カイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんの軌跡

アニメカイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんに興味を持って調べてみたら、膨大な量の担当作があることがわかりましたので、出来る限り同氏担当作を追跡しています。ツイッターアカウントは@makimogpfbです。

空手バカ一代36話演出:孤独と向き合う強者たち

アニメ・空手バカ一代は、同名漫画のアニメ化作品。空手家・飛鳥拳(実在した空手家・大山倍達がモデル)が、己の空手道を行くために、国内外の強敵と闘っていく姿を描く。
監督は岡部英二・出崎統氏。
今回は、脚本が小森静男氏、コンテが出崎統氏、演出が高屋敷英夫氏。

まず少し解説しておくと、東京ムービーのクラシック作品では、監督を「演出」、各回の演出を「演出助手」と表記している場合が多い。本作もその形式を取っているので、演出助手=各回の演出とカウントする。

クラシック作品では、この演出部分の好みやクセが、非常に出やすい。今でも演出といえば、制作における現場監督のような役まわりであるが、昔の作品は、演出によって絵柄や雰囲気、アフレコの具合まで極端に変わってしまう場合が多い。この差異の推測としては、班が分かれていること(これは今もだが)、競争が激しく、個性を出して頭角を現そうとしていた感じがあること、監督が、割と各演出に自由にさせていたこと、作品によっては監督不在であったこと、などが挙げられる。

いずれにせよ、エースをねらえ!家なき子などの、出崎統監督作品における竹内啓雄氏・高屋敷英夫氏の演出は極端に異なり、いち視聴者の私でも明確にわかるほど。

今回もそれが表れており、久々に本作でコンテを切った出崎統氏の効果も相まって、今までの回とガラリと雰囲気が変わっている。

話は、バリ島にて、カマキリ拳と言われる古武術の覇者・セオロと、飛鳥の決闘が描かれる。

冒頭に地図が出てくるが、高屋敷氏はよほどの地図好きと見え、演出・脚本ともに地図が頻出。挙げればキリがなくなってきたが、ルパン三世2nd脚本と比較。

f:id:makimogpfb:20180325010058j:image

飛鳥が、現地の日本人ホテルオーナー・斉藤と一緒に夕日を眺めるシーンで、高屋敷氏の大きな特徴である、意味深な太陽のアップ・間がある。この独特の、何か意思を持っているような「間」は、今回の場合は演出なので、比較的自由に調整できたと思うが、絵に関与できない脚本作でも同じような「間」が発生しているのが謎な所であり、かつまた高屋敷氏の魅力である。画像は今回、エースをねらえ!演出、ベルサイユのばらコンテ、蒼天航路脚本。

f:id:makimogpfb:20180325021116j:image

高屋敷氏の特徴の一つ、炎の意味深アップもある。こちらも今回は演出なので、独特の「間」を、自身で調整できている感じがある。脚本の場合は、ストーリーとの関連付けが濃くなっており、時を経れば経るほど、「間」の凄みが増す。蒼天航路ジョー2・太陽の使者脚本と比較。

f:id:makimogpfb:20180325021244j:image

あと、出崎(兄弟とも)演出の代名詞とも言える、船横切りもある。今回は監督の一人が出崎統氏であり、コンテも出崎統氏であるので当然ではあるが、高屋敷氏単体でも出てくる(演出・脚本とも)。画像は今回と、ルパン三世2nd演出。

f:id:makimogpfb:20180325021319j:image

斉藤が、ライバル会社が差し向けた刺客と戦う場面で、剣か宙に舞うシーンがあるが、ベルサイユのばらの、高屋敷氏コンテ回にも似たような場面がある。しかも、演出は出崎哲(出崎統氏の兄)氏。高屋敷氏と、出崎兄弟の繋がりは、いつも面白い。

f:id:makimogpfb:20180325021402j:image

飛鳥が斉藤に、カマキリ拳法について尋ねる場面では、ランプの意味深なアップ・間がある。これも、高屋敷氏の特徴の中ではおなじみ。もともと私がこれに気付いたのは、家なき子の高屋敷氏演出回。そのくらい、家なき子の演出ではランプが活躍する。
画像はワンナウツ脚本との比較。虫と絡めた演出すら似てくる。かたや演出、かたや脚本…。とにかく不思議。

f:id:makimogpfb:20180325021452j:image

バリ島のイメージとして、色々な像が出てくるが、像も、高屋敷氏の演出や脚本では、よく出る。じゃりん子チエ脚本と比較。

f:id:makimogpfb:20180325021521j:image

色々な予兆や状況を示す、月の意味深なアップ・間も出る。高屋敷氏は、太陽や月を「全ての事象を見ることができるキャラクター」と捉えているようで、こういった月の描写も顕著。元祖天才バカボン演出、じゃりん子チエ・蒼天航路脚本と比較。

f:id:makimogpfb:20180325021551j:image

カマキリ拳法の道場にて、飛鳥が試合を申し込むも断られる場面では、かつてカマキリ拳法と戦って命を落としたボクサーのグローブが映る。ここも独特の間が発生する。また、「魂があるかのようなグローブ」といえば、高屋敷氏が脚本を書いた、あしたのジョー2最終回にも出る。

f:id:makimogpfb:20180325021629j:image

これも、「万物に魂がある」と捉えている感がある、高屋敷のポリシーが関わっていると思われる。

カマキリ拳法の使い手だがゴロツキの男・バスクと、飛鳥が対峙するシーンでも、意思があるかのような像が「見ている」。あしたのジョー2脚本と比較。

f:id:makimogpfb:20180325021716j:image

今回、出崎統氏のコンテというのもあり、あしたのジョー2(監督は出崎統氏)とのシンクロが色々ある。あしたのジョー2高屋敷氏脚本回(監督・コンテは出崎統氏)と比較。今回のバリ島も、あしたのジョー2のハワイも、エキゾチックな文化が描かれている。

