カイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんの軌跡

アニメカイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんに興味を持って調べてみたら、膨大な量の担当作があることがわかりましたので、出来る限り同氏担当作を追跡しています。discordアカウントは、まきも#3872 です。

F-エフ-シリーズ構成:人の思いを背負って走る「自分」

アニメ・F-エフ-は、六田登氏の漫画をアニメ化した作品。破天荒だが天才的なドライビングテクニックを持つ青年・赤木軍馬が、様々なドラマを経てレーサーとなり、数々の勝負を繰り広げていく姿を描く。
監督は真下耕一氏で、高屋敷氏はシリーズ構成・全話脚本を務める。

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本記事を含めた、当ブログにおけるF-エフ-の記事一覧:
http://makimogpfb2.hatenablog.com/archive/category/%23F-%E3%82%A8%E3%83%95-

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今回は、高屋敷氏の、本作における「シリーズ構成」を中心に考察し、シリーズ全体をまとめていきたい。

まず1話からして、このシリーズの軸の一つが「軍馬と聖(軍馬のライバル)の物語」である事を、強烈に印象づけている。
1話23話の、夕陽を絡めた強調(アニメオリジナル)も上手い。また、あしたのジョー(特に2)の脚本経験も存分に生かされている。画像は、あしたのジョー2(脚本)との比較。

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1話の聖の台詞「サーキットじゃな、お前より速いやつはゴマンといるんだぜ」(原作では別人の台詞)を、軍馬と聖の再会時の合言葉として使い、最終話の「世界には…お前より速い奴は…ゴマンといるぜ…世界には…」(アニメオリジナル台詞)に繋げるという構成にも唸る。

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1話2話では、父と子の確執を通して「自分の存在理由」、「自分とは何か」も描かれる。軍馬は、聖の言葉や、父との口論から、レーサーになるという目標を立て、「男の顔」になって上京していく。この、上京シーンの追加も見事だった。

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原作では、長きにわたり「父と子」の物語が展開されるが、アニメでは、どちらかというと「自分」というものを描く構成になっていく。これは、高屋敷氏が過去~現在まで投げかけているテーマで、同氏の並々ならぬこだわりが感じられる。本作はオリジナルも多く(しかも根幹に関わる)、同氏のアグレッシブな情熱も窺える。

3話では、タモツ(軍馬の親友)の母・タツが「自分の思う通りに生きろ。それが男っつうもんだ」と言う(アニメオリジナル)。こちらも、高屋敷氏が、あらゆる作品で出す「自分の道は自分で決めろ」が表れている。
カイジ(シリーズ構成・脚本)でも、カイジが覚醒するにつれ、自分で道を決めるようになっていく。

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つまりシリーズ序盤では、「自分とは何か」→「自分の道は自分で決めろ」が丁寧に描かれている。上京というシチュエーションも、それにマッチしており、何故アニメで、軍馬やタモツの上京シーンをじっくり追加したのかが見えてくる。

1クールの約半分に当たる6話では、純子(ヒロインの一人)の亡き恋人でレーサーだった龍二が見ていたという、「得体のしれない何か」を、再び見せてやると軍馬が宣言。このあたりで、自分=人の思いを背負って走るレーサーとなるのだ、という具体的な目標が出来ていく。ここでも「自分とは」が突き詰められる。

この「得体のしれない何か」は、25話にて、覚醒した軍馬が見せることになる(原作とはニュアンスが異なる)。こうした伏線回収もドラマチックかつ、高屋敷氏の構成技術が光る。また、6話25話も、軍馬と純子の心の交流が描かれており、その繋がりも見事。

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7話の完全オリジナル回では、軍馬はユキ(もう一人のヒロイン)の思いも背負うことになる。
聖は、「奴は“今”を走っている」と軍馬を評し、「走るしかない」とも言う。
「自分」を確立し、人の思いを受け止めるには「走る」しかない、レーサーの生き方が提示されていく。 

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そして1クール節目の13話では、タモツの「赤木軍馬という男は、皆の夢を叶えてくれる男だべ」(ほぼ原作通り)に対し、軍馬は「これでも一応レーサーなんだぜ」と応える(アニメオリジナル)。ここで彼は「自分=レーサーである」と覚醒し、父の幻影を打破し、その先にいる聖に挑む。

どんなにダメージを負ったマシンであろうと、どんなに周回遅れであろうと、聖を一瞬だけでも抜こうとする軍馬の姿は感慨深く、そのボルテージは凄まじい。しかも、殆どがアニメオリジナルなのが驚き。

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整理すると、序盤にて自分の道を自分で決め、0.5クールで自分の具体的な使命・目標が定まり、1クールの節目には「自分とは何か」が確立される流れとなる。この構成力には本当に敬服する。アカギやカイジワンナウツなどのシリーズ構成においても、このような緻密な構成技術が見られる。

15話の白タク稼業回では、赤ちゃんの両親から代金を取らないという、原作と真逆の行動を軍馬が取る。これは13話のアニメオリジナル展開で、彼を大きく成長させた故の措置だと思われる。ともあれ、彼の魅力が倍増しており、印象深い。

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1617話では、資金難から「レーサーである自分」と、親友のタモツを失う危機に陥り、軍馬は故郷へと赴く。そこで亡き母の愛を噛み締めるが、彼は故郷と決別。また、ユキの変貌は、いつまでも子供でいられないという、青春のほろ苦さが出ている。

