カイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんの軌跡

アニメカイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんに興味を持って調べてみたら、膨大な量の担当作があることがわかりましたので、出来る限り同氏担当作を追跡しています。discordアカウントは、まきも#3872 です。

おにいさまへ…9話脚本:「食」と「心」

アニメ・おにいさまへ…は、池田理代子氏の漫画をアニメ化した作品で、華やかな女学園を舞台に様々な人間模様が描かれる。

監督は出崎統氏で、高屋敷英夫氏はシリーズ構成(金春氏と共同)や脚本を務める。

今回のコンテは出崎統監督で、演出が宇田忠順/野上和男氏。そして脚本が高屋敷英夫氏。

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当ブログの、おにいさまへ…に関する記事一覧(本記事含む):

http://makimogpfb2.hatenablog.com/archive/category/%23%E3%81%8A%E3%81%AB%E3%81%84%E3%81%95%E3%81%BE%E3%81%B8%E2%80%A6

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  • 今回の話:

マリ子(奈々子の級友で、社交クラブ・ソロリティのメンバー)の異様な執着心を恐れ、奈々子は彼女を避ける。

一方、薫(体育会系だが、病を抱える)は発作を起こし、奈々子や、れい(薫の親友で、謎めいた上級生)は彼女を案ずる。

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海辺にて、奈々子と智子(奈々子の幼馴染)は、マリ子(奈々子の級友で、社交クラブ・ソロリティのメンバー)の誕生日パーティーについて話す。この場面はアニメオリジナル。夕暮れに友達がいてくれる状況は、高屋敷氏の担当作に多い。F-エフ-・陽だまりの樹(脚本)と比較。

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奈々子と智子はソフトクリームを食べる。飯テロは、高屋敷氏の定番の特徴。アイスつながりで、チエちゃん奮戦記・ミラクルガールズ(脚本)と比較。

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今回は、友達と食べるのが大事であり、同氏は、「食と心」にこだわりがあると考えられる。

夕焼けの海を船が行く。監督の出崎統氏も、高屋敷氏も、船にこだわる。高屋敷氏の場合、(絵をいじれない)脚本作でも出崎演出的な船が「出力」されるのが毎度不思議なところ。めぞん一刻・アカギ・ルパン三世2nd(脚本)と比較。

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奈々子と智子は、ランニングする薫(体育会系だが、病を抱える)を見かけ、挨拶する。

その後、電車内で奈々子が物思いにふける場面で、鉄橋と夕陽が映る。鉄橋+太陽は出崎統監督の定番演出だが、高屋敷氏も出してくる。エースをねらえ!(演出)、忍者戦士飛影めぞん一刻(脚本)と比較。
これも、脚本作での「出力」が不思議。

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翌朝、マリ子は奈々子の手に触れようとするが、誕生日パーティーで見せた、マリ子の異様な執着心を恐れた奈々子は、それを拒否。
手と手のコミュニケーションは多い。
F-エフ-(脚本)、宝島(演出)、あんみつ姫カイジ(脚本)と比較。

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奈々子は智子と昼食を取ることにし、智子はそれを喜ぶ(アニメオリジナル)。
智子の台詞は中々ウィットに富んでおり、高屋敷氏の筆がノッている感じがする。
そして、ここも特徴の飯テロ。サンドイッチつながりで、ミラクルガールズ・めぞん一刻(脚本)と比較。

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マリ子は、(奈々子の分を想定した)二人分の食べ物を手に、奈々子と智子を覗いた後、食べ物を置き去りにする(アニメオリジナル)。「孤独」を、高屋敷氏は深刻な事として取り扱う。MASTERキートン(脚本)と比較。
ここも、「食と心」の関係が見える。

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一方、薫は発作を起こす。ライオンの噴水の意味深なアップ・間があるが、こういった「物言わぬもの」が醸し出す「間」は多い。空手バカ一代(演出)、ルパン三世2nd(演出/コンテ)、カイジ(脚本)と比較。

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発作で苦しむ薫は、れい(薫の親友で、謎めいた上級生)から鎮痛剤を貰ってくるよう、奈々子に頼む。
当のれいは、ゲストに呼ばれた演劇部で、劇の練習をしていた(原作では歌)。
ライトのアップ・間があるが、ランプ演出は高屋敷氏の担当作に実に多い。らんま・RIDEBACKカイジ2期(脚本)、空手バカ一代(演出/コンテ)と比較。

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薫が倒れ、薬が必要だと、奈々子はれいに必死に訴えるが、れいは不思議な言動・挙動をするばかり。
友達が苦しんでいるのに…と奈々子は、れいをビンタする。
高屋敷氏はビンタ場面に縁がある。
ベルサイユのばら(コンテ)、めぞん一刻カイジ2期(脚本)と比較。

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れいは、奈々子を「プペ(フランス語で「人形」)」と呼び、ようやく彼女に鎮痛剤を渡し、処方を伝える。ここでも、ライトが印象深い。
高屋敷氏の担当作には本当に、ランプの意味深演出が多い。
グラゼニカイジ(脚本)と比較。どれも点灯・消灯に意味を持たせている。

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奈々子が去った後、れいは「そんなに痛むのか…」と薫を想う(アニメオリジナル)。友情描写の強化が見られる(高屋敷氏が多用する脚色)。
また、「手」で心情を表現する場面は、数々の作品で出てくる。F-エフ-・グラゼニMASTERキートン(脚本)と比較。

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バスケ部の部室で、奈々子に介抱された薫は、運動をしている時の充実感について語る(アニメオリジナル)。ここも、「手」が「語る」。F-エフ-(脚本)と比較。