f:id:makimogpfb:20180325021750j:image

斉藤が、かつてのカマキリ拳法の覇者で、他流試合でボクサーを殺してしまった男・セオロについて語るシーンでも、高屋敷氏特徴のランプ演出が出てくる。当時の制作技術の未発達さのおかげで、ランプ演出をしたいという念の強さを、逆に感じることができる。ワンナウツカイジ2期・蒼天航路「脚本」と比較。

f:id:makimogpfb:20180325021827j:image

山籠りをしているセオロを飛鳥が訪ねるシーンでは、セオロが太陽を背に現れる。
太陽や月が、人と人を引き合わせるような、高屋敷氏の雰囲気作りが感じられる。蒼天航路脚本でも、月が人と人を引き合わせる。

f:id:makimogpfb:20180325022126j:image

セオロは、試合でボクサーを殺めてしまったことを気にかけ、ボクサーの供養をしながら山にこもっていた。「孤独」「孤独からの救済」も、演出・脚本ともに高屋敷氏の作品にはよく出る。
あしたのジョー2高屋敷氏脚本回では、今回と同じように、対戦相手を殺してしまったホセの孤独が描かれている。ホセには丈が、今回のセオロには飛鳥が来て、幾分かの救済が成されている。

f:id:makimogpfb:20180325022550j:image

飛鳥に負けたことを逆恨みしたバスクに銃で撃たれ、飛鳥は頬にかすり傷を負ってしまうが、セオロは、血を拭けとばかりに、手拭いを投げてくれる。相手が必要としているものを渡す「贈り物演出」も、高屋敷氏の作品によく出る。
画像は今回と、蒼天航路・太陽の使者鉄人28号コボちゃんミラクル☆ガールズ脚本。どれも心がこもっている。

f:id:makimogpfb:20180325022748j:image

錯乱して手がつけられない状態のバスクを、元・師匠として責任を取ると言って、セオロが討つ。かつての弟子を手にかけたセオロは、涙を流す。ここも、あしたのジョー2脚本の、戦えば戦うほどライバルを壊してしまい、孤独になってしまうホセと被ってくる。

f:id:makimogpfb:20180325022358j:image

そしていよいよ、セオロと飛鳥の対決となる。飛鳥はセオロの剣により腕を負傷するも、一瞬の隙を捉えて勝利する。
飛鳥は、セオロの事を忘れない、たとえ自分が忘れても、自分の腕と血が、この事を覚えているだろう、と言う。

f:id:makimogpfb:20180325022916j:image

ここも興味深く、あらゆる演出や脚本で、手や足など、体のパーツにも魂があると捉えているらしき高屋敷氏のポリシーが感じられる。実際、監督作の忍者マン一平では、(原作通りだが)主人公・一平の目玉が意思を持ち、喋る。

セオロとの勝負を終え、バリ島を後にする飛鳥は、夕陽を見つめる。太陽と乗り物の組み合わせも、演出・脚本ともに、よく出る。ベルサイユのばらコンテ、太陽の使者鉄人28号脚本、ルパン三世2nd演出と比較。

f:id:makimogpfb:20180325021054j:image

画像(上段右)の、ベルサイユのばらの演出は出崎哲氏。哲氏は太陽や月を横切るタイプ。今回含め、統氏は太陽や月に向かっていくタイプ。兄弟で出る差異が面白い。そして、高屋敷氏は二人のハイブリッド的な所がある。

  • まとめ

今回の目玉は、高屋敷氏の太陽・月・ランプ演出の初期タイプが見られたことと、孤独・孤独救済描写。

ランプ演出については、当時の技術が足りなかったおかげで、演出の意図がより明確になっているのが大収穫だった。
単なる時間稼ぎや時間経過表現ではなく、高屋敷氏が非常に意識しているものだということが、これではっきりした。

今回が、今までと違う点の一つに、ナレーションの多用がある。ナレーションは、カイジ脚本・シリーズ構成はじめ、他の高屋敷氏の作品でも多用され、じゃりん子チエで初めてナレーションが使われた回の脚本が高屋敷氏である。なかなか興味深い。

これは、万物に魂があるという高屋敷氏のポリシーから考えるに、同氏が、ナレーターも重要キャラクターと捉えているからではないだろうか。現に、監督作忍者マン一平では、ナレーター役の、学校仮面というキャラがおり、活躍している。

そして、孤独描写。飛鳥のモノローグでも、セオロが自分と同じ孤独を抱えていることが語られる。その共感が、幾分かの、互いの孤独の救済になっている。

こういった、男と男による心の交流は、あしたのジョー2やワンナウツ脚本でも描かれている。

あしたのジョー2では、ホセ・丈ともに対戦相手を壊してしまう孤独を抱えており、二人は何かしらの共感を覚える。
ワンナウツでは、互いに足りないものを見つけたような、児島と渡久地(後に児島と同じプロ野球チームに入る)の、心の交流が描かれている。

f:id:makimogpfb:20180325022040j:image

そういった心の、いや魂の交流は、高屋敷氏の様々な作品に出ている。アカギやカイジの脚本・シリーズ構成でも、それは出ていて、アカギと鷲巣、カイジと兵藤会長といった、主人公とラスボスの、心と心の対話が描かれている。
そして、それを見守るのが太陽や月、物、自然などであることが、比較的初期の作品である今回で剥き出しになっており、貴重な回だった。