カイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんの軌跡

アニメカイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんに興味を持って調べてみたら、膨大な量の担当作があることがわかりましたので、出来る限り同氏担当作を追跡しています。discordアカウントは、まきも#3872 です。

家なき子21話演出:ゆずれないこと

アニメ『家なき子』はエクトール・アンリ・マロ作の児童文学作品をアニメ化した作品。過酷な運命のもと旅をする少年・レミの成長を描く。
総監督は出崎統氏。

───

本記事を含めた、当ブログの家なき子に関する記事一覧:

https://makimogpfb2.hatenablog.com/archive/category/%23%E5%AE%B6%E3%81%AA%E3%81%8D%E5%AD%90

───

  • 今回の話:

サブタイトル:「 新しい生命の誕生」

脚本:山崎晴哉氏、コンテ:出崎統監督、演出:高屋敷英夫氏。

厳しい冬の中、狼により仲間の犬・ドルチェとゼルビーノを失うも、パリを目指して旅をするレミ達は、農家の少女・セシルに出会う。

───

レミは、狼に襲われ死んだドルチェとゼルビーノ(芸をする犬)の墓に別れを告げる。大切な者の死を悼む場面は、はだしのゲン2・ルパン三世3期(脚本)ほか、様々な作品で強調される。

f:id:makimogpfb:20220710041140j:image

ビタリス(レミの芸の師匠)は、寒さで病に倒れたジョリクール(芸をする猿)のため、人里を目指す。カラスの不吉な描写があるが、一羽ごとに焦点を当てる表現は多い。ガンバの冒険(脚本)・宝島(演出)と比較。

f:id:makimogpfb:20220710041211j:image

道に迷ったビタリス達は、兎に罠を仕掛けている少女、セシルと出会う。
セシルは、兎に逃げられレミに抗議する。子供の子供らしい描写は、高屋敷氏の得意とするところ。ガイキングど根性ガエル(演出)と比較。

f:id:makimogpfb:20220710041241j:image

ビタリスはセシルに事情を話し、村への道を聞く。セシルは、猿を初めて見たので目を輝かせる。ここも子供らしい。ガイキング(演出)、あんみつ姫(脚本)と比較。

f:id:makimogpfb:20220710041315j:image

セシルは、自分の住む村および家までビタリス達を案内し、ちょっとレミをからかって笑う。ここも幼く無邪気。あんみつ姫あしたのジョー2(脚本)と比較。

f:id:makimogpfb:20220710041339j:image

この村には医者がいないが、ジョリクールに効く葡萄酒なら家にある、とセシルはビタリス達を自宅に招く。手による様々な表現は頻出。柔道讃歌(コンテ)、ワンナウツ(脚本)と比較。

f:id:makimogpfb:20220710041403j:image

ビタリスはセシル宅で、温めた葡萄酒をジョリクールに与え、ジョリクールはもう一杯欲しがる。それを見て、セシル一家は笑う。
笑顔が広がる温かい場面は多い。じゃりン子チエ・トンデケマン(脚本)と比較。

f:id:makimogpfb:20220710041431j:image

さらにセシル一家は、ビタリス達に食事をふるまい、レミは有り難くそれをいただく。飯テロは高屋敷氏担当作の定番。DAYS・アンパンマン(脚本)と比較。

f:id:makimogpfb:20220710041507j:image

セシルの父は、ジョリクールを抱っこしながら酒を飲む。酒テロも実に多い。グラゼニMASTERキートンカイジ2期(脚本)と比較。

f:id:makimogpfb:20220710041537j:image

セシルは、牛が好きというレミの手を引き、自分達の家の牝牛・ジョゼット(妊娠中)を見せる。手から手への感情伝達は数々見られる。コボちゃん・F-エフ-(脚本)と比較。

