『あしたのジョー2』21話脚本:様々な角度
アニメ『あしたのジョー2』は、高森朝雄(梶原一騎)氏原作、ちばてつや氏画の漫画をアニメ化した作品(第2作)。風来坊の青年・矢吹丈がボクシングに魂を燃やし尽くす様を描く。監督は出崎統氏。
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- 今回の話:
コンテ:出崎統監督、演出:竹内啓雄氏・大賀俊二氏、脚本:高屋敷英夫氏。
東洋チャンピオン・金竜飛との試合を前に、丈は限界を超えた減量に挑む。
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何処かへ消えた丈の帰りを、段平(丈の属するジムの会長)と共にジムで待つ西(丈の旧友)は、自分が減量中にうどんを食べた時、丈に叱られたことを思い出す。食いしん坊描写は頻出。ど根性ガエル(演出)、RAINBOW-二舎六房の七人-・F-エフ-・カイジ2期(脚本)と比較。
段平と西の会話中、やかんが映る。一旦物の描写で「間」を置くのは、しばしば見られる。めぞん一刻・グラゼニ・F-エフ-(脚本)と比較。
段平は、毛布を頭から被って暖を取る。同じような感じで毛布を被る場面は、怪物くん・コボちゃん(脚本)にも出てくる。
葉子(白木ジム新会長)から、丈が白木ジムの、力石(丈のライバル。故人)が減量時に使っていた地下室に籠っている(アニメオリジナル)と聞いた段平は、現場に駆けつけ泣く。カイジ2期(脚本)、ど根性ガエル(演出)ほか、涙もろい中高年キャラは多い。
飲食を断ち、頑なに部屋から出ない丈の限界を待つため、段平は人払いして、ドアごしに丈を見守る。高屋敷氏は、“孤独”を重く取り扱うことが多い。また、人を真に孤独にさせないことにも重きを置く。
葉子は祖父の幹之介と飲みながら、力石が減量していた時のことを回想する(アニメオリジナル)。高屋敷氏は、時系列をうまく捌くのに長ける。
(回想の中で)減量の限界の限界を超え、水を求める力石に、葉子は白湯を差し出す。葉子がポットを握る描写があるが、手による感情表現は頻出。おにいさまへ…・RAINBOW-二舎六房の七人-(脚本)と比較。
だが力石は白湯を捨て、空のコップを優しく葉子に返し、減量を続けたのだった(ここで回想終了)。
ここも頻出の、手による感情表現。
F-エフ-・ワンダービートS(脚本)と比較。
一方、丈は、力石の幻影を見る(アニメオリジナル)。限界が近い丈は、壁に手をつき、ずり落ちる。
同じような動作が、カイジ(脚本)、宝島(演出)にある。
そこへ葉子の部下が来て、段平に食事を用意してあると告げるが、段平はそれを丁重に断る(アニメオリジナル)。おにいさまへ…(脚本)、空手バカ一代(演出/コンテ)ほか、優しそうな脇役は色々な作品で目立つ。
西は、今の状況を紀子(丈のガールフレンド)に打ち明け、それを小耳に挟んだ、ドヤ街(丈の地元。東京の下町)の子供達も丈を心配する(アニメオリジナル)。高屋敷氏は、色々なキャラを話の筋に絡ませるのが上手い。
丈が心配なあまり、キノコ(ドヤ街の子供達の一人。帽子姿)とサチ子(ドヤ街の子供達の紅一点)は泣き出す(アニメオリジナル)。ガイキング・ど根性ガエル(演出)ほか、高屋敷氏は、子供の幼さを引き出すのに秀でる。
一方、丈と対戦予定の金竜飛(東洋1位)は、丈が減量していると聞き、少し笑みを浮かべる。グラゼニ・おにいさまへ…・RAINBOW-二舎六房の七人-(脚本)ほか、「原作にない微笑」は数々の作品で印象に残る。
段平は、もう階級を上げようなんて言わない、一緒に減量を頑張ろうと丈に提案し、やっと丈はドアを開ける。
断食で消耗する展開は、コボちゃん・おにいさまへ…(脚本)にも見られる。
その後丈はジムに戻り、段平と共に過酷な減量に挑む。変わり果てた丈の姿に、ドヤ街の人々は驚く。あんみつ姫・F-エフ-・らんま1/2(脚本)ほか、味のあるモブは、色々な作品で見られる。
ドヤ街の子供達や西、紀子も、丈の消耗した姿に驚き、心配する。ここも、アニメオリジナルでキャラを絡ませていく組み立てが自然で上手い。
段平は、水を含ませた綿を丈に吸わせる。
何かを人に食べさせることで親愛を表す描写は、ストロベリーパニック(脚本)、ど根性ガエル(演出)などにも見られる。
そんなある夜、段平はジムの体重計の錘に細工し、丈をペテンにかけたいと西に持ちかけるのだった(このままだと丈の命が危ないため)。錘を西に渡す手がアップになるが、ここも頻出の、手による感情表現。怪物王女・F-エフ-(脚本)と比較。
- まとめ
まず、サブタイトルの「力石の…唄が聞こえる」であるが、あしたのジョー1で、高屋敷氏が制作進行をした回(53話)の、「聞こえるぜ力石、お前の歌声がよ」という丈の台詞からきていると考えられる。同氏の思い入れが窺える。
あと、相変わらずキャラをどんどん話の筋に絡ませるのが上手い。そして、絡ませた場合どうなっていくかも、うまく整理されている。アニメオリジナルを展開するにあたり、細部へ気を配っているのがわかる。
また、いつものことながら、手による感情表現が目立つ。特にラスト近くの、段平が西に錘(おもり)を渡す場面は、段平の決意の重みが伝わり、感慨深い。
回想場面を入れ込んだ構成も、よくできており、遷移もスムーズ。
高屋敷氏は時系列操作に長け、年を経るほど、それは複雑かつ秀逸になってくるので、見ていて面白い。
今回、丈は自分や力石と独りで向き合う。「自分とは何か」というテーマを、同氏は数々の作品で扱っている。例えばF-エフ-(シリーズ構成・全話脚本)では、主人公の軍馬が、レーサーである「自分」を、苦悩しながらも獲得していく様子が丁寧に描かれている。
今回の場合は、シリーズの途中なのであるが、丈の「真っ白な灰になるまでボクシングをやりたい」という意志は固まっている状態。そうなる(最終回。高屋敷氏脚本)までの丈の心理を掘り下げる意味でも、今回のアニメオリジナル要素(力石と向き合う)は重要と考えられる。
本作の場合、「自分(矢吹丈)とは何か」という問いは非常に難解で、明確な答えはない。ただ、丈は「真っ白に燃え尽きるまでボクシングをやる」生き方を選んだ人間だという事実は、強烈に残っている。アニメは、その軌跡を色々な面から掘り下げている。
キャラの掘り下げは、高屋敷氏の得意とするところなのだが、もしかしたら、同氏が「自分とは何か」というテーマを長年取り扱っていることと密接な関係があるのかもしれない。
矢吹丈というキャラは、掘り下げても掘り下げても「正解」「解答」が無いキャラ。高屋敷氏が、丈を様々な角度から掘り下げた貴重な経験は、後の作品でも大いに活かされており、あらためて本作と同氏の関係の濃さが感じられた。