カイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんの軌跡

アニメカイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんに興味を持って調べてみたら、膨大な量の担当作があることがわかりましたので、出来る限り同氏担当作を追跡しています。discordアカウントは、まきも#3872 です。

元祖天才バカボン16話A演出コンテ:童心の大切さ

Togetterのバックアップです。修正や追加などで再構成しています。)

冒頭、バカボンとパパが鼠小僧ごっこをしているのだが、動きや絵面が幼い(特徴)。これは脚本でも出る特徴で、大人も子供も「幼さ」が強調される。

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パパとバカボンがドタバタするので勉強できない天才児・はじめちゃんは外に出る。外に出た所で、はじめちゃんは近隣のター坊の母に会い、彼女からター坊の家庭教師を依頼される。はじめちゃんは早速ター坊の勉強を見ることにするが、これまたター坊は幼く(特徴)、バカのレベル。

ここで、問題文に楽屋ネタ。「こういちくん(原画:槌田幸一氏?)とひでおくん(高屋敷英夫氏)は7lのお水を30分で飲むことにしましたが、とても水では2lぐらいしか飲めません。そこで2人は…」とある。楽屋ネタは演出でも脚本でも、よく出てくる。 

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その後もター坊は勉強する気が全く無く、はじめちゃんを呆れさせる。あと、ター坊はよく歌う(特徴)。ところで脚本は城山昇氏なのだが、城山氏の脚本だと、奇行を行うキャラがよく出てくる。

様々な奇行をするター坊に、流石のはじめちゃんも匙を投げて帰る。

そうは言っても、謝礼はちゃんと出て、はじめちゃんは、ター坊の母からケーキを貰う(特徴:飯テロ)。他作品でもケーキはよく出るが、家庭教師ということで、めぞん一刻脚本で出たケーキと比較。めぞん一刻も、勉強を教えた事への謝礼。

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ケーキを見たパパは、家庭教師をすれば、いい物を貰えると思い込み、ター坊宅に家庭教師をしに行く。だが、ター坊のペースに巻き込まれ、結局一緒に遊ぶことに。ここでパパとター坊が踊るのだが、幼い(特徴)。家なき子演出でもよく踊っていた気がする。

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二人は、紐でつないだ相手をぶん回す「飛行機ごっこ」をやる。特徴である、出崎哲氏ゆずりの回転演出。画像は今回と、ど根性ガエル演出(コンテは出崎哲氏)、じゃりん子チエ脚本。脚本でもよく出てくるのが怪。

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だが勢いあまって、パパはツボの中に落下してしまう。ここがまさにツボで、他作品によくある、「まるで1キャラクターのような無機物のアップ」という特徴の種明かし。まるで人が入っているような存在感があるということ。脚本でもこれが発揮される。

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パパは結局、ター坊の父に、ツボに入ったことを叱られ、外に投げ飛ばされる。という訳で、パパは何も貰えなかった。
画像は先に述べた、存在感のある無機物たち。挙げればキリがないが、めぞん一刻脚本と比較。

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ところで、ター坊と大違いで真面目だと評判のター坊の父は、実は会社ではター坊そっくりで幼く遊び好きだった。同じく遊び好きの社長と一緒になって、飛行機ごっこをする。
幼く可愛いおっさんが出るのも特徴。画像は今回とワンナウツ脚本。

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その頃パパも、飛行機ごっこをバカボンやはじめちゃんとやっていた。結局パパは、ター坊に新しい遊びを教えてもらった形になったのだった。遊ぶ3人が可愛い(特徴)。

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  • まとめ

今回の肝は「童心」と「魂のある無機物」。
あと、教育や親子関係についても考えさせられる。ター坊の母は決して教育ママではなく、お調子者で明るいター坊の性格は尊重している。

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 また、実はター坊そっくりな、ター坊の父についても考えさせられる。

親が子供の人格を否定すると、互いに不幸になる。それを考えると、ター坊母子の関係は、ある程度うまく行っている。バカには変わりないが…。また、ター坊の父と、その上司は、童心に帰って遊ぶことで、ストレスを解消している。これも心理的に大切。

思えば同氏シリーズ構成・脚本のアカギでも、アカギは童心を持っている(特に札束を平坦な顔で見つめる場面)。博打はある程度バカにならなきゃできないし、童心に近い純粋な心も必要になってくる。これはカイジも同じ。カイジは純粋さを逆手に取り、勝ちを得たりしている。

同氏の作品に年齢問わず「幼さ・可愛さ」が出てくる理由は謎ではあるが、それにより、シリーズ物だと緩急がつく効果がある。特にエースをねらえ・家なき子演出だと、演出ローテ相手の竹内啓雄氏と極端な違いが出てくる。どうやら班も違うっぽい?

ともかく今回は、同氏の特徴である可愛さ・幼さ・童心の大切さ、が剥き出しになっている話とも言える。色々見てきたが、城山昇氏の脚本は、監督や演出の本質を捉えるのが上手い。それもあり、同氏の意向を探る上で重要な回だった。