カイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんの軌跡

アニメカイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんに興味を持って調べてみたら、膨大な量の担当作があることがわかりましたので、出来る限り同氏担当作を追跡しています。discordアカウントは、まきも#3872 です。

F-エフ-5話脚本:老人が築く絆

アニメ・F-エフ-は、六田登氏の漫画をアニメ化した作品。破天荒だが天才的なドライビングテクニックを持つ青年・赤木軍馬が、様々なドラマを経てレーサーとなり、数々の勝負を繰り広げていく姿を描く。
監督は真下耕一氏で、高屋敷氏はシリーズ構成・全話脚本を務める。
今回は、コンテ・演出が古川順康氏、脚本が高屋敷英夫氏。

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  • 今回の話:

軍馬は免許を取るべく、自動車教習所の教官でもある純子(同じアパートの住人)の個人授業を受ける。下心丸出しの軍馬を何とかいなして、純子は色々と軍馬に叩き込むも、軍馬は、純子達の車で爆走したりと、やりたい放題。試験後に軍馬は、前回購入したレースカーで暴走。警察に咎められた軍馬は、得意気に取れたての免許を見せるも、皆に呆れられるのだった。

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本記事を含めた、当ブログにおけるF-エフ-の記事一覧:

http://makimogpfb2.hatenablog.com/archive/category/%23F-%E3%82%A8%E3%83%95-

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早朝、軍馬はトレーニングだと言って、タモツ(軍馬の親友で、天才メカニック)をランニングに誘う。草や水面、電車が意味深に描写されるが、自然や物に役割を与えるのは、高屋敷氏の特徴の1つ。めぞん一刻脚本(下記画像右)でもそうだった。

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ランニングがてら、タモツは、免許取得のための練習問題を軍馬に出題するが、軍馬の解答は尽く滅茶苦茶。
軍馬とタモツの描写が、原作より若干幼い。幼く無邪気な友情描写は、高屋敷氏の担当作には多い。めぞん一刻コボちゃん・DAYS脚本と比較。

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ランニング後の、蛇口のアップが意味深。顔を洗う軍馬とタモツの場面は、アニメオリジナル。前回(実は軍馬のための金とはいえ、軍馬がタモツの預金を勝手に下ろしてレースカーを購入)のわだかまりを、水に流そう的な意味かもしれない。
めぞん一刻脚本(下記画像右)にも、似たような意味深な蛇口の場面がある。

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純子(同じアパートの住人)は、前回タモツに懇願されたこともあり、軍馬に、自動車免許取得の為の個人授業をすることを引き受ける。さゆり(純子の叔母で、アパートの大家)も、一緒に個人授業を受けたいとせがむのは、アニメオリジナル。可愛い老人描写は、高屋敷氏の作品には多い。ベルサイユのばらコンテと比較。

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下心丸出しの軍馬は、タモツとさゆりを追い出し、純子と二人きりに。何とか純子を口説こうとするが、アニメでは、どう口説いたかが具体的に描かれている。口説き方が幼く、なんとなくルパン三世2nd演出/コンテの、ルパンと不二子が思い出される。

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個人授業の内容も、アニメではオリジナル追加要素がある。基本、軍馬が幼い。元祖天才バカボン演出/コンテで、パパが家庭教師をする回があるが、その話でも、パパと子供が非常に幼い。
年齢問わず、「幼さ」を描くのが、高屋敷氏は得意。

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軍馬の下心をいなすため、純子は、コーヒーカップを軍馬の頭上に置く。
これもアニメのオリジナル要素。ちょっとだけ頭を使う方法なのが、頓知やイカサマを多く表現してきた、高屋敷氏らしい。元祖天才バカボンの演出/コンテや脚本でも、パパが巧みな頓知やイカサマを多く使う。

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アパートの住人達とさゆりは、純子が無事に部屋から出てきたことを喜ぶ。高屋敷氏の作品では、演出作・脚本作ともに、何故か喜び方が幼く・可愛くなる。
監督作忍者マン一平、チエちゃん奮戦記・DAYS脚本と比較。

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そして、タモツが整備したばかりの、純子のレースチーム車に乗った軍馬は、キーが光るのを見て、エンジンをかけてしまう。
ここも、キーが意思を持つように描かれている。意思を持つような「物」の描写は、高屋敷氏の特徴の1つ。蒼天航路めぞん一刻脚本と比較。

