RIDEBACK5話脚本:美と狂気
アニメ『RIDEBACK』は、カサハラテツロー氏の漫画をアニメ化した作品。
元ダンサー・尾形琳を中心に、人型可変ビークル“ライドバック”を巡る混乱を描く。監督は高橋敦史氏で、シリーズ構成が高屋敷英夫氏・飯塚健氏。
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本記事を含めた、当ブログのRIDEBACKに関する記事一覧:
https://makimogpfb2.hatenablog.com/archive/category/%23RIDEBACK
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- 今回の話:
コンテ:小島正幸氏、演出:若林漢二氏、脚本:高屋敷英夫氏。
大まかなコンセプト以外はアニメオリジナル。テロ事件に巻き込まれた琳は、ライドバック(人型可変ビークル)・フェーゴに乗った自分の姿を報道されてしまう。
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テロに巻き込まれた親友・しょう子を救出しGGP(世界を統治する革命組織)の包囲を突破した琳は、武蔵野文芸大学ライドバック(人型可変ビークル)部の皆と合流。雨でドラマを盛り上げるのは、おにいさまへ…・F-エフ-(脚本)などにもある。
一方、佐藤(フリーカメラマン)は、テロの最中に撮った、ライドバック・フェーゴに乗る琳に興味を持つ。信号が映るが、意味深な信号描写はしばしば見られる。F-エフ-・カイジ2期・ワンナウツ(脚本)と比較。
佐藤からの情報で、珠代(武蔵野文芸大学ライドバック部3年生)に興味を持った依田(ジャーナリスト)は、早速取材に行くことにする。アニメオリジナルでジャーナリストを活躍させるのは、あしたのジョー2・F-エフ-(脚本)にもある。
一方、琳は寮にてテロのニュースを見ながら、自分のことが報道されないことに疑問を持つ。琳の手が映る。手による感情描写は頻出。ストロベリーパニック・RAINBOW-二舎六房の七人-・おにいさまへ…・グラゼニ(脚本)と比較。
武蔵野文芸大学のライドバック部ガレージでは、菱田(ライドバック部2年生)らは、琳がテロから逃げる際に関わった物品を燃やす。火による「間」は多い。F-エフ-・MASTERキートン(脚本)、家なき子(演出)と比較。
そこへ琳も来て、成り行きで皆で食事することに。グラゼニ・アンパンマン・ストロベリーパニック(脚本)ほか、仲間内で会食になるアニメオリジナル展開は結構ある。とにかく高屋敷氏は、食にこだわる。
その後依田が来て、珠代についてライドバック部の皆に尋ねる。消えかけた焚き火が映る。ここも意味深な火(消えかけ)の描写。あんみつ姫・ワンナウツ・めぞん一刻(脚本)と比較。
依田は珠代に、それとなくテロ事件時に現れた“ライドバック少女”について聞く。また、珠代の兄(警察幹部)や父(政治家)についても言及し、珠代の機嫌を損ねる。ここも依田が目立ち、あしたのジョー2(脚本)のジャーナリスト、須賀っぽい。
一方、堅司(琳の弟)は、ライドバック暴走族から、欠員補充の誘いを受け快諾する。堅司は相手の手を取って喜ぶのだが、MASTERキートン・ルパン三世3期(脚本)ほか、手と手によるコミュニケーションは多々ある。
居酒屋にて、菱田、すずり(ライドバック部1年生)、琳は乾杯する。ここもやはり、頻出の会食描写。おにいさまへ…・ストロベリーパニック(脚本)と比較。
龍之介(珠代の兄で、警察幹部)は、ロマノフ(GGP日本司令官)とミーティングすることになり、ペンをいじる。ここも数多ある、手による感情表現。ワンナウツ・おにいさまへ…(脚本)と比較。