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この、シリーズ折り返し地点にて「青春と、その終焉」という、あしたのジョー2(脚本)でも出た要素が表出。
高屋敷氏脚本の、あしたのジョー2最終回では、丈は真っ白に燃え尽きる。それは青春の終焉でもあった(サブタイトルも、「青春はいま…燃え尽きた」)。同氏の、あしたのジョー2に対する思い入れが炸裂している。

18話では、「走らなければ生きていけない」軍馬と聖の宿命が語られ、20話では、軍馬のFJ1600レース初優勝と、タモツとの別れが描かれる。初優勝を機に、タモツに依存気味の軍馬がタモツに突き放される格好になり、彼の大きな転機となる。

2122話では、タモツ抜きで走らなければならない軍馬の試練(孤独との戦い)、23話では、不治の病を抱える聖の、「死ぬまで生きてみせる」という覚悟が描写される。
そして、夕陽が聖の前に軍馬を「連れてくる」。前述の通り、高屋敷氏が脚本参加した、あしたのジョー2の要素が非常に強く、驚かされる。

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2425話では、軍馬が遂にプロとしてF3に上がる。この段階になると、青春の終焉に向かう流れが色濃くなり、軍馬の成長も著しい。初めて乗るF3マシンを乗りこなし、「得体の知れない何か」を見る境地に至った彼は、前述の通り、純子との約束も果たす。2クールを迎える直前に、この展開にした技術も凄い。

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2629話のアニメオリジナル展開は、軍馬が13話で確立した「自分はレーサーである」という境地を激しく揺さぶる。軍馬はマシンとライセンスを失ってアイデンティティ喪失の危機に陥り、ライセンスが戻ったと思ったら、純子と大喧嘩。更に異母兄・将馬と殴り合って身も心もズタボロになる。

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そんな軍馬を引っ張り上げたのは、もう一人のヒロイン・ユキであった(30話序盤のアニメオリジナル展開)。ユキの語る「私の知ってる軍馬様」は、他者から見た軍馬であり、ここでも軍馬は「自分」と向き合う事になる。

ユキもまた、軍馬が、走らなければ生きていけない人間であることを理解しており、彼女の「走って」という言葉は、「生きろ」と同義語。
将馬に囲われ、自分の道を閉ざされた彼女は、全てを軍馬の夢に捧げており(莫大な資金含む)、だからこそ胸を打つ。

ユキの想いは、13話で軍馬が確立した「自分=人や自分の思いを背負って走るレーサーである」という境地を再び呼び起こすのに十分なものであったと思う。
また、ユキが預かっていた、軍馬の母の指輪が非常に高価なものであり、それが英二郎(タモツの父)のマシンを借りる助けになったのも劇的で、伏線回収が秀逸。

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つまり1クールで軍馬が辿り着いた境地「自分=レーサー」を大きく揺さぶる出来事が、1クール後に起こり続け、2クール目以降、彼はギリギリまで追い詰められる。それは、「自分を保つ」ことが出来るかどうかの試練とも取れる。ここも、高屋敷氏の構成が上手い。

そして30話中盤~最終話、軍馬は聖との、最初で最後のF3レースに挑む。自分とは何かを見つめ、自分を確立し、自分を揺さぶる試練に耐え、軍馬は最後に、自分を超える局面を迎える。一足先に自分を超えた聖が、自分を超える方法を教えてやる…と言うのも良い。

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聖に導かれて自分を超え、優勝した軍馬だが、聖が死んでしまう。激しい勝負の中、常軌を逸した「二人の世界」に行った軍馬は、聖に友情や愛情を超えた感情を抱くようになり、聖の亡骸を抱きしめ、彼を担いで歩く。様々な人の思いを背負った軍馬だが、最後の最後に聖の思いを背負う。

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この時点で、軍馬は13話の「これでも一応レーサー」から、「人の思いを背負う、プロのレーサー」となる。それは成長であると同時に、青春の終焉でもある。

原作では、この後もまだまだ物語は続くが、アニメでは、これを完結とするべく構成したのではないだろうか。

ちなみに、はだしのゲン2(脚本)では、ゲンの母が、ゲンに背負われながら逝く(この逝き方はアニメオリジナル)。本作における、聖の亡骸を背負う軍馬(これは原作通り)と重なるものがあり、感動的。

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そしてラスト、月が見守る中、軍馬はタモツと共に前へ進む(アニメオリジナル)。これもまた、高屋敷氏が、家なき子(演出)や、あしたのジョー2(脚本)で見せた、「旅立ち」展開。「自分」を巡る哲学的・心理学的要素と、青春譚とを合流させる、同氏の巧みな手腕が見られる。

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あと、「裏の主役」として、「全てを見ている太陽と月」の「活躍」が見られる。これは、演出作にしろ、脚本作にしろ、数多く見られる高屋敷氏の特徴であり、本作でも強烈に出た事に驚く。まさかラストを飾るとは思わなかった。原作の裏主役は軍馬の父・総一郎であり、この点でも原作とアニメは大きく異なる。

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高屋敷氏のシリーズ構成は、本作のようにオリジナル多めであっても、原作に忠実であっても、自分のテーマを前面に押し出すのが非常に上手く、相当に我が強いのではないかと思っている。だからこそ、同氏のキャリアは長いのかもしれない。

個人的に、高屋敷氏の紡ぐ「男の物語」は非常に好み。本作にしろ、めぞん一刻(最終シリーズ構成・脚本)にしろ、カイジ(シリーズ構成・脚本)にしろ、「男の成長と生きざま」が感動的に描かれる。本作はそれが期待以上だった。ただただ、同氏に脱帽するしかない。