まんが世界昔ばなし8B話演出/コンテ:甦る鳥
『まんが世界昔ばなし』は、1976年~1979年まで放映されたテレビアニメ。タイトル通り、世界の童話をアニメ化した作品。
今回は『幸福の王子』。脚本が片岡輝氏で、演出/コンテが高屋敷英夫氏。
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- 今回の話:
今回は『幸福の王子』。
金箔や宝石で彩られた、魂を持つ王子像は、親友のツバメに、自身の宝石や金箔を貧しい人に配るよう頼む。
やがてツバメも、身ぐるみ失った王子像も絶命するが、両者は昇天し町の皆を見守るのだった。
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冒頭、海辺の町が舞台ということでカモメが飛んでいる。高屋敷氏が長年一緒に仕事した出崎統氏が鳥の演出を好むが、高屋敷氏も好む。ルパン三世2nd(演出/コンテ)、宝島(演出)、おにいさまへ…(脚本)と比較(宝島と、おにいさまへ…は監督が出崎統氏)。
木葉が舞う中、王子像が映る。木葉が舞う描写は結構見られる。ベルサイユのばら(コンテ)、おにいさまへ…(脚本)と比較。
年が経るにつれ、意味合いが深くなっていく。
町に飛来したツバメは、王子像の足下をねぐらにしようとするが、頭上に雫が当たって上を見上げる。
ツバメの仕草が愛らしい。
宝島(演出)やベルサイユのばら(コンテ)、元祖天才バカボン(演出/コンテ)、ど根性ガエル(演出)ほか、高屋敷氏はキャラの可愛さを引き出すのが上手い。
雫は王子像の涙だった。
空手バカ一代(演出)、ルパン三世2nd(演出/コンテ)、カイジ・太陽の使者鉄人28号(脚本)など他作品では、魂があるかのような像が意味深に映ることがある。本作を見ると、やはり像に意味を持たせているのがわかる。
王子像は、病気にかかった貧しい子供と、その母親のことを可哀想に思う。
母親が縫い物をしているが、母性の表現として、母親が縫い物をする場面はしばしば見られる。宝島(演出)、はだしのゲン2(脚本)と比較。
王子像は涙ながらに、自分の剣に付いている宝石を取り、母子にあげてほしいとツバメに頼む。
涙もろくて優しく、自らは傷つき、利を蹴って人を助けることもある…といえば、カイジ(シリーズ構成・脚本)のカイジに通じるものがある。
ツバメは母子に宝石を届け、喜ぶ彼らを見て、王子像の頼みを聞いてよかったと思う。ランプの上にツバメが止まるが、ランプ演出は頻出。宝島(演出)、F-エフ-・カイジ2期(脚本)と比較。
霜が下りた寒い朝、王子像は、凍えている貧しい児童劇作家に、自分の目である宝石をあげたいと言い出す。原典通りだが、この劇作家、高屋敷氏はじめスタッフの投影の気がする。
宝石を劇作家にあげたため、王子像は片目しか見えなくなってしまう。
朝になり、鳥が飛び交う。ここも多用される鳥描写。宝島(演出)、おにいさまへ…・陽だまりの樹(脚本)と比較。
王子像は、可哀想なマッチ売りの少女に、残っている目の宝石をあげたいとツバメに話す。ツバメは泣くが、意を決して王子の願いを実行する。
愛らしい仕草から一転、決意に満ちた顔になるという表現は、ガンバの冒険(脚本)、宝島(演出)などにもある。
ツバメはマッチ売りの少女に宝石を届け、とうとう王子像は失明する。
少女を助けるツバメといえば、ハローキティのおやゆびひめ(脚本)に出てくるツバメも印象深い。
失明した王子像を放っておけず、ツバメは南へ飛び立つのをやめて、王子像の傍にいるようになる。夕陽が映るが、情緒ある夕陽は頻出。宝島(演出)、おにいさまへ…・F-エフ-(脚本)、ベルサイユのばら(コンテ)と比較。
目の見えない自分の代わりに、町の人々の様子を見てきて欲しいと言う王子像のため、ツバメは冷たい風の中、町を回る。風がドラマを盛り上げる表現は多々ある。RAINBOW-二舎六房の七人-・グラゼニ・めぞん一刻・おにいさまへ…(脚本)と比較。
