カイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんの軌跡

カイジおよび福本作品、そのアニメが好きで、シリーズ構成の高屋敷英夫さんが、子供の頃からアニメのクレジットで凄くよく見る名前なので調べてみたものの膨大すぎてまとめきれなくなってきたので、自分のブログよりここに切り離してまとめることにしました。ツイッターアカウントは@makimogpfbです

F-エフ-5話脚本:老人が築く絆

アニメ・F-エフ-は、六田登氏の漫画をアニメ化した作品。破天荒だが天才的なドライビングテクニックを持つ青年・赤木軍馬が、様々なドラマを経てレーサーとなり、数々の勝負を繰り広げていく姿を描く。
監督は真下耕一氏で、高屋敷氏はシリーズ構成・全話脚本を務める。
今回は、コンテ・演出が古川順康氏、脚本が高屋敷英夫氏。

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  • 今回の話:

軍馬は免許を取るべく、自動車教習所の教官でもある純子(同じアパートの住人)の個人授業を受ける。下心丸出しの軍馬を何とかいなして、純子は色々と軍馬に叩き込むも、軍馬は、純子達の車で爆走したりと、やりたい放題。試験後に軍馬は、前回購入したレースカーで暴走。警察に咎められた軍馬は、得意気に取れたての免許を見せるも、皆に呆れられるのだった。

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本記事を含めた、当ブログにおけるF-エフ-の記事一覧:

http://makimogpfb2.hatenablog.com/archive/category/%23F-%E3%82%A8%E3%83%95-

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早朝、軍馬はトレーニングだと言って、タモツ(軍馬の親友で、天才メカニック)をランニングに誘う。草や水面、電車が意味深に描写されるが、自然や物に役割を与えるのは、高屋敷氏の特徴の1つ。めぞん一刻脚本(下記画像右)でもそうだった。

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ランニングがてら、タモツは、免許取得のための練習問題を軍馬に出題するが、軍馬の解答は尽く滅茶苦茶。
軍馬とタモツの描写が、原作より若干幼い。幼く無邪気な友情描写は、高屋敷氏の担当作には多い。めぞん一刻コボちゃん・DAYS脚本と比較。

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ランニング後の、蛇口のアップが意味深。顔を洗う軍馬とタモツの場面は、アニメオリジナル。前回(実は軍馬のための金とはいえ、軍馬がタモツの預金を勝手に下ろしてレースカーを購入)のわだかまりを、水に流そう的な意味かもしれない。
めぞん一刻脚本(下記画像右)にも、似たような意味深な蛇口の場面がある。

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純子(同じアパートの住人)は、前回タモツに懇願されたこともあり、軍馬に、自動車免許取得の為の個人授業をすることを引き受ける。さゆり(純子の叔母で、アパートの大家)も、一緒に個人授業を受けたいとせがむのは、アニメオリジナル。可愛い老人描写は、高屋敷氏の作品には多い。ベルサイユのばらコンテと比較。

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下心丸出しの軍馬は、タモツとさゆりを追い出し、純子と二人きりに。何とか純子を口説こうとするが、アニメでは、どう口説いたかが具体的に描かれている。口説き方が幼く、なんとなくルパン三世2nd演出/コンテの、ルパンと不二子が思い出される。

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個人授業の内容も、アニメではオリジナル追加要素がある。基本、軍馬が幼い。元祖天才バカボン演出/コンテで、パパが家庭教師をする回があるが、その話でも、パパと子供が非常に幼い。
年齢問わず、「幼さ」を描くのが、高屋敷氏は得意。

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軍馬の下心をいなすため、純子は、コーヒーカップを軍馬の頭上に置く。
これもアニメのオリジナル要素。ちょっとだけ頭を使う方法なのが、頓知やイカサマを多く表現してきた、高屋敷氏らしい。元祖天才バカボンの演出/コンテや脚本でも、パパが巧みな頓知やイカサマを多く使う。

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アパートの住人達とさゆりは、純子が無事に部屋から出てきたことを喜ぶ。高屋敷氏の作品では、演出作・脚本作ともに、何故か喜び方が幼く・可愛くなる。
監督作忍者マン一平、チエちゃん奮戦記・DAYS脚本と比較。

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そして、タモツが整備したばかりの、純子のレースチーム車に乗った軍馬は、キーが光るのを見て、エンジンをかけてしまう。
ここも、キーが意思を持つように描かれている。意思を持つような「物」の描写は、高屋敷氏の特徴の1つ。蒼天航路めぞん一刻脚本と比較。

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軍馬は、タモツ・純子、啓太とヒロシ(純子のレース仲間で、同じアパートの住人)を乗せたまま、街を爆走。流石の運転技術で、軍馬は落ちてくる積み荷を避けながら走行。ここの作画やカメラワークは凄い。

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だが、ガードレールをかすめたため、車はストップ。皆が気を失ったことを確認した軍馬は、この隙に純子にキスしようとするが、寸前で目覚めた純子からアッパーカットを食らうのだった。

後日。筆記試験にて、軍馬は、さゆりに鉛筆転がしの極意を教える。ここはアニメのオリジナルで、やはり老人との交流が微笑ましいのが、高屋敷氏らしい。ベルサイユのばらコンテ、めぞん一刻脚本と比較。

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さゆりは落ちたものの、軍馬は筆記試験を奇跡的に突破。実技試験の結果を待つ間、さゆりは赤飯を用意。ここでも赤飯の意味深な「間」がある。めぞん一刻・怪物くん・チエちゃん奮戦記脚本と比較。

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試験から帰ってきた軍馬は沈んでおり、皆は、「落ちた」と思い込む。
原作通りではあるが、仲間達がいる、という「孤独救済」描写は、高屋敷氏の作品に数多い。ど根性ガエル演出、元祖天才バカボン演出/コンテと比較。

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軍馬は、(前回購入した)レースカーのエンジン音が聞きたいと言い出す。タモツはエンジンをかけてやりながら、「おめえらしくねえだよ、そういう態度」と言う。原作通りだが、強調されている。
めぞん一刻脚本でも、一ノ瀬が、「そんな顔似合わないよ」と響子を励ます場面が強調されている。
どちらも、厚い友情が描かれている。

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エンジンがかかると、軍馬はレースカーを発進させ、「何人たりとも俺の前は走らせねえ」と暴走。ここの映像も凄い。

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警察とのカーチェイスの結果、またもガードレールにぶつかり、レースカーは停止。取れたての免許を得意気に見せる軍馬だったが、警察にも、純子達にも呆れられるのだった。

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  • まとめ

さゆりの初登場時から感じていたことだが、高屋敷氏はこういった可愛い老人が好きなようで、原作より登場場面が多い。冷たい家庭環境にあった軍馬の孤独を、さゆりが癒していくような、そんなサイドストーリーも構築されていっている。

さゆりだけでなく、タモツ、森岡(タモツの知人で、モーターショップを営む)、純子、啓太、ヒロシなど、軍馬を取り巻く人々が増えて行く様も描かれる(まだまだ啓太・ヒロシと打ち解けるのは先だが)。
こういった「孤独救済」を、高屋敷氏は様々な作品で描いている。

今回の、軍馬の免許取得作戦は、原作よりも「仲間のつながり」を強調しているように感じた。タモツが懇願しなければ、純子が個人授業を引き受けることもなかったのをはじめ、皆がいたからこそ、軍馬は免許を取れた(軍馬にその自覚があるかは別として)。

「皆がいるから自分がいる」は、初期作の、ど根性ガエル演出をはじめ、実に多くの高屋敷氏の作品で強調されてきた。
元祖天才バカボン(演出/コンテや脚本)のパパは、軍馬顔負けの非常識キャラだが、温かい仲間や家族に囲まれている。
パパの場合、たまにそれを自覚し感謝するが、軍馬の場合は、どう描かれるのだろうか。

勿論、原作との兼ね合いもあるし、前回では、タモツと軍馬の、天才同士ならではのシビアな関係が描かれた。それでもなお、人と人との絆の温かさは、隙あらば強調したい意向が、高屋敷氏にはあるのではないだろうか。

忍者戦士飛影脚本でも、カイジ脚本でも、「友情」「信頼」に懐疑的なキャラが出て来ており、印象深く描写される。それでも、ジョウ(忍者戦士飛影主人公)もカイジも、人を信じることを止めない傾向にあり、そちらも強調される。
そういった主人公であってほしい、という、高屋敷氏の願いのようなものが込められているように感じる。

