『あしたのジョー2』36話脚本:暗喩の塩梅
アニメ『あしたのジョー2』は、高森朝雄(梶原一騎)氏原作、ちばてつや氏画の漫画をアニメ化した作品(第2作)。風来坊の青年・矢吹丈がボクシングに魂を燃やし尽くす様を描く。監督は出崎統氏。
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- 今回の話:
葉子(白木ジム新会長)は、ホセ(バンタム級世界王者)と戦う前に、東洋タイトル防衛戦をやるよう、丈に言い渡す。
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ホセ(バンタム級世界王者)と白木ジムの、日本においての興行の独占契約の件を知った関東テレビ運動部部長・大橋は、段平(丈の所属するジムの会長)に電話で抗議する。コードをねじる描写は、コボちゃん・キャッツアイ(脚本)等にもある。
前回(35話)、ホセの孤独を垣間見た丈は、ホセから渡された、(ホセの孤独の象徴である)折れたメダルを握りしめる。手による感情表現は頻出。おにいさまへ…・怪物王女(脚本)と比較。
丈はマスコミをまいて、ドヤ街(丈の地元。東京の下町)の子供達と遊び、パチンコの景品のキャンディを舐める。おにいさまへ…・コボちゃん・マイメロディの赤ずきん(脚本)などなど、飯テロは定番。
その後、丈はワイドショーにゲスト出演し、ドヤ街の子供達はそれをテレビで見守る。サチ子(ドヤ街の子供達の紅一点)が下駄で他の面々にツッコミを入れるが、ノリが家なき子(演出)やじゃりン子チエ(脚本)と重なる。
一方、葉子(白木ジム新会長)は、バラの手入れ(アニメオリジナル)をする祖父・幹之介に、丈は近頃野性味が無くなったと話す。空手バカ一代(演出)、ストロベリーパニック(脚本)ほか、意味深な花の描写は多い。
夕刻、太陽が映る。全てを見ているような夕陽の「間」は、色々な作品で印象に残る。じゃりン子チエ・おにいさまへ…(脚本)、宝島(演出)と比較。
そして葉子は、大橋、段平、丈を招いて会談を行う(マスコミもそれを取材)。緊迫した雰囲気が、カイジ(シリーズ構成・脚本)序盤の、利根川登場場面と重なるものがある。
天井のランプが映る。意味深なランプ描写は多々ある。カイジ2期・おにいさまへ…・RAINBOW-二舎六房の七人-(脚本)と比較。
葉子は、白木ジムプロモートで(丈の)東洋タイトル防衛戦をやらせてもらえれば、日本でのホセ戦を関東テレビに渡してもいいと持ちかける。ここもオーラがカイジ(脚本・シリーズ構成)の利根川に似る。
怒って出て行く丈を尻目に、葉子は条件を飲むのか飲まないのか、大橋に詰め寄る。ここも葉子の威圧感がカイジ(脚本・シリーズ構成)の利根川っぽく、比較すると面白い。
雨の中、たまたま見かけた自動車事故現場を見つめながら(アニメオリジナル)、丈は、運命を弄ぶような葉子のやり方が気に食わないと段平に語る。雨でドラマを盛り上げるのは、おにいさまへ…・めぞん一刻(脚本)など結構ある。
大橋は葉子の条件を飲むしかなく、会談は終わる。会談終了後、葉子は煙草を吸おうとするが、火がつかずやめる。意味深な喫煙場面は、色々な作品に見られる。F-エフ-・めぞん一刻(脚本)と比較。
葉子は夜の街や港をドライブし、丈がホセに勝つには、かつてあった“野生”を取り戻すしかないと、物思いに耽る(アニメオリジナル)。ここは、葉子をよく掘り下げていると思うし、葉子の意図がわかりやすい。
翌朝、葉子は部下を集め、野性味あふれる、昔の丈のようなボクサーをアジアで探して欲しいと頼む。部下達は、それに従う。
煙草が映るが、意味深な煙草描写はよくある。ワンナウツ・めぞん一刻(脚本)と比較。
丈は、葉子の思惑通りに自分が動く事が気に食わず、彼女をいぶかしむのだった。
葉子の後ろ姿が映るが、背中で語る場面は、色々な作品にある。グラゼニ(脚本)、宝島(演出)、ワンナウツ(脚本)と比較。
- まとめ
まず、交渉などがメインの地味な展開なのに、面白くなっているのが凄い。MASTERキートン・グラゼニ(脚本)も、密室での地味なやりとりが続くのに、非常に面白い回がある。
また、バラや夕陽、煙草、廃車など、暗喩の多用も、話に深みを持たせている。どれも難解なものではなく、かえって話をわかりやすくしているのが良い。
あと、葉子の心理や意図も、アニメオリジナルを交えてわかりやすくなっている。高屋敷氏はキャラの掘り下げが上手いわけだが、その腕が今回も光る。
シチュエーションが少し似ているのもあるが、カイジ2話(脚本)の利根川と、今回の葉子が重なってくるのも面白い。密室状態を盛り上げる技術の使い所が共通しているためかもしれない。
今回は、話が大きく動くわけでも、試合があるわけでもないのだが、視聴者をぐいぐい物語に引き込む力がある。また、先に述べたように、暗喩の使い方が上手く、それを解いてみるのも一考。
特に廃車とボクサーをかけた暗喩は、この後の話にも出てくるので、踏まえておきたい。つくづく思うが、暗喩なのに、難解でもなく、かえって話をわかりやすくしているのは凄い。
暗喩は、使いすぎると、作り手の独りよがりが目立ってきてしまうが、今回の塩梅は絶妙で、物語を紐解く楽しさがある。本作は、丈の結末と深層心理が非常に難解であるが、それ以外の面で「意地悪な難解さ」は無いと思う。
ともかく今回は、「特に目立つ話ではないのに面白くさせる技術が炸裂している」ということに尽きると思う。この技術が、MASTERキートン8話・グラゼニ17話(脚本)などの密室劇の傑作に繋がっているのは間違いなく、それを思うと感慨深い。
以前書いた、
MASTERキートン8話(高屋敷氏脚本)についてはこちら:
https://makimogpfb2.hatenablog.com/entry/2017/09/11/125759
グラゼニ(高屋敷氏シリーズ構成・全話脚本)17話についてはこちら: