンテ/脚本参加)の、パパを思い出してしまう。

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この家族は全員、樹と血の繋がりが無いわけなのだが(妻と、妻の両親)、色々な作品で、血の繋がりはなくとも温かい繋がりが描かれてきたことが思い出される。
めぞん一刻(脚本/最終シリーズ構成)でも、それは強く出ている。

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1980年版鉄腕アトム(脚本)でも、「伝統とは血液ではないよ。心の中の誇りこそがそれを支えているんだ」というアニメオリジナル台詞があり、血の繋がりよりも心を重視していることがわかる。

だがしかし、家に帰った翌日から、樹は打てなくなってしまい、夏之介に助言を請う。
夏之介は、「ピッチャーのおれに聞かなきゃわからないことなのか」と返す。ここは、敢えて突き放すような言い方に改変されており、かえって夏之介の優しさが出ている。

夏之介役の落合福嗣氏や、音響監督の辻谷耕史氏(先頃亡くなっており、悔やまれる)の手腕も発揮されているのではないだろうか。

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一旦突き放しはしたものの、夏之介は、相手チームに研究されている可能性を挙げる。1軍の試合に慣れていれば直ぐ思い当たることだが、樹は驚く。
こちらも原作通りだが、やはり助言には具体的な「理」が必要という高屋敷氏の主張が見え隠れする。

その後も樹は打てないものの、夏之介は絶好調が続く。樹は一軍の雰囲気に圧倒される。前回前々回と、夏之介が樹を観察し、その先の自分を見つめていたように、樹もまた、夏之介を見ることで、自分の置かれた状況を痛感する構図になっている。

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そして、引き分け以上で優勝が決まるホームゲームの日を迎える(2位・大阪テンプターズとの直接対決)。樹は夏之介に、あの日みたいに叱ってくれないか…と吐露し、夏之介は内心呆れる。
そこへ、樹の妻が帝王切開で出産し、生まれた子が集中治療室に入ったという連絡が入る。

狼狽する樹だったが、彼の義父は、試合に出ろと一喝。普段穏やかな義父が(原作通りに)豹変するのだが、高屋敷氏は豹変するキャラクターに縁がある。宝島(演出)、カイジ2期(脚本)と比較。

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試合直前、アナウンサーが両軍の状況を説明する。原作はナレーションなので、アナウンサーの台詞の殆どがアニメオリジナル。
流れるような名実況は、高屋敷氏の十八番。
また、松本アナウンサー(本職)のアドリブもありそうだ。

樹が、妻子のことで頭が一杯になってしまった一方、夏之介は小里ピッチングコーチから、期待していると言われた事を思い出し、「僕は今、働いている!優勝に向け働いている!」と目を輝かせる。

ちなみに、ここの原作の一人称は「おれ」。アニメでは、視聴者に語りかける時と、何処か愛嬌を感じさせる時や、気弱になっている時の一人称は「僕」となる。
この使い分けも、高屋敷氏的テーマ「自分とは何か」の一環かもしれない。

試合は、両軍プレッシャーで打てないイニングが続く。ここもアナウンサーの名実況(アニメオリジナル)が光る。らんま・あしたのジョー2・1980年版鉄腕アトムにも名実況が登場する。

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また、解説に徳永(夏之介と同郷の先輩で、現在は解説者)がいるのもアニメオリジナル。こういった所は、夏之介の周りの人物の愛情が示されていて、やはり「男の友情」にこだわる高屋敷氏らしさが出ている。

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8回表、いよいよ夏之介が登板する。
「プロ入り8年目、年収1800万投手、凡田夏之介…とうとうプロ野球の…優勝を決めるこんな重大場面でマウンドに立つまでになった!」という夏之介のモノローグが入るが、「凡田夏之介」というフレーズが追加されている。これも、「自分とは何か」というテーマを押し出す効果を生んでいる。

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だがしかし夏之介は、いきなりホームランを打たれてしまう。
このとき徳永が立ち上がり、心配している様子が描かれ(アニメオリジナル)、やはり愛情を感じさせる。

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何とか後続を抑えて回を終えたものの、夏之介は茫然自失。
「僕の人生、やっぱこうなのか?」
「一番大事なとこでこれ!」
「僕はやっぱダメだ、二流だよ」
と思い、彼は涙目になる。
ここの原作の一人称は「おれ」であり、アニメでは「僕」にすることで、気弱になってしまったことを強調している。これも、さりげない改変なのに効果は大きい。
あと、絶望して涙目になるあたりは、やはりカイジ的なものを感じる。

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その時、快音が響いた。代打の樹が同点ホームランを打ったのだ。
その後は両軍得点できず、試合は引き分け。これにて、スパイダースは優勝。

複雑な気持ちのまま、夏之介は歓喜の輪に加わる。そんな彼に、渋谷(夏之介と仲良しの先発ローテ投手)や大野(夏之介と同郷の後輩)が抱きつき、徳永も感涙(アニメオリジナル)。やはりアニメでは、友情描写が強化されている。