めぞん一刻最終回脚本や、あしたのジョー2脚本でも、主人公が、「皆がいるから自分がいる」ことを自覚する。ただ、それがわかるまでの道のりは長く、険しかった事も描かれる。本作の場合、この、高屋敷氏が長年取り組んでいるテーマがどう絡んで来るのだろうか。その点でも、興味は尽きない。

F-エフ-4話脚本:天才同士の関係

アニメ・F-エフ-は、六田登氏の漫画をアニメ化した作品。破天荒だが天才的なドライビングテクニックを持つ青年・赤木軍馬が、様々なドラマを経てレーサーとなり、数々の勝負を繰り広げていく姿を描く。
監督は真下耕一氏で、高屋敷氏はシリーズ構成・全話脚本を務める。
今回は、コンテが石山貴明氏、演出が杉島邦久氏、脚本が高屋敷英夫氏。

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  • 今回の話:

軍馬のメカニックになるべく上京したタモツは、軍馬と合流し、同じアパートに住むことに。
タモツの知人・森岡の店にて、中古のレーシングマシンに魅了された軍馬は、タモツの預金を勝手に使い購入。
だが、その金は、軍馬の異母弟・雄馬が、軍馬のために用意した金で、タモツの実際の預金は無事。タモツは全てお見通しだったのだ。
そしてタモツは純子に、軍馬が免許を取れるよう指導して欲しいと頼みこむ。

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本記事を含めた、当ブログにおけるF-エフ-の記事一覧:

http://makimogpfb2.hatenablog.com/archive/category/%23F-%E3%82%A8%E3%83%95-

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冒頭は、軍馬がタモツに宛てた嘘八百の手紙を、軍馬が読み上げる形で、これまでが振り返られる。アニメオリジナルの構成で、プチ総集編になっており、うまくまとまっている。
じゃりン子チエ脚本でも似たような方式のプチ総集編があり、そちらも、まとめ方が上手かった。
カイジ2期1話脚本冒頭の、1期のまとめ方も上手い。
脚本面での高屋敷氏の特徴の1つに、「まとめが上手い」というのがあり、これは、未視聴だが、劇場版「がんばれタブチくん」の「構成」(様々なエピソードを映画1本にまとめる)を務めた経験が生きているのかもしれない。

タモツ(軍馬の親友で、天才メカニック)は、軍馬の嘘八百の手紙をもとに、何とか軍馬の住むアパート・小森荘に辿り着く。軍馬はタモツを歓迎し、抱きつく。
これはアニメのオリジナル部分で、可愛く微笑ましい友情描写は、高屋敷氏の得意とするところ。
ど根性ガエル演出、チエちゃん奮戦記脚本、家なき子演出、めぞん一刻脚本と比較。

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夕飯の時間には、軍馬がタモツに、「ばあちゃん(小森荘の大家)の作る飯は天下一品だ。食わなきゃ成仏できねえぞ」と言う。
ここもアニメのオリジナルで、高屋敷氏の特徴である、食いしん坊描写や、お年寄りに優しい描写が出ている。
画像は食いしん坊集。今回と、監督作忍者マン一平コボちゃん脚本。

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翌朝タモツは、知人である森岡のモーターショップに軍馬を連れて行き、中古のFJ1600用レーシングマシンを見せる。
それを見た軍馬は、目の色が変わる。
スイッチが入ると豹変するのは、カイジ(脚本・シリーズ構成)も同じ。

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マシンの値段は、約100万円。タモツは、家を出て行く替わりに山一個もらったという、軍馬の(嘘八百の)手紙のことを話題にする。
すると、釣竿の浮きがはねる描写が一瞬挿入される。「もの言わぬもの」に色々な役割を与えるのは、高屋敷氏の大きな特徴。
チエちゃん奮戦記脚本、ベルサイユのばらコンテと比較。

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手紙の嘘を本当にするべく、軍馬は一旦実家に行き、異母兄・将馬に、百万円くれと言うも、将馬は、父・総一郎に切った啖呵(と、器物損壊)が問題だとして、二度と家の周りに顔を出すなと言う。
ここもアニメオリジナルの展開で、後の伏線と思われる。
ユキ(軍馬を慕う、赤木家の使用人)も意味深に描写される。

更にアニメオリジナル展開は続き、タモツは本屋にて、聖(軍馬の後のライバル)がモータースポーツ雑誌に載っているのを見つける。聖を極力登場させる、高屋敷氏の意図が見える。

雑誌を購入したタモツは、トラクターに乗って東京に帰ってきた軍馬と鉢合わせる。

金のことがバレそうになるも、軍馬は、タモツの買った雑誌がエロ本だと思い込んでからかい、その拍子にトラクターがバランスを失う。だが軍馬の卓越した運転技術で、何とか危機を脱する。
ここも軍馬とタモツの友情が微笑ましい感じで、高屋敷氏の特徴が出ている。
コボちゃん脚本、元祖天才バカボン演出/コンテ、DAYS脚本と比較。

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アパートに帰った軍馬とタモツは、レースカーが不調で困っている純子達(小森荘の住人)を見かける。軍馬は、タモツが優秀なメカニックだと紹介、タモツに、車を見るよう促す。タモツは能力を発揮し、純子達と打ち解ける。
高屋敷氏のテーマの1つに、孤独救済があり、ここの場面で強調されている。
めぞん一刻脚本、元祖天才バカボン演出/コンテと比較。

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ちなみに上述の、タモツと純子達の交流のくだりは原作通りだが、時系列が操作されている。高屋敷氏は、時系列操作も巧み。

一方軍馬は、資金の事で悩むも、息抜きに、タモツが買った本を開く。エロ本ではなく、モータースポーツ雑誌とわかり落胆する軍馬だったが、聖の記事を見つけ、雑誌を床に叩きつける。ここもアニメのオリジナルで、紙媒体をうまく使う、高屋敷氏らしさが出ている。エースをねらえ!演出、ど根性ガエル演出、怪物くん脚本と比較。

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また、この記事が、一刻も早くレーサーになりたいという、軍馬の焦りを増大させており、うまい追加要素。

軍馬はさらに頭を悩ませ、逆立ちしてみる。これもアニメのオリジナル。監督作の忍者マン一平に、何でも逆さまにする忍者が出てくるほか、考え方を変えるという演出として、カメラを傾ける描写が、元祖天才バカボンの演出/コンテや脚本に出てくる。他の作品にも、こういった描写は幾つか見られる。

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タモツの、「貯金がある」という言葉を思い出した軍馬は、タモツの部屋にこっそり向かう。ここまでは原作通りだが、軍馬を罰するように、画ビョウが軍馬の足に刺さるのはアニメオリジナル。高屋敷氏は、物が意思を持つかのように描写する。
元祖天才バカボンでも、ノコギリがパパを制裁する回の演出/コンテをしている。

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軍馬はタモツの部屋を物色し、タモツの通帳を発見。預金は100万円。
ここで、時計が意味深に描写される(アニメオリジナル)。ここも、高屋敷氏がよく使う、「もの言わぬもの」の意味深描写。コボちゃんめぞん一刻カイジ2期脚本と比較。

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夜、タモツと純子・啓太・ヒロシはすっかり打ち解ける。ここでも、洗い物描写の「間」が形成されている。
めぞん一刻コボちゃん脚本と比較。

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軍馬がタモツに宛てた手紙の、自分についての記述(「ハクい教官と関係を持った」)をタモツから聞いた純子は憤慨し、帰宅した軍馬を殴る。
その拍子に、軍馬の服のポケットから、タモツの通帳が落ちる。
それを拾ったタモツは、預金がなくなっていることに驚愕。
問い詰めるタモツに軍馬は、開きなおって、マシンを買ったと話す。更に、手紙が嘘八百であったこともバラす。
ここで、アニメオリジナルとして、キャラクターの感情と連動して吹き零れる鍋が描写される。
こういった、意思を持つかのように「物」が動く描写は、高屋敷氏の大きな特徴。めぞん一刻忍者戦士飛影あしたのジョー2・チエちゃん奮戦記脚本と比較。