f:id:makimogpfb:20220710041610j:image

レミは喜び、ジョゼットを撫でさせてもらう。
優しく何かを撫でる描写は、色々な作品で印象に残る。めぞん一刻・F-エフ-(脚本)と比較。

f:id:makimogpfb:20220710041638j:image

以前、レミの育った家にいたが売られた牛・ルーセットの話をレミから聞いたセシルは、生まれてくる子牛の名前をルーセットにすると言う。レミは感涙。
人情に感涙する場面は強調される。RAINBOW-二舎六房の七人-・カイジ2期(脚本)と比較。

f:id:makimogpfb:20220710041708j:image

その後、レミとセシルは楽しく雪合戦する。楽しい雪合戦シーンは、あんみつ姫(脚本)にもあり、重なるものがある。

f:id:makimogpfb:20220710041731j:image

だが楽しい時も束の間、ジョゼットか発熱と痙攣を起こす。ジョゼットの熱を冷やすため井戸から水を汲もうとするセシルだったが、転んでしまう。子供が転ぶ表現は結構出る。宝島・ガイキング(演出)と比較。

f:id:makimogpfb:20220710041756j:image

ビタリスはセシルを助け起こし、雪を払ってあげる。ここも優しい手の表現。RAINBOW-二舎六房の七人-(脚本)、ルパン三世2nd(演出/コンテ)と比較。

f:id:makimogpfb:20220710041823j:image

牛を失う辛さを知るレミは他人事に思えず、井戸から汲んだ水をセシルと共に運ぶ。ここも子供らしい描写。
コボちゃん(脚本)、宝島(演出)と比較。

f:id:makimogpfb:20220710041850j:image

ジョゼットが死ぬなんて嫌だ、とセシルはうずくまって泣く。子供が泣く描写は、様々な作品で秀逸。あしたのジョー2(脚本)、ガイキング(演出)と比較。

f:id:makimogpfb:20220710041918j:image

セシルの父は、めそめそ泣くより、最後まで自分達でできる限りジョゼットの世話をしよう、とセシルを諭し、セシルは父に抱きつく。
父子愛は、おにいさまへ…(脚本)も印象的。

f:id:makimogpfb:20220710041943j:image

レミは、以前ルーセットが病気になった時与えた薬草と同じものを、山に探しに行くと言い、ビタリスに抱きつく。
ここも手による感情表現。コボちゃんじゃりン子チエ(脚本)と比較。

f:id:makimogpfb:20220710042015j:image

レミの気が済むまでレミのやりたいようにすればよいと、ビタリスはカピ(芸をする犬。賢い)と共にレミを待つ。
窓辺に佇む描写は色々な作品で目立つ。ストロベリーパニックめぞん一刻(脚本)と比較。

f:id:makimogpfb:20220710042046j:image

一方レミは山で薬草を探すが、なかなか見つからない。
ストロベリーパニックコボちゃん(脚本)ほか、寒さに耐える表現はしばしば見られる。高屋敷氏が岩手県出身なのも関係あるかもしれない。

f:id:makimogpfb:20220710042115j:image

寒さと疲れで朦朧としたレミは、ドルチェとゼルビーノの幻を見て近付くが、実際は鹿の親子だった。だがついに薬草を見つける。
死者の存在を胸に生きる者の姿は、カイジ・RAINBOW-二舎六房の七人-(脚本)などでも強調されている。

f:id:makimogpfb:20220710042141j:image

レミは薬草を手にセシル宅に戻るが、疲れが出て眠ってしまう。
大事なミッションを主人公が一人で完遂する場面は、宝島(演出)にもあり、比較すると面白い。主要スタッフもほぼ共通。