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軍馬は、タモツ・純子、啓太とヒロシ(純子のレース仲間で、同じアパートの住人)を乗せたまま、街を爆走。流石の運転技術で、軍馬は落ちてくる積み荷を避けながら走行。ここの作画やカメラワークは凄い。

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だが、ガードレールをかすめたため、車はストップ。皆が気を失ったことを確認した軍馬は、この隙に純子にキスしようとするが、寸前で目覚めた純子からアッパーカットを食らうのだった。

後日。筆記試験にて、軍馬は、さゆりに鉛筆転がしの極意を教える。ここはアニメのオリジナルで、やはり老人との交流が微笑ましいのが、高屋敷氏らしい。ベルサイユのばらコンテ、めぞん一刻脚本と比較。

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さゆりは落ちたものの、軍馬は筆記試験を奇跡的に突破。実技試験の結果を待つ間、さゆりは赤飯を用意。ここでも赤飯の意味深な「間」がある。めぞん一刻・怪物くん・チエちゃん奮戦記脚本と比較。

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試験から帰ってきた軍馬は沈んでおり、皆は、「落ちた」と思い込む。
原作通りではあるが、仲間達がいる、という「孤独救済」描写は、高屋敷氏の作品に数多い。ど根性ガエル演出、元祖天才バカボン演出/コンテと比較。

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軍馬は、(前回購入した)レースカーのエンジン音が聞きたいと言い出す。タモツはエンジンをかけてやりながら、「おめえらしくねえだよ、そういう態度」と言う。原作通りだが、強調されている。
めぞん一刻脚本でも、一ノ瀬が、「そんな顔似合わないよ」と響子を励ます場面が強調されている。
どちらも、厚い友情が描かれている。

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エンジンがかかると、軍馬はレースカーを発進させ、「何人たりとも俺の前は走らせねえ」と暴走。ここの映像も凄い。

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警察とのカーチェイスの結果、またもガードレールにぶつかり、レースカーは停止。取れたての免許を得意気に見せる軍馬だったが、警察にも、純子達にも呆れられるのだった。

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  • まとめ

さゆりの初登場時から感じていたことだが、高屋敷氏はこういった可愛い老人が好きなようで、原作より登場場面が多い。冷たい家庭環境にあった軍馬の孤独を、さゆりが癒していくような、そんなサイドストーリーも構築されていっている。

さゆりだけでなく、タモツ、森岡(タモツの知人で、モーターショップを営む)、純子、啓太、ヒロシなど、軍馬を取り巻く人々が増えて行く様も描かれる(まだまだ啓太・ヒロシと打ち解けるのは先だが)。
こういった「孤独救済」を、高屋敷氏は様々な作品で描いている。

今回の、軍馬の免許取得作戦は、原作よりも「仲間のつながり」を強調しているように感じた。タモツが懇願しなければ、純子が個人授業を引き受けることもなかったのをはじめ、皆がいたからこそ、軍馬は免許を取れた(軍馬にその自覚があるかは別として)。

「皆がいるから自分がいる」は、初期作の、ど根性ガエル演出をはじめ、実に多くの高屋敷氏の作品で強調されてきた。
元祖天才バカボン(演出/コンテや脚本)のパパは、軍馬顔負けの非常識キャラだが、温かい仲間や家族に囲まれている。
パパの場合、たまにそれを自覚し感謝するが、軍馬の場合は、どう描かれるのだろうか。

勿論、原作との兼ね合いもあるし、前回では、タモツと軍馬の、天才同士ならではのシビアな関係が描かれた。それでもなお、人と人との絆の温かさは、隙あらば強調したい意向が、高屋敷氏にはあるのではないだろうか。

忍者戦士飛影脚本でも、カイジ脚本でも、「友情」「信頼」に懐疑的なキャラが出て来ており、印象深く描写される。それでも、ジョウ(忍者戦士飛影主人公)もカイジも、人を信じることを止めない傾向にあり、そちらも強調される。
そういった主人公であってほしい、という、高屋敷氏の願いのようなものが込められているように感じる。

めぞん一刻最終回脚本や、あしたのジョー2脚本でも、主人公が、「皆がいるから自分がいる」ことを自覚する。ただ、それがわかるまでの道のりは長く、険しかった事も描かれる。本作の場合、この、高屋敷氏が長年取り組んでいるテーマがどう絡んで来るのだろうか。その点でも、興味は尽きない。