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軍馬は、モタモタしてるわけには行かないこと、絶対にレーサーになるという決意があることをタモツに話し、「テメーの財産は、この俺だ」と宣言。
それを聞いたタモツは、真剣な顔つきになり、その言葉を忘れるなと言って部屋に戻る。

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部屋に戻ったタモツは、「思ったよりうまく行った」と、内心思う。手紙が嘘だらけというのは、タモツには予想がついていたのだ。また、軍馬みたいな男と付き合っていくには、貸しを作っておいた方がいいというのも、タモツの考えだった。
原作通りだが、知略を使った駆け引きは、カイジ脚本・シリーズ構成はじめ、多くの作品で強調されている。

軍馬が使ってしまった金は、実は軍馬の異母弟・雄馬が、軍馬のために用意したものだった。心配して部屋を訪れた純子に、タモツはその事を話し、自分の本当の通帳は、床下に隠してあることも打ち明ける。原作では、この真実を純子に打ち明けたりはしないのだが、純子が軍馬に愛想をつかさないようにしたいという、タモツの思惑が描かれている。

タモツは、自動車教習所の教官でもある純子に、軍馬が免許を取れるよう、彼に個人授業をして欲しいと、土下座して頼みこむ。ここは、原作の時系列を操作しており、前述の通り、タモツが純子に真実を打ち明けたことが効いている。
これも、うまい改変だと思う。

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タモツは、軍馬(の才能)は「本物」だと言い、真剣に純子を見つめる。「本物」という言葉に、純子は戸惑う。
アニメオリジナルで、意味深に時計が映る。ここも、高屋敷氏が使う、「物」の活躍描写。コボちゃんカイジ脚本と比較。

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  • まとめ

サブタイトルの「男の友情ウラオモテ それでも夢は世界一」の通り、タモツと軍馬の、複雑な関係が描かれる。
前半~中盤に、タモツと軍馬の仲睦まじさ(高屋敷氏の得意分野)を、アニメオリジナルで描いたことが、後半の、軍馬の酷い行動と、それをお見通しのタモツの賢さを引き立たせている。

軍馬とタモツの関係は、ただの仲良しというだけでなく、互いの才能を評価し合い、共にレースをやるという夢に向かう関係でもある。まさにサブタイトル通り、「それでも夢は世界一」なのだ。

そう思うと、ラストでタモツが純子に言う「本物」は、色々な意味で、かなり重い意味を帯びてくる。また、そう感じられる構成になっている。

また、雑誌の記事に載る形で聖が登場するが、これも、アニメの上手い追加になっている。アニメは、とにかく聖を登場させる方針があり、軍馬と聖の、後の関係を示唆する形になっている。今回も、軍馬が早くレーサーになりたいと焦る原因を作っている。

そして、「時計」の意味深描写。これも、モタモタしていられない軍馬とタモツの焦燥を、よく表している。
時計だけでなく、あらゆる「もの言わぬもの」が「活躍」しており、高屋敷氏らしさが出ている。元祖天才バカボン演出/コンテなど、演出時代からの特徴であるが、脚本でも、それがやれるのは、毎回不思議。

あと、3話のタモツの上京シーンにて、アニメオリジナルでユキと雄馬が見送りに来ていたことが、100万円=雄馬が軍馬のために用意した金であるということの、上手い伏線になっている。

このように、アニメオリジナル場面は、重要な伏線や、原作の大きな補完になっており、意義が大きい。

本作は、アニメオリジナル部分の殆どが、うまいことはまっており、毎回感心させられる。時系列操作の巧みさも光る。
オリジナル部分は、「意味・意義」がなくてはならない、という心意気を感じる。
それでいて、まるで原作通りかのような錯覚もおぼえる。
今回も、原作つきアニメに使われている、複雑で高度な技術を感じた。

F-エフ-3話脚本:確固たる自我を持て

アニメ・F-エフ-は、六田登氏の漫画をアニメ化した作品。破天荒だが天才的なドライビングテクニックを持つ青年・赤木軍馬が、様々なドラマを経てレーサーとなり、数々の勝負を繰り広げていく姿を描く。
監督は真下耕一氏で、高屋敷氏はシリーズ構成・全話脚本を務める。
今回は、コンテ/演出が澤井幸次氏、脚本が高屋敷英夫氏。

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  • 今回の話:

上京した軍馬は、レーサーになるという目標の手始めとして、自動車教習所に赴き、そこで教官をしている純子と再会。
純子の指導虚しく、軍馬は教習車で爆走、教習所追放となるが、居合わせた純子の叔母・さゆりの営むアパートに住むこととなり、純子や、純子のレーシングチームメイトである啓太・ヒロシとの同居を開始。
一方、軍馬の嘘八百の手紙を受け取ったタモツは、上京して軍馬のメカニックになるかどうか迷うも、母に背中を押され、上京する。

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本記事を含めた、当ブログにおけるF-エフ-の記事一覧:

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冒頭、信号演出や、都会の喧騒に紛れる軍馬が、カイジ2期脚本と重なっていく。どちらもアニメのオリジナル描写。

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軍馬がハンバーガーやおにぎりを食べる場面も、アニメのオリジナルとして追加されている。高屋敷氏の特徴である飯テロ・食いしん坊描写が炸裂。挙げればキリが無いが、チエちゃん奮戦記・ルパン三世3期脚本と比較。

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更に原作に無い場面は続き、新聞で自動車教習所の広告を見つけたために、軍馬は教習所へ赴くことになる。ここは、原作の上手い補完となっている。新聞や紙媒体を、高屋敷氏はよく活躍させる。
カイジ2期脚本とシンクロ気味。
原作通りだが、カイジも、新聞で貴重な情報を得ている。

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教習所にて軍馬は、筑波サーキットで出会った純子(小規模レーシングチームのリーダー)と再会する。なんとなく、カイジ2期脚本の、遠藤とカイジの再会シーンと重なる。カイジの方は、アニメオリジナル。

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軍馬は隙を見て、教習車で爆走。追いかける純子の車とデッドヒートを繰り広げる。
結果、純子の車と軍馬の車は正面衝突。フロントガラスを突き破って純子の車に飛び込んだ軍馬は、純子に偶然(?)キスし、純子を益々怒らせる。
作画やカメラワークが凄い。

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当然軍馬は教習所追放となるが、居合わせた老婆・さゆりに気に入られ、彼女の営むアパートに住むことに。味のある老人の描写は、高屋敷氏の作品にはよくある。めぞん一刻脚本と比較。どちらのお婆ちゃんも、アニメオリジナルでの出番が多い。老人との心温まる交流も、同氏特徴の1つ。

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さゆりは軍馬を歓迎し、酒盛りをする。ここも、酒や食べ物が美味しそうに描写される。MASTERキートンカイジ2期脚本と比較。

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教習所で叱られたあたりから、軍馬がタモツに宛てた、嘘八百の手紙が、軍馬のナレーションで読み上げられる。原作通りだが、こういった「手紙の活躍」を、高屋敷氏はよく使う。オリジナルで、「大家さんは美人の未亡人」という文が追加されており、めぞん一刻(管理人が美人の未亡人)脚本の経験が使われている。

帰宅した純子は、食卓にいる軍馬に驚く。ここで、さゆりが純子の叔母であることが判明。かくして、軍馬、純子、純子のレーシングチーム仲間である啓太、ヒロシの共同生活が始まる。オリジナルで、「おかわり!」という軍馬の台詞が追加されており、高屋敷氏の食いしん坊描写が出ている。チエちゃん奮戦記脚本と比較。

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そして、軍馬の手紙は、タモツの母が読んでいたことが判明。
とにかく手紙は、様々な高屋敷氏の担当作で強調される。これも挙げればキリがないのだが、家なき子演出、じゃりン子チエカイジ脚本と比較。

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タモツの母は、上京して軍馬のメカニックになりたいのではないのか、とタモツに尋ねるが、タモツは、家の手伝い(シイタケ栽培)があるから…と言い淀む。
そんなタモツに、母は「自分の思う通りに生きろ。それが男っつうもんだ」と助言する。
これはアニメのオリジナル台詞で、高屋敷氏がよく発するメッセージ、「自分とは何か」「どういう自分になるかは、自分で決めろ」が、強く表れている。
家なき子最終回演出でも、それは表れている。