f:id:makimogpfb:20220710042207j:image

薬草が効いたのか、レミの思いが通じたのか、ジョゼットは快方に向かう。ランプの強調は頻出。空手バカ一代(演出/コンテ)、ワンナウツ(脚本)と比較。

f:id:makimogpfb:20220710042227j:image

その後奇跡は続き、ジョゼットのお産がはじまったと、セシルがレミを起こしに来る。ここも所作が子供らしくかわいい。ガンバの冒険あしたのジョー2(脚本)と比較。

f:id:makimogpfb:20220710042354j:image

ジョゼットは無事に子牛を産み、セシルは約束通り子牛の名前をルーセットにする。レミは感動。
F-エフ-(脚本)で、他人の赤ちゃんの誕生に軍馬(主人公)がアニメオリジナルで笑顔を見せる場面と共通するものがある。

f:id:makimogpfb:20220710042706j:image

太陽の光を浴びながら、レミは命の尊さを感じるのだった。
全てを見ているような太陽の描写は多い。ワンナウツ・F-エフ-・あしたのジョー2(脚本)と比較。

f:id:makimogpfb:20220710042727j:image

  • まとめ

 本作19話(高屋敷氏演出)ミレーヌ(農家の少女)に引き続き、子供の描写が上手い。それに引っ張られてレミも子供らしい描写が多く、高屋敷氏の本領が今回も発揮されている。

 人情、飯テロ、出産、命の尊さといった要素は、高屋敷氏の担当作に多く見られるので、比較していくと面白い。同氏の脚本作には、これらを上手く組み合わせた話が多く見られる。

 F-エフ-(高屋敷氏シリーズ構成・全話脚本)における、赤ちゃんを見て(アニメオリジナルで)笑顔になる軍馬(主人公)の描写は、非常に印象深いが、今回はそのルーツを見たような気がする。新しい命への思いが、高屋敷氏は強いようだ。

 また、先に述べた通り、寒さに耐える仕草などがやけに迫真なあたりは、高屋敷氏が北国(岩手県)出身だからなのかもしれないと推察している。コボちゃん(同氏脚本陣)では、あからさまに岩手県が出たこともある。

 あと、死者がレミを導くような描写は、カイジ・RAINBOW-二舎六房の七人-(高屋敷氏シリーズ構成・脚本)でも大いに引き継がれ、強調されており、高屋敷氏の方針や思いが見えてくる。

 高屋敷氏は高屋敷氏なりの「生と死」に対する考えがあり、それが担当作にダイレクトに反映されていることがある。
主張を通すために原作を大幅に変えることもあるほどだ。

 先述のF-エフ-(高屋敷氏シリーズ構成・全話脚本)の「アニメオリジナルの笑顔」はその最たるものの一つ。「このキャラはアニメではこう描写してきたから、こういう顔を見せるのだ」という非常に強い思いが伝わってくる。

 高屋敷氏は、こと「食」「生と死」「笑顔」に関してゆずれない思いがあると見られる。その「思いの重さ」は興味深い。

 繰り返し書いてきたが、原作つきアニメは、原作を単になぞるだけでは、いい作品にならない。また、人間が作っている以上、全く同じものになりえないし、スタッフの個性は完成映像に滲み出る。

 高屋敷氏は、演出でも脚本でも、主張したいことは強く主張する。ただ、それはエゴ丸出しなものではなく、脚本の場合は綿密に計算されており、いつも感銘を受ける。

 演出では、暗い展開が続く話だとしても「せめて自分の演出回では、笑顔を目立たせたい、子供が子供らしくいられる回にしたい」という思いが伝わる。実際その通りに映像に出ている。

 ところで、こういった高屋敷氏の特色は、同氏と付き合いの長い本作の監督・出崎統氏や、演出陣の竹内啓雄氏と対極な所がある。だからこそ目立つし、私も気付いた。

 高屋敷氏、出崎統氏、竹内啓雄氏、それぞれ単独の、剥き出しの個性を探るには、まんが世界昔ばなしを見ると収穫がある。各氏に興味のある方は、視聴をおすすめする。

 話を戻すが、人の個性や主張が作品に出るというのは、それだけ思いが強く、表現したいものが、その人にあるということ。
ゆずれない事がある表現者は強く、それゆえに「表現者」なのだと、あらためて思う。