はじめの一歩3期11話脚本:アニメへの落とし込み
アニメ『はじめの一歩 Rising』は、森川ジョージ氏原作の漫画『はじめの一歩』をアニメ化した作品の第3期。元は気弱だった幕之内一歩がボクシングに身を投じる様を描く。
(3期の)監督は宍戸淳氏と西村聡氏(22~25話)で、シリーズ構成は、ふでやすかずゆき氏。
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- 今回の話:
コンテ:平野俊貴氏、演出:波多正美氏、脚本:高屋敷英夫氏。
フェザー級日本チャンピオンの一歩に、名古屋・鬼槍留(キャリル)ジムの沢村竜平が挑む。
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開幕の、一歩と沢村(名古屋・鬼槍留ジム所属のボクサー)の選手入場シーンは、あしたのジョー2(脚本)の、ホセ(バンタム級世界王者)と丈の入場シーンを彷彿とさせる。どちらも緊迫した空間作りに成功している。
試合開始前から挑発的だった沢村は、試合が始まると、奇妙な体勢で一歩を凝視する。奇妙で挑発的な行動は、らんま1/2・DAYS(脚本)でも強調されている。どれも原作通りだが、並べると面白い。
さりげなく足をかけたり、スリップから起き上がってない状態の一歩を襲おうとしたりと、悪質な沢村に観客は罵声を浴びせるが、沢村は意に介さず。
ヒールに徹して逆に天晴といったキャラは、忍者戦士飛影・マイメロディの赤ずきん(脚本)でも印象的。
内心、怒り心頭の一歩は積極的に攻め、強烈なリバーブローを沢村に食らわす。悪役が気の毒になってくる雰囲気作りは、アンパンマン(脚本)や、まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)などにも見られる。
試合の合間、久美(一歩のガールフレンド)や宮田(一歩のライバル)、伊達(元フェザー級日本/東洋太平洋王者)、千堂(かつての一歩の対戦相手)など、しばしば観客が映るが、テンポがいい。こういったリズムの良さは、あしたのジョー2(脚本)でも光る。
第2ラウンド、一歩の強烈な攻撃を受けながらも、沢村は狡猾な行為(わざと時間稼ぎするなど)で耐える。悪賢さに感心させられてしまうのは、アンパンマン(脚本)の、ばいきんまん(アンパンマンの宿敵)を思わせる。
沢村は、“バレット(弾丸)”と呼ばれる、独特の構えから連発する強力なジャブを繰り出す。悪賢いだけでなく、本気モードでは恐ろしさを出す悪役は、マイメロディの赤ずきん・忍者戦士飛影(脚本)などでも目立つ。
リングサイドでは、沢村の属する鬼槍留ジムの会長と、鴨川(一歩の属するジムの会長)が試合を見守る。リズミカルなモノローグの応酬は、心理戦だらけのカイジ(脚本)でも目を引く。
鷹村(一歩の先輩で、ミドル級日本王者/ジュニアミドル級世界王者)、青木・木村(一歩の先輩)、板垣(一歩の後輩)ら鴨川ジムの面々や久美、間柴了(久美の兄。かつて一歩と対戦)は固唾を飲んで観戦。ここも、あしたのジョー2(脚本)と同じく、会話の切り替えがうまい。
第3ラウンド、沢村のバレットを防御しながら前進する一歩であったが、閃光のようなカウンターを沢村から食らい、マウスピースが飛ぶ。ここもリズムやテンポが見事で、緊迫感がある。
床にバウンドしたマウスピースが額に当たり、意識を取り戻した一歩は必死に倒れるのをこらえる。
状況が似ているためか、あしたのジョー2(脚本)と絵面が似ていて、比較すると面白い。
凄絶になってきた試合を、伊達と千堂も興奮気味に見つめる。ここも、あしたのジョー2(脚本)に見られるような、小気味よい台詞運び。
第3ラウンドが終了、一歩は何とかしのぐ。天井のライトが映るが、照明による「間」は多い。空手バカ一代(演出/コンテ)、グラゼニ・カイジ2期(脚本)と比較。
思考が混乱する一歩に、鴨川は軽く頭突きし、アドバイスを送る。ボクサーとトレーナーの固い絆は、あしたのジョー2・RAINBOW-二舎六房の七人-(脚本)でも印象に残る。
一方、沢村は一歩を「おいしくいただく」べく虎視眈々とするのだった。直接的な意味だが、主人公を食べようとする悪役は、マイメロディの赤ずきん(脚本)、まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)に出ており、比較すると面白い。
- まとめ
本作において、高屋敷氏は今回・12・13話の脚本を担当(一歩対沢村戦開始~終了まで)。このことは、あしたのジョー2の45・46・47話(丈対ホセ戦開始~最終回)の脚本を同氏が担当したことと良い対比になっている。
原作からして、はじめの一歩と、あしたのジョーは掲載紙が同じ(週刊少年マガジン)で、はじめの一歩が、あしたのジョーを強く意識するなど、関係が深い。高屋敷氏が、はじめの一歩に参加したことは、この「関係」を更に深めた。
今回演出で参加している波多正美氏も、あしたのジョー1に演出参加しており、粋な布陣となっている。こういった事は、敏腕プロデューサーであり、あしたのジョー1スタッフだった丸山正雄氏(マッドハウス、MAPPA設立者)の計らいなのだろうか?