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それでも「自信がない」と言うタモツに、母は「もし自分が若かったら、やはり父ちゃんみたいな男に惚れていた」と言う。タモツの父は優秀なメカニックだったが、慢心が祟って、飲む・打つ・買うを行い、家を出て行ってしまっていた。それでも母は父を愛しており、タモツと父は違う人間だ、とタモツを諭す。

タモツは考え込み、その直後、シイタケや機械、自然の意味深描写が続く(アニメオリジナル)。高屋敷氏は、物や自然に意味や役割を持たせ、それらで「間」を作ることが多い。めぞん一刻あしたのジョー2脚本と比較。

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そしてタモツは上京を決意。ここからは、アニメの、完全なる追加場面となる。

軍馬の異母弟の雄馬と、軍馬を慕う、赤木家の使用人であるユキが、タモツの見送りに来る。後の展開を考えると、上手い伏線になっている。

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走り出す列車の車窓から、タモツは、農作業をする母の姿を見つけ、「母ちゃ…」と言いかけるも、それを飲み込み、「男の顔」になって旅立って行く。「男」への成長と、旅立ちを描くのは、高屋敷氏の大きな特徴。家なき子最終回の演出が代表的。

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  • まとめ

なんといっても、タモツ母子の描写が興味深い。「自分の思う通りに生きろ」という、アニメのオリジナル台詞は、高屋敷氏が発するメッセージであるところの、「自分とは何か」「どういう自分になるかは、自分で決めろ」を直球で投げてきている(1話2話でも、それが出ている)。
カイジ脚本でも感じるが、まるで原作に存在するかのような言葉を追加するのが、高屋敷氏は上手い。
何回か書いているが、原作通りでありながら、アニメ独自のテーマがじわりと出ている、じゃりン子チエの脚本経験が大きいのでは?と思っている。

そして、2話の軍馬の上京シーンに続き、タモツの上京シーンの追加も、うまくはまっており、アニメ版の良さの1つになっている。こちらも、家なき子のテーマ、「男はいつか一人で生きていくもの」「前へ進め」が適用されており、タモツが、家なき子最終回のレミのように、「男の顔」に豹変する。

タモツも軍馬も、父に対して色々な感情を抱いており、軍馬は2話にて、父の「出来の悪いイミテーション」ではなく、自分は赤木軍馬という人間であると主張。今回は、タモツの母が、タモツと父は違う人間だと諭す。

親に左右されず、確固たる自我を持つことは、生きて行くために必要なこと。そこが崩れると、心が病む可能性がある。
高屋敷氏は、メンタルヘルスについて、鋭く切り込むことが多く、その先見の明に驚かされる。
何故かは不明だが、あしたのジョー脚本(特に2、1は無記名だがデビュー作)で、力石の死と向き合う丈を描写した経験も、生きていると考えられる。

あと、「母の愛」についても、ど根性ガエル家なき子演出の頃から、強く描かれている(下記画像は、家なき子演出との比較)。女性キャラが殆どいないカイジ(脚本・シリーズ構成)においても、カイジに、どこか母性を持たせている。

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今回、軍馬は、可愛いお婆ちゃん・さゆりと交流するが、冷たい家庭環境から脱して、擬似家族を得たとも取れる(まだまだ啓太・ヒロシ・純子とは打ち解けないが)。これも、高屋敷氏が長年取り組んでいる、「孤独救済」が出ている。

また、脚本技術として、原作では登場しない回でも、聖(軍馬の後のライバル)を極力、登場させている。

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カイジ2期脚本・シリーズ構成でも、石田の息子を、地下が映る際には必ず登場させており、終盤の感動的展開の伏線にしている。
そういった、「構成」計算力の高さが、本作でも確認できる。

1話からここまで、高屋敷氏の全力投球ぶりには、本当に驚かされる。そして毎回、高屋敷氏の投げたいテーマが、はっきり出ている。原作ものであっても、いや、原作ものであるからこそ、「アニメ独自のテーマ」を持たせる重要性を感じる。これからも、シリーズ全体を流れるテーマを探って行きたい。

F-エフ-2話脚本:自分で作った道を行け

アニメ・F-エフ-は、六田登氏の漫画をアニメ化した作品。破天荒だが天才的なドライビングテクニックを持つ青年・赤木軍馬が、様々なドラマを経てレーサーとなり、数々の勝負を繰り広げていく姿を描く。
監督は真下耕一氏で、高屋敷氏はシリーズ構成・全話脚本を務める。
今回は、コンテ/演出が谷田部勝義氏、脚本が高屋敷英夫氏。

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  • 今回の話:

衆院選に出馬予定の軍馬の父・総一郎は、軍馬が邪魔だと明言。
一方軍馬は、「サーキットじゃな、お前より速い奴はゴマンといるんだぜ」という聖(プロのレーサー)の言葉が気になり、筑波サーキットを訪れる。
そこで軍馬は、小規模レーシングチームを組んでいる純子・啓太・ヒロシと出会うも、他人の車を強奪して大爆走の上クラッシュ。純子に叱咤される。
後日、赤木家から本格的に追い出されることになった軍馬は、父に手荒な旅立ちの挨拶をする…

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本記事を含めた、当ブログにおけるF-エフ-の記事一覧:

http://makimogpfb2.hatenablog.com/archive/category/%23F-%E3%82%A8%E3%83%95-
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開幕、高屋敷氏の特徴の1つである、月の意味深なアップ・間がある。
挙げればキリがないが、空手バカ一代演出/コンテ、あしたのジョー2・蒼天航路脚本と比較。

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アメリカから帰ってきた軍馬の異母兄弟・将馬と雄馬を迎えた夕食の席でも、軍馬は隣室で食事させられる。

隣室で食事をするのはアニメでのオリジナルで、軍馬の孤立が、より目立つようになっている。高屋敷氏は多くの作品で、孤独や、孤独救済を描く。ここでは、軍馬を慕う、赤木家の使用人・ユキが、軍馬の孤独を救済している。

また、食事シーンが、より強調されている。飯テロや食いしん坊描写も、高屋敷氏の大きな特徴。
ど根性ガエル脚本、ルパン三世2nd演出/コンテ、カイジ2期脚本と比較。
この場面では、「食べ物」も孤独を癒す役割を持っている。
メンタルと食事の関連性を、高屋敷氏は多くの作品で強調している。

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衆院選に出馬するため、軍馬の父・総一郎は、軍馬の存在そのものが邪魔だと明言し、軍馬の亡き母(総一郎の愛人)の事も悪く言う。
軍馬は、母の悪口は許せないとして、益々、父に反発する。
この直後、煙草を吸う総一郎の姿が、アニメでは追加されている。高屋敷氏の、煙草演出へのこだわりが感じられる。
カイジ2期・めぞん一刻脚本と比較。

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心配したユキが軍馬の部屋を訪ねるが、軍馬の姿はなかった。
そこへ将馬が現れ、「軍馬が好きなのか?」とユキに尋ねる。
ユキの表情を見て、将馬は「好きなんだな…」と言う。
原作では、ユキに片思いする将馬が、ユキを犯してしまうのだが、そこをカットし、替わりに上記の台詞が追加された。これにより、将馬→ユキ→軍馬の関係が、原作より純愛気味になっている。

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その頃軍馬は、いつもの如く改造トラクターで爆走していたが、転落。
夜空を見上げた軍馬は、聖の「サーキットじゃな、お前より速い奴はゴマンといるんだぜ」という言葉を思い出す。原作では、聖の言葉を思い出すのは自室。
太陽、月、星といった「天」を活躍させる、高屋敷氏の特徴が出ている。

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後日、軍馬は筑波サーキットに赴き、小規模レーシングチームを組んでいる純子・啓太・ヒロシと出会う。彼等に口を挟む軍馬はうざがられ、スパナで殴られる。

気絶する軍馬だったが、啓太の「バカ」という言葉に反応。他のチームの車を強奪して啓太を追いかける。

最初は滅茶苦茶だったものの、軍馬は天賦の才で啓太をぶっちぎる。それを見た純子達は、軍馬の才能に戦慄する。

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だが軍馬は、聖と、その恋人・ルイ子を見かけ、それに気を取られてクラッシュする。ここで聖が出るのは、アニメのオリジナル。聖と軍馬の縁を、より強調している。

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サーキットを滅茶苦茶にした軍馬は、純子に「サイテーな男」と叱咤され、追い出されるのだった。