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どちらも重い病を抱えるも、何かを掴むべく熱く生きる様が描かれている。

手を伸ばし、生きることを熱く語る薫と、蒼天航路(脚本)にて、天に手を伸ばす孫堅が重なる。

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孫堅の場合、時を置かずして命を落としてしまう。
「自分とは何か」は、高屋敷氏が扱う大きなテーマの一つだが、それを突き詰めると、「生きるとは何か」に繋がる。

授業中、奈々子が薫を案ずる場面で、鳥が窓にぶつかる。
出崎統監督と同じく、高屋敷氏は鳥を重用するが、同氏の場合、鳥にストーリー性を持たせる。コボちゃん(脚本)やルパン三世2nd(演出/コンテ)では、一羽の鳥がクローズアップされた。

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マリ子は、話をしようとして奈々子を呼び止めるが、薫が心配な奈々子は去る。ここでも、鳥が意味深に映る。
F-エフ-・陽だまりの樹カイジ(脚本)と比較。

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奈々子がバスケ部部室に行くと、そこに薫の姿は無く、バスケ部員から、彼女が早退したと告げられる。ここもコップのアップ・間がある。このような描写も多い。グラゼニワンナウツめぞん一刻(脚本)と比較。

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薫が心配で、奈々子は薫宅に電話をかけてみるが繋がらず(アニメオリジナル)。電話を印象づける場面は多々見られ(出崎統監督の演出の定番でもある)、コミュニケーションツールとして重要視されているのかもしれない。カイジ2期・MASTERキートン(脚本)と比較。

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病院にて、れいは薫の主治医と話す(アニメオリジナル)。ここで煙草が出てくるが、煙草を使った表現も色々な作品で出る。めぞん一刻カイジ2期・DAYS(脚本)と比較。

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弱気な事を言うれいを、医者は一喝する。グラゼニ(脚本)、宝島(演出)、あしたのジョー2(脚本)ほか、味のある医者は数々の作品で登場する。

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ひとまず回復した薫は、バスケ部の夜間練習のために学校に戻っていた(アニメオリジナル)。
薫は、誰もいない教室で「人は何故この世に生まれてくるのだろうか」と泣く。
この台詞は原作通りだが、タイミングが違う。高屋敷氏は、器用に時系列を操作する。

この場面の薫のような孤独描写は、数多く見受けられる。ベルサイユのばら(コンテ)、元祖天才バカボン(演出/コンテ)と比較。高屋敷氏はあらゆる作品で、孤独は万病のもとで、恐ろしいものであると主張する。

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薫のことを気にかけながら、奈々子は海を見る。船が横切っていくが、これは出崎統監督がよくやる演出。高屋敷氏も、よく出してくる。空手バカ一代(演出)、F-エフ-(脚本)、ルパン三世2nd(演出/コンテ)と比較。このうち空手バカ一代は、出崎統氏のコンテ。

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一方マリ子は、母が用意した食事を拒否し、食卓を滅茶苦茶にする(アニメオリジナル)。元祖天才バカボン(演出/コンテ)やMASTERキートン(脚本)と重なる。

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ここでも高屋敷氏の、「食と心」へのこだわりが出ている。

  • まとめ

まず、「食と心」に関する、高屋敷氏のポリシーが窺える。友達や家族と食べれば美味しいし、独り寂しいと食べたくなくなる…と、「心」や「幸福度」を左右する重大なものとして描かれる。ワンダービートS(脚本)では、食事は人類にとって重要な事であると主張している。

そして今回目を引くのは、薫の(アニメオリジナルの)台詞の数々。彼女が、運動することの素晴らしさについて語るあたりは、元野球部で、高校の野球部の監督も務めた高屋敷氏の持論が出ているのかもしれない。

薫も、F-エフ-*1(高屋敷氏シリーズ構成・全話脚本)の聖(主人公・軍馬のライバル)も、重病を抱えつつも手を伸ばす。この重なりは興味深い。
「自分とは何か」(高屋敷氏が提示するテーマの一つ)を突き詰めた先にある、「生きるとは何か」が、やはり本作ではキーとなって来るかもしれない。

そして、高屋敷氏がこだわりを見せる「孤独」についても注目したい。今回は、マリ子や薫の孤独にスポットが当たっている。薫は病がメンタルにも響いて来ており、マリ子の場合は、孤独が心身を蝕む。
どちらも深刻なものとして描かれる。

高屋敷氏は、そういった孤独が救済されるルートと、救済されないルート、どちらも描いてきている。時には原作を大改変することすらある。救済ルートでは仲間や家族の温かさが前面に出され、救済されないルートでは、破滅や死にまで至る時がある。

孤独が救済されるにしろ、されないにしろ、孤独は恐ろしいものであるという主張は一貫しており、様々な作品の感動要素になっている。
初期(ど根性ガエル演出あたり)の頃からある特徴なので、高屋敷氏の個人的な何かがルーツと思われる。

今回、奈々子のモノローグ(アニメオリジナル)で、人は人の全てを理解することは不可能でも、人を気にかけ、胸を痛めることができることが語られている。
こういった所も、長年「孤独」に取り組んできた高屋敷氏の熱意が感じられる。

カイジ(シリーズ構成/脚本)でも、全ての人は孤独であるが、「通信」を行うことができる…ということが(原作通りだが)色濃く出ていた。
原作もジャンルも年代も全然違うのに、高屋敷氏が原作からピックアップ・強調する部分は共通しており、同氏の仕事を追う醍醐味は、やはりある。

*1:当ブログの、F-エフ-に関する記事一覧:
http://makimogpfb2.hatenablog.com/archive/category/%23F-%E3%82%A8%E3%83%95-