あと、波多正美氏はマイメロディの赤ずきん(高屋敷氏脚本)の総監督でもある。それに出てくる狼と、今回の沢村が、主人公を「おいしくいただく」べく動くのは、重なってきて面白い。
以前書いた、マイメロディの赤ずきん(高屋敷氏脚本)についてのブログ記事はこちら↓
https://makimogpfb2.hatenablog.com/entry/2020/03/01/135924
また、高屋敷氏的な「悪役」の描き方にも注目したい。例えば、アンパンマン(脚本)の、ばいきんまんがわかりやすいが、勝つために悪知恵をめぐらせる姿には感心させられる事が多い。沢村にも、そういった要素がある。
そもそもとして高屋敷氏は、善悪のラインを明確に引かない傾向がある。それは、作中でイカサマが横行するカイジ・ワンナウツ(シリーズ構成・脚本)でも活かされており、作品世界を深くしている。
そういったポリシーが今回にも感じられ、全体的に沢村が、若干「憎めない」キャラになっている。高屋敷氏はキャラの掘り下げや形成に秀でるが、その本領が遺憾なく発揮されている。
キャラといえば、試合を見守るキャラ達の台詞やモノローグのテンポがいい。あしたのジョー2(脚本)でも、その技術が光っていたが、時を経て更に洗練されている。常にアップデートを怠らない高屋敷氏の姿勢に敬服する。
あしたのジョー2(脚本)も本作も、原作をそのままなぞらず、1話約22分のアニメとしてのリズムに合わせ、台詞の取捨選択が行われ、構成が工夫されている。何十年とアニメに関わってきた、高屋敷氏の技術の高さが感じられる。
つくづく思うことであるが、原作をそのまま「なぞる」だけでは、原作の面白さをアニメにすることはできない。高屋敷氏は、アニメを「熟知」しているからこそ、原作をアニメに落とし込む技術に長けるのだと思う。
『あしたのジョー2』47話(最終回)脚本:旅人
アニメ『あしたのジョー2』は、高森朝雄(梶原一騎)氏原作、ちばてつや氏画の漫画をアニメ化した作品(第2作)。風来坊の青年・矢吹丈がボクシングに魂を燃やし尽くす様を描く。監督は出崎統氏。
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- 今回の話:
コンテ:出崎統監督、演出:竹内啓雄氏・大賀俊二氏、脚本:高屋敷英夫氏。
丈とホセ(バンタム級世界王者)の試合は白熱し、最終ラウンドが終わる。判定の時、丈は…。
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丈対ホセ(バンタム級世界王者)の試合は中盤~後半に入る。血しぶきが放送席に飛んでも、実況は怯まず実況を続ける(アニメオリジナル)。根性のある名実況描写は、らんま1/2(脚本)にも見られる。
試合の凄絶さに耐えきれず、葉子(白木ジム新会長)は会場を出て自家用車に駆け込む。運転手が味のあるキャラをしている。おにいさまへ…・めぞん一刻・ワンナウツ(脚本)など、高屋敷氏は地味キャラを引き立てる。
とにかく車を走らせるよう運転手に頼んだ葉子は、丈の試合を伝えるラジオを運転手につけさせたり切らせたりするが、逃げない決意をし、会場に戻る。手による感情表現は頻出。ワンナウツ・はじめの一歩3期(脚本)と比較。
試合は引き続き白熱し、丈を慕うドヤ街(丈の地元。東京の下町)の子供達は必死に丈を応援する(アニメオリジナル)。ガイキング・宝島(演出)、あんみつ姫(脚本)ほか、高屋敷氏は子供の扱いに長ける。
試合は12ラウンドが終了。葉子はリングサイドに落ちたタオルを拾い、それを段平(丈の属するジムの会長)に渡さず、丈を激励する。ここも、手による感情表現が強調されている。おにいさまへ…・ワンナウツ(脚本)と比較。
13ラウンドが始まると、満身創痍ながらホセに必死で立ち向かう丈に、ドヤ街の子供達や段平は声援を送る(アニメオリジナル)。はだしのゲン2・グラゼニ(脚本)ほか、高屋敷氏は主人公の周囲のキャラの扱い方が秀逸。
何度も立ち上がってくる丈に恐れを抱き始めたホセは錯乱し、反則をしてしまう。
はじめの一歩3期(脚本)で、一歩のしぶとさに苛立った沢村(一歩の対戦相手)が反則をするのと重なってくる。どちらも原作通りだが、比べると面白い。
14ラウンド目、焦燥するホセは、まるで幻影と戦っているような感覚に陥る。限界を超えた勝負の世界は、F-エフ-(脚本)でも大いに表現されている。