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その後軍馬は、総一郎が勝手に、学校に退学届を出していたことを知って怒りを覚える。
軍馬はタモツ宅(主にシイタケ栽培をしている)を訪れ、その事を話す。状況や感情と、シイタケが連動しており、「物言わぬもの」に役割を与える高屋敷氏の特徴が出ている。ベルサイユのばらコンテ、めぞん一刻脚本と比較。

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軍馬は、筑波サーキットで聖を見かけたことをタモツに話し(前述の通り、アニメオリジナル)、自分は家を出たらレーサーになると宣言。すると鳥が飛ぶ。
高屋敷氏の特徴である、出崎兄弟ゆずりの鳥演出が、ここでも出現。
ベルサイユのばらコンテ、太陽の使者鉄人28号カイジ脚本と比較。

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軍馬は、天才的なメカニックでもあるタモツを、自分の夢に誘うも、タモツは家の手伝い(農業)や資金難を理由に、無理だと言う。ここも、落ちていくシイタケに、高屋敷氏らしさが出ている。

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そこで軍馬は、家を出て行く条件として、将馬に山を1つくれとふっかけるが却下される。
軍馬が部屋に戻ると、軍馬の荷物を片付けろと命じられた、とユキが泣いていた。
「お前ともお別れだな」と軍馬が言うと、ユキが抱きつく。
原作の「最後に、もう一度抱いてください」を削ったため、ユキと軍馬の関係も、告白すらしていないような純愛に変化している。
台詞を1つ減らし、表情で語らせるだけで、こうも純愛に変化させる、脚本・演出・作画の手腕に驚き。

また、こういった純愛路線は、高屋敷氏の他の作品にも表れており、同氏の好みなのかもしれない。忍者戦士飛影めぞん一刻脚本と比較。

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めぞん一刻では、原作の性的要素を削る替わりに、響子を想う五代の純粋さが強調されていた。

そして軍馬は、総一郎の後援者をもてなす宴席に、改造トラクターで突っ込む。

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原作では、宴席の隣室でユキと交わり、ふすまを開けられても性交をやめずに見せつけるという展開。
当然放送できないので、アニメではこうなったが、代替案も驚きの展開。見事な改変だと思う。

軍馬は総一郎に対し、赤木軍馬という存在を忘れるなと啖呵を切る。アニメでは「よーくその目ん玉の中に焼き付けておくんだ!俺っていう人間がいることをな!」というオリジナル台詞が追加されている。

めぞん一刻脚本でも、「僕の目の中には、あなたしかいないんです」というオリジナル台詞があり、共通性が感じられる。
ルーツは、監督作忍者マン一平の、目玉を飛ばす、一平の忍術からかもしれない。

そして、軍馬のこの啖呵は、「自分とは何か」「どういう自分になるかは、自分で決めろ」という高屋敷氏のテーマと、よくマッチしている。このシーンのために全てを積み上げたような構成により、高屋敷氏の発するテーマが、色濃く表れている。

軍馬の啖呵を聞いた総一郎は、「覚えておこう」と冷静に受け止める。憎まれ役とはいえ、ここの総一郎はかっこよく描かれている。
蒼天航路脚本にて、どスケベプレイがカットされたため、曹操の血塗られた未来を予見する張譲が少しかっこよく見えるのと重なる。
高屋敷氏は、善悪のラインをはっきり引かないことが多い。

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ここからの展開は、完全なるオリジナル。
軍馬は改造トラクターを駆って去り、ユキがそれを追いかける。ユキの姿に気付いた軍馬は、少し下を向いた後、色々な想いを断ち切るように、前を向いてユキを抜き去っていく。
ここの表情の作画も素晴らしいし、この追加展開も素晴らしい。

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原作では、軍馬がユキに、一緒に来いと誘い、足手まといになりたくないからと、ユキがそれを断るのだが、アニメでは、ユキが一緒に行きたがり、軍馬がそれを振り切るように改変されている。

ここも、高屋敷氏が演出参加(最終回含む)した家なき子のテーマ「前へ進め」が適用されているように感じる。

軍馬に去られたユキは、軍馬の名を叫び、泣く。あしたのジョー1最終回で、旅立ってしまった丈の名を叫ぶサチ子に重なるものがある。高屋敷氏は、あしたのジョー1にて脚本(無記名)、制作進行、演出や脚本の手伝いをしているので、その経験を生かしたかもしれない。

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そして、「前へ進む」と決めたキャラが「男の顔」に豹変するのも、高屋敷氏の得意とするところ。
家なき子演出、カイジ・DAYS脚本と比較。
「前だ、もっと前に行くんだ」(アニメオリジナル)と、「勝負の大海へ漕ぎ出す」決意を固めるカイジは、ここの軍馬の魂を継いでいると言える。

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  • まとめ

「自分という存在を知らしめる」軍馬の荒ぶる魂を描くことで、高屋敷氏のテーマであるところの、「自分とは何か」「どういう自分になるかは、自分で決めろ」が如実に表れている。これを直球で投げるために、あらゆる要素を積み上げている手腕も、見事という他ない。

めぞん一刻(最終シリーズ構成・脚本)でも大変だったと思うが、本作も、放送できない、原作の性的描写を削らねばならない。

その代替案が、ことごとく素晴らしくはまっている。特にラストの、上京シーンの追加は脱帽。
ユキに加え、タモツも見送る展開も良い。

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原作では倫理を破壊(隣室で性交)し、アニメでは家を破壊(トラクターで突入)することで、軍馬は、自分を孤独に追い込むものを破壊する。

自分の存在が抹消されるということは、生命の危機であると同時に、ある意味、死よりも恐ろしい事である。軍馬は、本能的にそれを察知し、抗ったと言える。

そして、前述の通り、家なき子から来ている「前へ進め」というテーマ。1話に続き、2話でも強烈に出している。家での孤独を和らげてくれたユキへの想いを断ち切り、前を向く軍馬は、まさに家なき子で出てきた格言「男はいつか1人で生きていくもの」を地で行っている(まだまだ、色々やらかすのだが)。

あと、ちょっとした追加や削除なのに、原作と大きく異なってきたり、高屋敷氏の出したいテーマが強烈に出たりしている点も驚異的。これは、何回か書いているが、原作通りなのにアニメスタッフの個性やテーマが滲み出る、じゃりン子チエの脚本経験が生きていると思う。

原作の、性的な人間関係を、わずかな台詞の削除・追加だけで、あっという間に純愛関係に変えてしまった手腕も恐ろしいものがある。賛否はどうあれ、あまりの手腕の見事さに敬服する。

また、アニメのオリジナル展開として、一瞬だけ聖を登場させたことが、軍馬の「レーサーになる」という夢を後押しする結果となっている。これも、少しの改変で絶大な効果をもたらしている。

とにかく本作は、高屋敷氏の「脚本家」としての手腕が爆発していることに、驚かされっぱなし。それでいて、演出の経験も存分に生かされている。本作は、高屋敷氏の色々な作品を追って来てよかったと、つくづく思える作品で、益々目が放せない。

F-エフ-1話脚本:「前に行く」男

アニメ・F-エフ-は、六田登氏の漫画をアニメ化した作品。破天荒だが天才的なドライビングテクニックを持つ青年・赤木軍馬が、様々なドラマを経てレーサーとなり、数々の熱い勝負を繰り広げていく姿を描く。
監督は真下耕一氏で、高屋敷氏はシリーズ構成・全話脚本を務める。
今回は、コンテが真下耕一監督、演出が石山貴明氏、脚本が高屋敷英夫氏。

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  • 今回の話:

群馬県の大富豪・赤木総一郎の愛人(故人)の息子、赤木軍馬は、天才的なメカニックの腕を持つ親友・タモツにより改造されたトラクターを乗り回し、様々な車をぶっちぎる日々。
そんなある日、軍馬はBMWを駆るレーサー・聖に出会い敗北。
後日、偶然にも聖に再会した軍馬は、タモツがチューンアップしたスターレットで、再び彼に挑むのだった。

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OP開始時、「つよさ…」「よわさ…」「はかなさ…」「じぶん…らしさ…」という、意味深な文字が浮かぶ。

高屋敷氏の発するテーマに、「自分とは何か」「どういう自分になるかは、自分で決めろ」というものがあり、それがもろに表れている。また、同氏が脚本参加した、あしたのジョー2のサブタイトル法則である、「必ず“…”を入れる」を適用している。