王子像は、自分の体の金箔を剥がして、困っている人々に配って欲しいとツバメに頼み、次第に金箔を失う。そんな日々の中、雪が降ってくる。雪の中のドラマもよく出る。ハローキティのおやゆびひめ(脚本)、家なき子(演出)、MASTERキートン・じゃりン子チエ(脚本)と比較。
王子像の金箔はすっかりなくなり、そしてツバメは、雪の中凍える。
ハローキティのおやゆびひめ(脚本)では、怪我をしたツバメがおやゆびひめに助けられており、(どちらも原典通りだが)なかなか縁がある。
ツバメは最後の力を振り絞って王子像の肩に乗り、永遠の別れを告げ絶命する。
RAINBOW-二舎六房の七人-・おにいさまへ…・カイジ・F-エフ-(脚本)ほか、かけがえのない者との死別は劇的に描写される。
ツバメが死ぬと、王子像の心臓は割れ、王子像も死ぬ。
カイジ・F-エフ-・めぞん一刻・おにいさまへ…(脚本)ほか、大事な者を失った者の痛みもまた、強調される。
神は、ツバメと王子像の躯を回収して復元し、天から町を見守れるようにするのだった。
おにいさまへ…・カイジ・RAINBOW-二舎六房の七人-・F-エフ-(脚本)ほか、死した者が、残された者を見守ったり、その者の心に棲んだりする描写は印象的なものが多い。
- まとめ
高屋敷氏の担当作に、なぜ像が意味深に映る場面が多々あるのかの答えが探れる。やはり魂が宿っているものとして捉えているのが窺える。本作より前の空手バカ一代(演出)にも像は出ているので、本作がルーツというわけではないのだが。
本作ではツバメが死んでしまうが、それの救済であるかのように、他作品では鳥が活躍する。画像は、めぞん一刻・コボちゃん(脚本)、ルパン三世2nd(演出/コンテ)、宝島(演出)、ハローキティのおやゆびひめ(脚本)との比較。
高屋敷氏は鳥を重視する傾向があるわけだが、不思議な事に(殆ど関与できないと思われる)カイジ2期・RAINBOW-二舎六房の七人-(シリーズ構成・脚本)のOPに、希望の象徴として、光る鳥が出る。また、火の鳥鳳凰編(脚本陣)の火の鳥は、鳥の究極体と言える。
こう見ていくと、高屋敷氏は鳥一羽一羽にエピソードをつけているかのような描写が多い。本作は特にそれが出ているが、もともと鳥に対しイメージを膨らませる傾向があるのかもしれない。
月や花、風についても印象的な描写が多いが、これに前述の鳥を合わせると、まさに“花鳥風月”。
季節に対する情緒が出ていることも多く、“わびさび”が作品に積極的に取り込まれていると言える。
また、神様が「星」のように描写されているのも興味深い。宗教色を極力排除しているのかもしれないが、他の作品でも太陽や月といった「天」への信仰が見られる。
高屋敷氏の死生観についても、少し感じ取ることができる。おにいさまへ…(脚本)では、死者が残された者を見守り、語りかける描写がアニメオリジナルで追加されており、本作でも、死者が下界を見守っている。
つまり、天国とは行かないまでも、「天」に死者の魂が昇り、太陽や月、星と一体となって生者を見守るといった概念が見られる。
これが、全てを見守るような感じを醸し出す太陽や月、星の表現の正体に思える。
あと、先述のように、自己が痛むのを厭わずに人を助ける精神が、不思議とカイジの優しさに受け継がれているように見える。もともと原作の時点で、カイジは幸福の王子的な要素があるが、アニメはアニメで、それが強調されている。
そして、高屋敷氏が長年描いている、友情の大切さ、孤独の恐ろしさも、(原典を利用する形で)出ている。友達を失い、孤独になることは死(またはそれに等しい)だという強いメッセージが発せられている。
本作は(原典通り)王子像とツバメが死んでしまうが、高屋敷氏なりにこの両者の精神を大切にしたいという気持ちがあるのではないかと、他作品での、鳥や優しいキャラの活躍を見ていていると思えて来るのである。