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そして、樹の子どもは峠を越え、無事なことが判明。樹の義父は、己自身と戦った樹を称える。
原作通りだが、「自分」にまつわる哲学を長年テーマにしてきた、高屋敷氏のメッセージを感じる。

後日、夏之介は樹の子どもを見に行く。
感慨深いことに、F-エフ-(脚本)でも赤ちゃんにまつわる名場面がある。

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夏之介は、試合で自分を救ってくれた樹に礼を言う。
だが樹は、あの時打てたのは、皆がプレッシャーを感じている中、自分だけ妻子のことで頭が一杯だったからだと告白し、妻の手を握る。
手を握るのは、アニメオリジナル。手と手による心の触れ合いは、高屋敷氏の真骨頂。めぞん一刻ワンダービートS・F-エフ-(脚本)と比較。

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プロ野球選手失格だ…と泣き出す樹に、夏之介は抱きついて「おれのせいで優勝を逃していたら、おれは今頃潰れていたかもしれない」と涙を流し、何度も何度も、樹に礼を言うのだった。

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そして、「すんでの所で戦犯を免れた僕のこれは…マジな涙なのでした」という夏之介のナレーションで締め括られる(原作では、客観的なナレーション)。ここも「僕」を使うことで、夏之介の素直さが増している。

「おれのせいで優勝を逃したら、おれは今頃潰れていたかもしれない」は、原作ではモノローグ。こうして口に出して言うことで、より胸を打つ。

めぞん一刻(最終シリーズ構成・脚本)やF-エフ-(シリーズ構成・全話脚本)でも、「想いは素直にぶつけろ」というメッセージが発せられていて、F-エフ-では、聖が「今日お前に、自分を超える方法を教えてやる」と、軍馬に面と向かって言う(原作ではモノローグ)。

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こういったさりげない改変で感動を倍増させる技術には、凄まじいものを感じる。
そして、夏之介役の落合福嗣氏の名演にも泣かされる。

  • まとめ

毎回ほっこりさせてくれる本作だが、今回はもらい泣きする程に感動的。

トラブルや絶望の後、ホワイトナイト的人物によって主人公が救われる構成は、カイジ2期(シリーズ構成/脚本)の「沼」編にも見られた。

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カイジの場合は、
「奇跡なんて望むな。勝つってことは、具体的な勝算の彼方にある現実だ」というカイジの言葉が、そして彼の行動が坂崎を救ったからこそ、大ピンチのカイジを坂崎が救った。

今回の場合、
「家族のために野球をやる?笑わせんなよ。野球は自分のためにやるもんだろ」という夏之介の叱咤が効いた経緯があったからこそ、樹の一発が夏之介を救った。

このように、主人公の優しかったり厳しかったりする言動/行動によって救われた者が、主人公の窮地を救うわけだが、家なき子(高屋敷氏演出参加)でも、「人を助ければ、助けられた人が他の人を助け、巡り巡って自分が助けられる。それが愛」というビタリス(主人公・レミの師匠)の教えが出ており、それを彷彿とさせる。

上記を踏まえると、今回の場合は夏之介の叱咤が結果的に樹を救い(実際、あそこまで言ってくれる人は中々いない)、巡り巡って樹が夏之介を救うという「愛」が描かれたのではないだろうか。だからこそ夏之介の「マジな涙」には泣かされる。

あと、樹と夏之介は、互いを観察することで、その先の「自分」を見つめていた。
樹が言う「プロ野球選手失格だ」は、一軍で立派にプレーする夏之介を見ていたからだし、夏之介が調子を上げていたのは、プロ意識が欠如した樹を見た上で、(好きで)プロ野球選手として生きていく道を選んだ自分(1期最終話)というものを再認識したからだと思う。

高屋敷氏は頻繁に、真実を映す鏡を出すが、二人の見つめ合いもまた、互いを映す「鏡」の役割を担っていたのではないだろうか。カイジ1期終盤でも、カイジ利根川が、カイジと兵藤が、勝負をすることで互いを見つめる。

自分というものを、互いを通して再認識したからこそ、夏之介も樹も泣く。少なくともアニメはそういう解釈も入っていると推察する。

それに加えて、「人間には色々な側面がある」という高屋敷氏のポリシーを考えれば、夏之介と樹、異なる性質の二人の化学反応が、良い結果をもたらしたのだとも取れる。

高屋敷氏が描く微笑ましい友情のルーツは、(高校の野球部の監督をするほど)同氏が愛して止まない野球の、「チームワーク」や、「選手同士の信頼関係」から来ているのではないか…と最近思い始めているのだが、言うまでもなくグラゼニは野球アニメ。回を重ねるごとに、同氏の熱意を、ひしひしと感じる。これからも視聴が楽しみである。

*1:当ブログの、F-エフ-に関する記事一覧: http://makimogpfb2.hatenablog.com/archive/category/%23F-%E3%82%A8%E3%83%95-