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開幕に、意味深な太陽と花の描写がある。高屋敷氏の特徴として、「自然の活躍」があり、それは演出作・脚本作両方で確認できる。家なき子演出、めぞん一刻脚本と比較。

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続いて、よそ者達の乗るカマロ(車種名)の登場時に鳥が飛ぶ。長年一緒に仕事した出崎兄弟ゆずりの鳥演出は、高屋敷氏の演出・脚本作ともに頻出。ベルサイユのばらコンテ、空手バカ一代演出/コンテ、カイジ脚本と比較。 

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改造トラクターに乗る軍馬と、軍馬の親友のタモツは、カマロに乗る青年達に煽られる。その際、軍馬はバカにされて煙草を鼻に突っ込まれる。この、煙草のくだりはアニメのオリジナルで、煙草演出を強調する高屋敷氏の個性が見られる。太陽の使者鉄人28号脚本と比較。

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バカにしたお礼とばかりに、軍馬は超絶なドライビングテクニック(ちなみに無免許)で改造トラクターを駆り、カマロをぶっちぎるが、自分達も転倒して、肥溜めにはまってしまうのだった。ここのカーアクションの作画は超絶。

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その後も軍馬は懲りもせず、女の子達(原作ではソープ嬢達)をトラクターに乗せて夜の街を爆走する。

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当然、軍馬は警察に咎められるわけであるが、地元の大富豪である父・総一郎の権限で放免となる。

その後、総一郎は1人囲碁を打ちながら、軍馬や、亡き軍馬の母(総一郎の愛人)のことをなじり、軍馬はそれに激しく反発する。

蒼天航路脚本では、曹操が父と仲良く囲碁を打つ場面があり、まるで作品を越えて赤木父子が救済されたような感慨がある。演出も、重なるものがある。

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総一郎は軍馬を、自分の「出来の悪いイミテーション」のようだと吐き捨て、父子の溝は更に深まる。

軍馬は鬱憤を晴らすように、今度はタモツをトラクターに乗せて暴走、154台の車を抜く。タモツが「どこに行くんだ」と尋ねると、軍馬は「前だ。前に行くんだ」と答える。これはアニメでの追加台詞。高屋敷氏は、カイジ脚本でも、「死んだみんなのためにも…前だ!もっと前に行くんだ」というモノローグを追加しており、演出参加した家なき子のテーマの1つ、「前へ進め」への強い思い入れが窺える。

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軍馬の爆走が止まらぬ中、1台のBMWが勝負を挑んで来る。運転するのは、プロのレーサー、聖であった。原作と違い、恋人のルイ子も乗っており、彼女はタバコに火をつける。ここも高屋敷氏の、煙草へのこだわりが感じられる。あしたのジョー2脚本と比較。

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結局、軍馬達はプロである聖のBMWに敗北し、川に転落してしまう。
後日、軍馬はタモツの家を訪ねる。その際、軍馬は鶏から卵を奪って食べる。ほぼ原作通りの場面だが、はだしのゲン2脚本にて、原爆ドームに巣を作った鳥の卵を、ゲン達が食べる場面に重なる。

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軍馬は納屋にて、タモツが知り合いからチューンアップを頼まれていたスターレットを見つける。慌てるタモツであったが、「友達だよな」と迫る軍馬に参って、運転を許してしまう。発進するスターレットの演出が、元祖天才バカボンの高屋敷氏演出/コンテに重なる。かなりのシンクロで、驚いた。こういった奇跡が起こり続けるのが面白い。

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改造スターレットで爆走する軍馬であったが、偶然にも聖のBMWと再会。すぐに聖を追いかける。タモツは、軍馬の動体視力や状況把握能力に驚愕する。原作通りだが、アカギ脚本にて、アカギの才に驚愕する南郷と重なる。構成の組み立て方に共通性があるためか。

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改造スターレットをもってしても、聖のBMWとはスペック差があったのだが、軍馬はとんでもないショートカットをして、聖に追い付く。

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聖も聖で熱くなり、ルイ子に「相手はまだ子供よ」とたしなめられる。
こういった「男の無邪気さ」の描写は、高屋敷氏の得意とするところ。

車体をぶつけながら煽ってくる聖に対し、軍馬は自分の服を、聖の車に向かって投げつけ、運転を妨害する。原作では、更にとんでもない(放送できない)行為もする。脱衣や裸は、アイデンティティーの如何を絡めて、高屋敷氏の演出や脚本で強調される(カイジ然り)。ここでも、かなり強調されている。

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脱ぐものがなくなって全裸の軍馬は、アメリカから帰国した軍馬の異母兄弟、将馬・雄馬と、総一郎を乗せた車とすれ違う。総一郎は、更に怒りを募らせるが、温厚な雄馬は、軍馬を「元気そう」と評す。この場面は、どこか出崎演出的で、出崎兄弟と縁深い高屋敷氏が脚本であるのは劇的。

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結局の所、スターレットはガードレールに激突、勝負は終わる。アニメのオリジナルで、聖の背後に夕陽が映る。太陽や月の意味深な「活躍」は、高屋敷氏の作品には頻出。元祖天才バカボン演出/コンテ、ベルサイユのばらコンテ、あしたのジョー2脚本と比較。

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車を降りても聖と軍馬は衝突。軍馬は聖に殴りかかるも返り討ちにあい、吹っ飛ばされる。聖は「サーキットじゃな、お前より速いやつは五万といるんだぜ」と言い残し、去る。この台詞は、終盤のアニメオリジナルでの場面で非常に重要になってくる台詞らしいので、覚えておきたい。

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ちなみに聖は、どことなく雰囲気が「あしたのジョー」のホセや力石に似ている。高屋敷氏は脚本で、あしたのジョー(特に2)に深く関わっており(2の最終回含む)、なかなか運命的なものを感じる。

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全裸でボロボロになるも、軍馬は闘争心を高め、前を見据えるのだった。
同じく全裸でボロボロでも、絶対に諦めないカイジと比較。

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「守るものがない」裸状態での試練は、高屋敷氏の演出・脚本作で、よく強調される。

  • まとめ

1話からして、高屋敷氏の全力投球を感じ、圧倒される。
特にOPの「じぶん…らしさ…」という言葉は、「自分とは何か」という、高屋敷氏がよく出すテーマを直球で投げており、驚く。

今回も、天や自然といった「物言わぬもの」の活躍が目立つ。冒頭から花や鳥が活躍し、最後も太陽が映える。こういった、「演出でも脚本でも、やる事が同じ」という不思議な現象は、戦慄すら覚える。

序盤は、改造トラクターでカマロの鼻をあかすなど、痛快な展開を見せるが、軍馬の冷たい家族関係もクローズアップされる。「孤独」、「孤独救済」は、高屋敷氏が重点を置いている事の1つ。冷たい家庭で孤立する軍馬のフラストレーションや影が、時折顔を見せるように構成されている。

軍馬の孤独描写は、タモツに何回も言う、「オレとお前は友達だよな」という台詞の強調にも表れている。家族の中で孤立する軍馬にとって、タモツやユキ(軍馬を慕う、赤木家の使用人)は命綱とも言うべき存在であることの、うまい表現になっているし、高屋敷氏らしい強調だと思う。

そして、オリジナルで追加された「前だ。前に行くんだ」という台詞。前述の通り、カイジ脚本での追加モノローグである「前だ。もっと前に行くんだ」と重なるのが本当に感慨深いし、演出参加した(最終回含む)、家なき子の「前へ進め」は、高屋敷氏自身が、非常に大切にしているテーマなのだと感じられる。

ライバルである聖については、あしたのジョー2脚本で培った経験をフルに生かしていると考えられる。軍馬とカイジに重なるものがあるように、聖もまた、丈のライバルであるホセや力石に重なるものがある。その「重なり」は、高屋敷氏が自身の仕事に、持てる経験を、常に全力で注ぎ込んでいるために発生するのではないだろうか。

本作は、1話あたりの密度が濃く、原作消費スピードも速い。それでいて、効果的な追加シーンもある。これは、長い原作を超圧縮する必要があった、1980年版鉄腕アトムの脚本経験が生かされているように思える。この脚本技術は、約100ページを1話に圧縮するような事もある、カイジの脚本にも生かされており、そういう面でも繋がりが見られて面白い。