居酒屋では、しょう子が心配になった琳が退出。入れ替わりに河合(ライドバック部3年生)が来てハムカツを頬張る。飯テロは実に多い。カイジ2期・アンパンマン・グラゼニ(脚本)と比較。
するとテレビで、テロ事件時の琳の姿が報道される。河合は唖然となり、箸を取り落とす。ショックで物が落ちる描写は、しばしば見られる。蒼天航路(脚本)、ベルサイユのばら(コンテ)、おにいさまへ…(脚本)と比較。
龍之介ら警察幹部とロマノフとのミーティングにて、ロマノフは、岡倉(武蔵野文芸大学ライドバック部顧問)と琳をマークしていると話し、ロマノフの部下である横山は微笑する。「原作に無い微笑」は色々な作品で目を引く。グラゼニ・RAINBOW-二舎六房の七人-(脚本)と比較。
琳が映っているニュースを見ながら、依田は軽食をとる。ここも飯テロ。グラゼニ・ストロベリーパニック・おにいさまへ…(脚本)と比較。
当の琳はモノレールに乗り、窓に映る自分の顔を見ながら、テロの時のことを思い出す。“真実”を映す鏡描写は、様々な作品に見られる。めぞん一刻・あしたのジョー2(脚本)と比較。
一方、BMA(反GGPのテロ集団)の一員・キーファは、次なる企てを画策するのだった。ランプが映るが、ランプは頻出。空手バカ一代(演出)、おにいさまへ…(脚本)と比較。
- まとめ
今回も、大まかな流れや設定以外がアニメオリジナルなため、飯テロや、“手”による感情表現などなど、高屋敷氏担当作によく見られる描写が沢山確認できて面白い。
また、色々なキャラの設定が小出しにされており(岡倉が伝説の戦士であることなど)、構成の丁寧さが光る。
グラゼニ(シリーズ構成・全話脚本)でもそうだが、高屋敷氏はキャラの掘り下げが上手い。
今回の終盤で、琳は「どこかで恐怖を楽しんでいる」自分の狂気と向き合うが、「自分とは何か」は高屋敷氏がよく扱うテーマの一つ。これはF-エフ-(シリーズ構成・全話脚本)でも大きく扱われていた。
以前書いた、F-エフ-に関するブログ記事一覧はこちら:
https://makimogpfb2.hatenablog.com/archive/category/%23F-%E3%82%A8%E3%83%95-
F-エフ-(シリーズ構成・全話脚本)の場合は、自分=レーサーであるということ、走ること=生きることであることを、主人公が苦悩しながら掴んでいく流れになっていく。本作は、ダンサーであることが世界の全てだった琳が、それを失った後、ライドバックに出会って物語が始まる。
F-エフ-(シリーズ構成・全話脚本)では最終的に、打ち込むものがモータースポーツのため問題は無いのだが、本作のライドバックは、健全な面と不穏な面がある。また、琳が秘める“狂気”も不穏。その面で本作は難解だが、新鮮でもある。
思えば、あしたのジョー2(脚本)も、死ぬか廃人になるかと隣り合わせのボクシングに、丈が身を投じており、ある意味狂気と言える。「全てを燃やせる生きがい」がある人生は美しいが、やはり狂気もあるということかもしれない。
そうは言ってもやはり、「生きがい」あってこそ「生きる」ということであるといった高屋敷氏のポリシーは感じられる。これはカイジ・カイジ2期(シリーズ構成・脚本)でも強調されている。
よく考えれば、カイジ・カイジ2期(シリーズ構成・脚本)でも、カイジが命を懸けるものはギャンブルであり、健全とは言えないし、作中でも言われる通り“狂気の沙汰”である。それでも“熱く”命を張る姿に視聴者が惹かれるようにできている。
健全とかマトモとかに関係なく、あしたのジョー2(脚本)で描かれたような、何かに“自分の生”を燃やし尽くすことの大切さ、壮絶さ、美しさは、本作でも段々に描かれようとしていると感じられた。