じゃりン子チエ37話脚本:根底にある温もり
アニメ『じゃりン子チエ』は、はるき悦巳氏の漫画をアニメ化した作品。小学生ながらホルモン屋を切り盛りするチエを中心に、大阪下町の人間模様を描く。監督は高畑勲氏。
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- 今回の話:
演出:横田和善氏、脚本:高屋敷英夫氏。
マサル(チエのクラスメート)から、テツ(チエの父)からの遺伝が強いと指摘されたチエは、自分が成長したらテツのようになるのかと思い悩む。
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マサル(チエのクラスメート)は、チエは成長したら“遺伝”でテツ(チエの父)のようになる、と言って恐れ、遺伝の恐ろしさを記した手紙をチエに渡す。ここは原作から台詞が上手く取捨選択され、テンポがよくなっている。
マサルからの手紙には、いかにチエがテツに似ているかが事細かに記されていた。原作通りだが、宝島(演出)、ワンダービートS・F-エフ-・おにいさまへ…(脚本)など、高屋敷氏は手紙の扱いが上手い。
チエが学校から帰宅すると、テツとカルメラ兄弟(テツの弟分)が、お好み焼き屋を占拠するおばさん達に対抗するため、早口言葉を練習していた。ワンナウツ(脚本)や宝島(演出)など、子供っぽい大人は色々な作品で目立つ。
テツ達に呆れながら、チエは、たまたま手にした鏡で自分の顔を確認し、笑顔がテツに似ている事に愕然とする。原作通りだが、真実を映す鏡の表現は、数々の作品にある。めぞん一刻・あしたのジョー2(脚本)と比較。
チエは、店(ホルモン屋)の常連客に、もう自分は笑わないと宣言。常連客は、チエは笑顔がテツに似ていると言いかけ、ますますチエを不機嫌にさせる。グラゼニ・めぞん一刻(脚本)ほか、味のあるモブは多い。
チエは思い立って拳骨(テツの恩師)を訪ね、遺伝について相談するが、拳骨の話を理解できず退散する。拳骨はカニを美味しそうに食べるが、飯テロは頻出。ガンバの冒険(脚本)、ルパン三世2nd(演出/コンテ)、F-エフ-・カイジ2期(脚本)と比較。
後日。学校で父兄運動会が開催される事を知り、チエは憂鬱になる。そんな中、百合根(お好み焼き屋)がチエ宅に来て、ジュニア(百合根の飼い猫)がアントニオ(ジュニアの亡き父)に似ず不甲斐ないと泣く。カイジ2期・あんみつ姫(脚本)ほか、中高年男性のガン泣きはよく出る。
子が親に似ないという話に機嫌をよくしたチエは、百合根にソーダをおごる。飯テロだけでなく、美味しそうな飲み物もよく出る。はだしのゲン2・ハローキティのおやゆびひめ・カイジ2期・MASTERキートン(脚本)と比較。
いよいよ百合根に酒までおごろうとするチエだったが、そこにテツとカルメラ兄弟が来て、ジュニアが(お好み焼き屋を占拠する)おばさん達に勝ったと報告。おじさん達の可愛いじゃれ合いは、グラゼニ・ワンナウツ(脚本)ほか目立つ。
やはり親子は似るのだと結論を出した百合根に対し、チエは不機嫌になってソーダと酒の代金を請求する。宝島(演出)や、太陽の使者鉄人28号(脚本)など、しっかりしている所はしっかりしている子供の描写は結構ある。
チエが百合根やテツ達を店から叩き出した後、拳骨が来る。チエは、遺伝についての悩みを拳骨に吐露する。ど根性ガエル(演出)やF-エフ-(脚本)ほか、一人で悩んでいる所に仲間や友達が寄り添う描写は強調される。
そこにヨシ江(チエの母)が帰宅し、その後マサルの母が来る。マサルの母は、ヨシ江を父兄運動会のリレーに出ないかと誘い、拳骨もそれに賛成。ヨシ江はリレーに出る事に。一方、それを聞いたテツは動揺。はじめの一歩3期(脚本)、宝島(演出)ほか、老人の優しさは前面に出る。
- まとめ
相変わらず、話のテンポがいい。原作から削れる所は削っており、話の筋がスルスルと頭に入ってくる。このあたりも、ダラダラ原作をなぞるのではなく、色々な工夫がされているのがわかる。
今回はアクションではなく、殆ど会話で話が成り立っている。それなのに飽きさせない作りになっており感心させられる。こういった技術はカイジ・グラゼニ(シリーズ構成・脚本)などでも大いに発揮されている。
思えば、ギャンブルが始まると舞台が固定されてしまうカイジ(シリーズ構成・脚本)も、緊迫したやりとりで視聴者を画面に釘付けにする工夫が成されているわけで、やはり高屋敷氏が、じゃりン子チエで培ったものは大きいのではないだろうか。
一方、チエの悩みの微笑ましさや、拳骨の優しさも前面に出ている。ネタバレしてしまえば、ヨシ江の足の速さをチエに見せるため、拳骨はヨシ江にリレーに出るよう促したわけなのであるが、高屋敷氏は、こういった老人の優しさを強調するのが巧み。
キャリア初期の、ど根性ガエル(演出)の時代から、血の繋がりがなくても、家族のような絆を描くのが高屋敷氏は上手い。
それはカイジ(シリーズ構成・脚本)でも強く出ており、作品に温もりを与えている。
ギャンブル・デスゲームものの金字塔とも言われるカイジだが、アニメは、その根底にあるヒューマンドラマをよく引き出している。何十年と温かい人情を表現してきた、(シリーズ構成・脚本の)高屋敷氏の貢献も大きいと思う。
いつものことながら、持てる技術と経験をフルに駆使して、原作を踏襲しつつ、自身が表現したい事を(さりげなく)前面に出していく高屋敷氏のテクニックに、今回も唸らされた。