本作は、シリーズ構成かつ全話脚本ということで、高屋敷氏が発するテーマやメッセージは非常に濃い。当時の高屋敷氏の集大成とも言えるかもしれず、これからも、じっくりと取り組みたい。

ベルサイユのばら18話コンテ:風が巻き起こす、禁断の愛

アニメ・ベルサイユのばらは、池田理代子氏の漫画をアニメ化した作品。フランス革命前後の時代が、男装の麗人・オスカルを中心に描かれる。
監督は、前半が長浜忠夫氏、後半が出崎統氏。高屋敷氏は、前半にて数本、コンテを担当した。今回18話は、演出が山吉康夫氏、脚本が杉江慧子氏、コンテが高屋敷英夫氏。

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  • 今回の話:

マリーに取り入っているポリニャック夫人の陰謀により、オスカルは襲撃され負傷。偶然通りかかったフェルゼンに助けられる。
フェルゼンの久々の訪仏に、マリーは胸踊らせるが、フェルゼンは政略結婚することに。
それを知り、マリーはショックを受ける。
だがオペラ会の日、林で鉢合わせしたマリーとフェルゼンは、互いの想いを爆発させるのだった。

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冒頭から、高屋敷氏の特徴である、炎のアップ・間が出てくる。家なき子演出、空手バカ一代演出、あしたのジョー2脚本と比較。

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ちなみに、暖炉の中からの構図は、家なき子(高屋敷氏演出参加)などで出崎統氏(家なき子監督)が好んで使っていた。

高屋敷氏のコンテの癖の1つに、長年一緒に仕事した出崎兄弟ゆずりの、手前にオブジェクトを大胆に置く構図がある。高屋敷氏のは、出崎兄弟の中間くらいのダイナミックさがある。ルパン三世2nd演出/コンテと比較。

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本作における、以前の高屋敷氏のコンテ回(11話)でもそうだったが、オスカルのばあや(アンドレの祖母)が可愛い。高屋敷氏の作品では、大人が子供のように泣く事が多い。
ルパン三世2nd・元祖天才バカボン演出/コンテ、1980年版鉄腕アトム脚本と比較。

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監督作忍者マン一平では、「大人だって泣きたい時があるんです」という直球台詞がある。

11話のコンテに続き今回も、カードゲームが出てくる。忍者戦士飛影・キャッツアイ・カイジ脚本と比較。

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頻出の、意味深なランプのアップ・間も出てくる。画像はシャンデリア集。
今回、家なき子演出、ルパン三世2nd演出/コンテ、カイジ2期脚本。

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フェルゼンの訪仏を知り、マリーが喜ぶ場面のイメージ映像では、白鳥が出てくる。これも、出崎兄弟ゆずりの鳥演出。家なき子演出と比較。 

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続いてのイメージ映像も、家なき子の高屋敷氏演出回と雰囲気が重なる。

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オスカルは、自分を襲撃した首謀者・ポリニャック夫人を鋭い眼光で見つめ、ポリニャック夫人は狼狽する。
証拠が掴めなかったので、今回はここまでとなるが、カイジ2期脚本では、証拠を掴んだ上で、カイジが班長に逆襲している。ここも、時と作品を越えたリベンジのようで、比較すると面白い。

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フェルゼンとオスカルが話し込む場面にて、高屋敷氏のコンテの癖と見られる、手前にアーチ状のオブジェクトを置く構図が出る。ルパン三世2nd演出/コンテと比較。

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本作における高屋敷氏コンテ回全てに、虹が出てくる。本作11話コンテ、エースをねらえ!演出と比較。同氏の好みなのかもしれない。

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フェルゼンが結婚すると知り、マリーがショックを受ける場面でも、出崎兄弟ゆずりの鳥演出が出る。高屋敷氏のは、後年(特に脚本作)になると、ストーリーとの関連性が、より密接になっていく。空手バカ一代演出/コンテ、カイジ脚本、ルパン三世2nd演出/コンテと比較。

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ところで、高屋敷氏の演出・脚本作ともに、苦悩したり疲れたりしているキャラが、木によりかかる画がよく出てくる。これも癖なのかもしれない。元祖天才バカボン演出/コンテ、めぞん一刻じゃりン子チエ脚本と比較。

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オスカルがフェルゼンの言葉を思い出す場面では、フェルゼンの画がぐるぐる回転する。似たような演出が空手バカ一代演出/コンテにある。

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また、台詞を何回もリフレインさせるのは、高屋敷氏の脚本によくあるので、コンテにて同氏が連呼指定をしたかもしれない。

そして、オスカルが考え込む場面でも、火の意味深なアップ・間が出てくる。太陽の使者鉄人28号MASTERキートン脚本、ど根性ガエル演出と比較。

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オスカルの飲むワインに、マリーとフェルゼンのイメージが映るが、忍者戦士飛影脚本とシンクロを起こしている。忍者戦士飛影脚本執筆時に、本作の経験を生かした可能性がある。

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更に、ワインにオスカルが映る。己と向き合ったり、真実を映したり、状況を映したりする鏡演出は、高屋敷氏の作品によく出る。蒼天航路カイジ1、2期脚本と比較。

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オペラ会の日、林で鉢合わせしたマリーとフェルゼンは、互いの想いを爆発させ、抱き合う。ここでは、木々や風が2人の恋をアシスト。高屋敷氏の作品では自然が重要な役割をする。めぞん一刻脚本では、雪が恋をアシストした。

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恋愛と母子愛の違いこそあれど、抱擁シーンが、家なき子演出と似てくる。年代も近く、本作における高屋敷氏のコンテは、全体的に雰囲気が家なき子と重なる。

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フェルゼンとマリーは、ついに結ばれる。同じく禁断の愛(呂布貂蝉)が描かれた、蒼天航路脚本と比較。どちらも暗喩やイメージが多め。

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  • まとめ

マリーとフェルゼンのラブシーンは、後に高屋敷氏の様々な演出・脚本作に生かされることになる。特に、風や葉といった、自然の役割が重要となる。ラブコメである、めぞん一刻の脚本・最終シリーズ構成でも、これは存分に生かされていた。特に、雪の夜に五代と響子(主人公とヒロイン)が結ばれる描写は印象的。

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近年は、アカギやカイジワンナウツなど、男ばかりの作品の脚本・シリーズ構成が多いが、ラブロマンスも同氏の守備範囲内であることを、今回は思い出させてくれる。

そして鳥演出も、要所要所でうまく機能している。気になるのは、イメージの止め絵にも鳥が描かれていること。以前の高屋敷氏コンテ回のイメージ絵と比較。

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イメージ絵の案を誰が出すのかは、その時その時で様々(脚本・コンテ・演出・作画など)なので、発案者は不明ではあるが、とにかくイメージ絵にまで出張るくらいに、鳥が活躍している。

富野由悠季氏・出崎統氏などの特例を除き、コンテは根本的に話をいじれない(勿論、アレンジは可能)わけだが、脚本からイメージを膨らませ、画の設計をすることができる。その、「イメージを膨らませた部分」が、高屋敷氏が得意とする、舞い散る葉やランプなどの「活躍」なのではないだろうか。

不思議なことに高屋敷氏は、これら「物や自然の活躍」を、脚本でも行う。アニメは映像作品なのだから、脚本であろうとも、視覚情報を目一杯使うことを、最初から意識していると考えられる。

最初の段階である脚本が、その後の工程を意識していないと、コンテ、作画、演出は困ることがあるという。コンテや演出の経験も豊富な高屋敷氏は、「アニメにするための脚本」を書く事に長けているのでないか…と私は考えている。そうであれば、同氏の脚本作・演出作の完成映像が似通ってくる原因が、少し見えて来る。それでも、不思議ではあるが。

あと、テーマ的な話になるが、今回のマリーは「王妃としての自分」を捨てて、「フェルゼンを愛する、一人の女としての自分」を選んでいる。高屋敷氏の発するテーマに、「自分とは何か」「どういう自分になるかは、自分で決めろ」というものがある。今回はコンテなので、脚本ほどの関与はできなかったであろうが、ここに関してはテーマの共通性が見られ、興味深い。後の脚本作に生かしたかもしれない。