最終15ラウンド、丈は伝家の宝刀・クロスカウンター、そしてトリプルクロスカウンターを決める。ここも、アニメオリジナル交えて周囲の反応の描写が巧み。
最終ラウンドを終えた丈は、「あんたに貰って欲しいんだよ」とグローブを葉子に渡す。手から手へ思いを伝える描写は多い。F-エフ-・おにいさまへ…・MASTERキートン・怪物王女(脚本)と比較。
判定により、試合はホセの勝ちとなるが、ホセは疲弊しきってしまう。F-エフ-(脚本)でも、聖(主人公・軍馬のライバル)が病気で白髪になってしまう描写がある(原作では毛が抜ける)。
段平は丈の健闘を称えるが、丈の様子がおかしい事に気付く。アニメオリジナルで、それに周囲も気付く。ここも、キャラの扱いが上手い。原作では、そもそも紀子(丈の元ガールフレンド)とドヤ街の子供達の描写が無いので貴重。
丈を見た葉子は、手に抱いていた丈のグローブを落とす(アニメオリジナル)。魂が宿ったような物の描写は多い。F-エフ-・おにいさまへ…・RAINBOW-二舎六房の七人-・グラゼニ(脚本)と比較。
望み通り真っ白に燃え尽きた丈は、安らかに佇む。夕陽がインサートされるが(旅に出る丈のイメージ)、全てを見ているような夕陽の描写はよく出る。おにいさまへ…・F-エフ-(脚本)、宝島(演出)、まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)と比較。
燃え尽きた丈を映しながら、物語は終わる。「完」が出るエンドつながりで、宝島(演出)、めぞん一刻(脚本)と比較。どれも名場面。
- まとめ
そもそも本作の後期OPは、この最終回の続きという説がある(燃え尽きるまでボクシングをやった丈が旅に出る)。また、このOPの“夕暮れの廃車場”は、カイジ(シリーズ構成・脚本)EDにオマージュがある。
カイジED演出は名手・鈴木典光氏であるが、カイジEDも最終回後のカイジの描写があったり、先述のように廃車場の描写があったりと、本作後期OPとコンセプトが同じ。シリーズ構成の高屋敷氏が関われるかは謎だが、比較すると面白い。
あと、まんが世界昔ばなし『幸福の王子』(演出/コンテ)のラストでは、絶命したツバメと王子像の魂が天に回収され、その後天国から町を見守るのだが、なんとなくこれも本作のラストと重ねてみると興味深い。
私としては、「丈にとってのボクシング」が(燃え尽きるまでやったことで)死に(だからグローブが落ちる描写がある)、その魂が天に回収され、太陽となって、旅立つ丈を見守る…と、高屋敷氏の作品を見てきた身として本作のラストを解釈したい。
丈の生死やその後については諸説あるが、丈にとっての青春が終わったことは、はっきりと示されている(サブタイトルも「青春はいま…燃えつきた」)。F-エフ-(シリーズ構成・全話脚本)でも、「青春の終わり、そして旅立ち」が見事に描かれている。
丈の生死については、高屋敷氏としては「生きて旅をしていて欲しい」と願っているのではないだろうか。マイメロディの赤ずきん(脚本)でも、狼が(死なずに)旅を続けていることを示唆するラストになっており、丈を引きずっているのが窺える。
「最終回後、丈が旅に出た」というのは、いきなり出てきたものではなく、本作45・46話(高屋敷氏脚本)から丁寧に積み上げられた要素。また、原作をささやかにフォローするアニメオリジナルでもある。
アニメオリジナルといえば、45話~今回に至るまでの最終3話(高屋敷氏脚本)において、高屋敷氏は実にうまく紀子・西(丈の旧友)・ドヤ街の子供達(原作では試合会場にいない)を扱っていて、その手腕に感心する。
これもまた、適当に出しているわけでなく、彼等がなぜそこにいるかを、じっくりシリーズを通して描写してきたからと言える。高屋敷氏含む、脚本陣の連携が感じられる。
そして、本作で描かれた「生き様」は、めぞん一刻最終シリーズ・F-エフ-・アカギ・カイジ・グラゼニ・ワンナウツ・RAINBOW-二舎六房の七人-のシリーズ構成・脚本に存分に活かされている。どれも熱く「生きる」ことの大切さが描かれ、ラストが感慨深い。
限りある人生をどう生きる(生きた)か…を、高屋敷氏は色々な作品を通して何十年と描き続けている。本作は、その代表作の一つであり、カイジにも繋がっている、はずせない名作であるのは間違いない。