ベルサイユのばらにおける高屋敷氏の仕事はコンテのみで、今回が最後。だが、後年の脚本で同氏が意識しているらしきことと、共通の部分が見られる、貴重な作品だった。

ベルサイユのばら11話コンテ:カイジに継がれた、オスカルの怒り

アニメ・ベルサイユのばらは、池田理代子氏の漫画をアニメ化した作品。フランス革命前後の時代が、男装の麗人・オスカルを中心に描かれる。
監督は、前半が長浜忠夫氏、後半が出崎統氏。高屋敷氏は、前半にて数本、コンテを担当した。今回11話は、演出が山吉康夫氏、脚本が山田正弘氏、コンテが高屋敷英夫氏。

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  • 今回の話:

マリーは王妃となり、オスカルは近衛連隊長に昇進する。
だがマリーは政務を放り出し、北欧貴族の美声年・フェルゼンに夢中になる。
事態が深刻になる前にと、オスカルはフェルゼンに帰国を促す。
その後オスカルは、ド・ゲメネが貧民の子供を撃ち殺す場面に遭遇、怒りに震える。
一方、オスカルの進言を受け、フェルゼンは帰国。マリーは孤独を感じるのだった。

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冒頭、長年一緒に仕事した出崎兄弟ゆずりの鳥演出がある。脚本にシフトすると、高屋敷氏は鳥にどんどん意味を持たせるようになる。らんま・コボちゃんじゃりン子チエ脚本と比較。

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そして、高屋敷氏のコンテ癖の一つ、手前レイヤー左右にオブジェクトを置く構図が出てくる。結構ユニークで、ベルサイユのばらにおいて、高屋敷氏のコンテだとわかる目印になっている。監督作忍者マン一平空手バカ一代演出・コンテ、ルパン三世2nd演出・コンテと比較。

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サブタイトル表示時から、高屋敷氏の大きな特徴である、印象的な夕陽のアップ・間がある。今回も、全てを見ているかのような存在感がある。
忍者戦士飛影脚本、空手バカ一代演出、蒼天航路あしたのジョー2脚本と比較。

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近衛連隊長となったオスカルと、マリーが話すシーンにて、高屋敷氏特徴の、鏡演出が出てくる。
真実や状況を映す役割を担っており、ここでは、角度的に、マリーを案ずるオスカルが映っておらず、マリーは現状に気付けない。
じゃりン子チエめぞん一刻脚本、ルパン三世2nd演出・コンテ、カイジ脚本と比較。

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ところで、高屋敷氏の演出や脚本は、キャラが無邪気で幼くなる傾向があり、今回もそれが出ている。後にオスカルの恋人となるアンドレがコミカルで幼い。
エースをねらえ!演出、めぞん一刻脚本と比較。どれもヒロインの恋人となるキャラだが、高屋敷氏にかかると、「男の子」的な一面を見せる。

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あと、ベルサイユのばらにおける高屋敷氏コンテ回では、オスカルのばあや(アンドレの祖母)が可愛い。高屋敷氏は、味のある老人の描写が相当得意なのではないだろうか。あらゆる作品で、印象に残る。
画像は、味のあるおばあさん集。
今回と、花田少年史めぞん一刻MASTERキートン脚本。

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オスカルがマリーを案ずる場面でも、窓にオスカルを映す、鏡演出が出ている。ここでは、状況を把握しているオスカルが、はっきりと自分の顔を見る。カイジめぞん一刻あしたのジョー2脚本と比較。カイジと、めぞん一刻の五代は自分と向き合い、あしたのジョー2の金竜飛は、自分と向き合えず、鏡を見ていない。

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オスカルが、マリーとフランスの行く末を案ずる場面では、ロウソクの火が意味深に映る。ランプや火が意味深に映る、高屋敷氏の大きな特徴が出ている。空手バカ一代演出・コンテ、ワンナウツ蒼天航路脚本と比較。

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マリーがカード遊びに興じているが、カイジはじめ、高屋敷氏の演出や脚本では、割とカードゲームが出てくる。カイジ・キャッツアイ・忍者戦士飛影脚本と比較。

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宮廷の噴水に虹がかかる場面かあるが、演出時代の高屋敷氏は、よく虹を出す。エースをねらえ!演出、シリーズ構成・脚本作である、「Rainbow-二舎六房の七人-」のOPと比較。「二舎六房の七人」では、シリーズ全体で、虹が重要な役割を担う。後年の脚本作になるにつれ、虹の意味合いが格段に深くなる。

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マリーにつき従うメルシーとノワイユは、味のある良キャラで、こういった、若者を見守る大人達を印象深く描写するのも、高屋敷氏の得意とするところ。
アカギ脚本、空手バカ一代演出・コンテ、カイジ2期脚本と比較。

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マリーとフェルゼンが、互いに好意を寄せあっているのが明確に分かる場面では、風が印象的に描写される。また、紙の描写は、高屋敷氏の作品では頻出。
風、雨、雪など、天候に役割を持たせるのも、高屋敷氏の特徴の一つ。
MASTERキートンめぞん一刻脚本、監督作忍者マン一平カイジ2期脚本と比較。

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貧民の子供・ピエールがド・ゲメネに射殺され、オスカルが怒りと悲しみに打ち震える場面は、カイジ脚本の、利根川に仲間達を殺されたカイジが激怒する場面と、恐ろしいまでのシンクロを起こしている。かたや話をいじれないコンテ、かたや絵をいじれない脚本…奇跡的な事だが、絵も話もオーバーラップする。
高屋敷氏の巻き起こす、こういった奇跡には、いつも驚かされる。

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そして高屋敷氏は、カイジ20話脚本にて、何も持たぬ「奴隷」として、カイジが「皇帝」たる利根川を討つ話の脚本を担当した際、ベルサイユのばらにおける、今回の話を思い出しているのではないか?と思うくらい、カイジが、自身の仲間達だけでなく、ピエールの無念も晴らしたように見える。両作品の色々な場面が思い出され、劇的。

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終盤、迫力ある夕陽の意味深なアップ・間がある。かなり物語とリンクしている、重要な役回り。
空手バカ一代演出・コンテ、キャッツアイ・めぞん一刻脚本と比較。

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フェルゼンが帰国する場面では、出崎兄弟ゆずりの坂道遠近が出てくる。ルパン三世2nd演出・コンテと比較。

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フェルゼンの帰国を知ったマリーは、扇子を取り落とす。高屋敷氏は、「物」が意思をもつかのように描写する。あしたのジョー2・めぞん一刻脚本と比較。

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フェルゼンがいなくなり、マリーは孤独を感じる。「孤独」が人を蝕む描写は、高屋敷氏の作品によく出てくる。仲間に裏切られ、孤独になってしまったカイジ(脚本)と比較。

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孤独からの救済描写もよくあるが、今回は原作通り、破滅が示唆される。

  • まとめ

とにかく目を引くのは、ピエールを射殺したド・ゲメネに激怒するオスカルと、仲間を殺され、利根川に激怒するカイジが、恐ろしいまでに重なり、そしてカイジ20話脚本にて、利根川を討つカイジが、自身の仲間達だけでなく、ピエールの仇まで取ったように見えること。
ド・ゲメネと利根川、奇跡的に、名前まで似ている。

奇跡的な偶然で片付けてしまいたいところだが、原因としては、どちらも、

  • 貧富の差が前面に押し出されていること
  • 金持ちに、貧しき者が殺されていること
  • 主人公が、上記の事柄に激怒すること
  • 主人公が、義理人情に溢れる人間であること

が挙げられる。

更に、高屋敷氏の強調したい部分が、コンテと脚本の違いこそあれど、両作品で共通していると考えられる。演出にしろ脚本にしろ、高屋敷氏は、出したいテーマを直球で投げてくることが多い。それが、画面にありありと表れるから、奇跡的シンクロが起こり続けるのかもしれない。

高屋敷氏の作品を見るたびに思うことであるが、その時その時で、持っている引き出しを全力で使っているように感じる。そのため、後年になればなるほど、引き出しが多くなり、話に込められた意味が非常に濃厚になっていく。カイジ脚本・シリーズ構成(2007)と、ベルサイユのばらコンテ(1980)の年月の差は、30年近い。得た経験を確実に積み上げ、必要な時に着実に使う、高屋敷氏の「引き出しの多さ」を感じた回だった。