家なき子37話演出:主張と吸収
アニメ『家なき子』はエクトール・アンリ・マロ作の児童文学作品をアニメ化した作品。過酷な運命のもと旅をする少年・レミの成長を描く。
総監督は出崎統氏。
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- 今回の話:
サブタイトル:「ママへの贈り物」
バルブラン(レミの育ての母)に贈る雌牛を買うための金を稼ぐため、レミ達は温泉街・モンドールへ向かう。
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旅を続けるレミ達は、パンを分け合って食事する。飯テロは実に多く、皆で食べると尚おいしいという主張も数々の作品に見られる。
宝島(演出)、はだしのゲン2(脚本)と比較。
音楽の先生の誘いを断り、レミと旅を続けるマチヤ(レミの親友。風来坊)は、レミといる方が楽しいと、蝶を追いながら言う。
まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)、ガイキング(演出)、あしたのジョー2・おにいさまへ…(脚本)など、蝶が絡む場面は多い。
レミは、マチヤを挑発してからかい、マチヤもそれに乗る。無邪気なじゃれ合いは、色々な作品で目立つ。
ガンバの冒険(脚本)、ど根性ガエル(演出)と比較。
その後、レミ達は立ち寄った村で興行する。高屋敷氏は、コミカルで可愛い所作をキャラにつける傾向がある。
まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)、宝島(演出)と比較。
興行が終わるも、拍手は一人で、稼ぎもわずか。
とにかく演出でも脚本でも、高屋敷氏はモブを印象づける。F-エフ-(脚本)、ど根性ガエル(演出)と比較。
レミ達は、村の人から、この村は農作物の収穫が少なく景気が悪いから、温泉街のモンドールに行った方がいいと言われる。
ここもモブのレベルが高い。F-エフ-(脚本)、宝島(演出)と比較。
レミ達は、早速モンドールへ向かう。
途中、レミとマチヤは、バルブラン(レミの育ての母)に雌牛を贈るための金を確認するが、あと50フラン足りない。
コンビでの微笑ましいやりとりは強調される。宝島(演出)、F-エフ-(脚本)、ルパン三世2nd(演出/コンテ)と比較。
レミ達は野宿をし、レミは雌牛とバルブランの夢を見る。
メルヘンチックで浮遊感のあるイメージは、ベルサイユのばら(コンテ)のイメージ場面と共通するものがある。
モンドールに着いたレミ達は、レベルの高い旅芸人の多さに圧倒される。
ここもやはり、モブのインパクトが強い。空手バカ一代(演出/コンテ)、F-エフ-(脚本)と比較。
それでも、めげずにレミ達は興行を始めるが、客はまばら。(稼ぎが少ない事を示す)空の器が映るが、意味のある「物」の「間」は結構見られる。F-エフ-・グラゼニ(脚本)と比較。
夜、温泉に入りながら、レミ達は景気づけに遊ぶ。
風呂での微笑ましい(?)やり取りは、DAYS(脚本)も(ほぼ原作通りだが)印象深い。
温泉にはランプが多数ぶら下がっているが、とにかく高屋敷氏はランプにこだわる。カイジ2期・あしたのジョー2・RIDEBACK(脚本)と比較。
そんな中、ジョリクール(芸をする猿。二代目)は、温泉客の足をくすぐるイタズラをする。
イタズラ好きの動物の描写は、まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)、オヨネコぶーにゃん(脚本)ほか、結構見られる。
ジョリクールが見つかり、騒ぎになっているのに気付いたレミとマチヤは、咄嗟に温泉に潜って隠れる。
DAYS(脚本)、ど根性ガエル(演出)にも風呂でのコメディがあり、比較すると面白い。
翌日、レミ達は興行をするも、やはり客は少ない。ここも、モブのレベルが高い。はだしのゲン2(脚本)、ど根性ガエル(演出)と比較。
夜、レミとマチヤは、次の日も稼ぎが少なければ、モンドールを出ようかと話す。ここでも、ランプが目立つ。
空手バカ一代(演出)、グラゼニ(脚本)と比較。
レミは、なんとしてもバルブランに雌牛を贈るのだと決意を固め、そんな彼をジョリクールが見る。
猿の愛嬌ある描写は、まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)でも秀逸。
翌日レミ達は、いい場所を確保して興行するが、マチヤが曲芸を失敗し、客に笑われてしまう。
ここも、モブが優秀。ハローキティのおやゆびひめ(脚本)、元祖天才バカボン(演出/コンテ)と比較。
今度は、レミがマチヤに代わって曲芸に挑戦するも、やはり失敗。
コミカルで可愛い雰囲気を作るのが、高屋敷氏は得意。まんが世界昔ばなし・元祖天才バカボン(演出/コンテ)と比較。
ジョリクールは、それを見て笑い、マチヤは堪忍袋の緒が切れる。
ここも、猿の描写が上手い。まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)と比較。
マチヤは、ジョリクールを追いかけ回すが、なかなか捕まらない。
動物と人間とのコミカルな諍いは、宝島(演出)にもあり、重なるものがある。
追いかけっこの末、ジョリクールは風船につかまって空を浮遊する。
風船で飛ぶのは、元祖天才バカボン(演出/コンテ)、怪物くん(脚本)にもある。他にも風船の表現が色々な作品にあるので、好きなのかもしれない。
マチヤに連れられて駆けつけたレミは、ジョリクールに、皆に挨拶するよう頼み、ジョリクールはそれに応じる。
レミは、初めて(二代目)ジョリクールが芸をしたと歓喜し、マチヤに抱きつく。
ハグは多い。グラゼニ・F-エフ-(脚本)と比較。
その後もジョリクールは見事な空中芸をし、レミ達の興行は大成功。
金の描写が、グラゼニ・カイジ2期(脚本)と比較すると、なんとなく重なるものがあり面白い。
夜、レミ達は、稼ぎが目標額の150フランに達したことに大喜びする。
ここも、(かなりスケールが違うが)カイジ2期(脚本)の、大金を得た場面と重なってくる。
その後、温泉に入ったマチヤとレミは、近くの町で開催される、牛の市に行こうと話し合う。
ここも、ランプが目立つ。アカギ・カイジ2期(脚本)と比較。
翌朝、レミ達は、牛の市へと急ぐ。ここも無邪気な友情が微笑ましい。
ガンバの冒険・DAYS(脚本)と比較。
マチヤは、金はあるのだから、じっくり牛を選ぶべきだと、レミを落ち着かせる。
ここも友情の厚さが出ている。あしたのジョー2・新ど根性ガエル・ガンバの冒険(脚本)と比較。
マチヤとレミは、カピ(芸をする犬。賢い)に乗って眠るジョリクールの大物ぶりに笑う。
動物の愛嬌は、コボちゃん(脚本)、まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)ほか、結構目立つ。
レミ達は牛を見て回るが、偽の尻尾をつけたり、色を塗ったりと、牛にインチキを施している人達を見てしまう。
イカサマやインチキに関して、高屋敷氏はワンナウツ・カイジ(脚本)などなど縁がある。
レミは、一旦水場で顔を洗い、インチキに憤る。
意味深な鏡描写は、結構見られる。ベルサイユのばら(コンテ)、カイジ2期(脚本)と比較。
レミはマチヤに、どの牛が良いのかわからないと泣きつく。
濃厚なスキンシップは、とにかく数多の作品に見られる。
ストロベリーパニック(脚本)、ど根性ガエル(演出)と比較。
そんな中、レミ達は、牛を買うための金を警官に見られ、怪しまれて連行されそうになる。
手を使った感情表現は頻出。宝島(演出)、おにいさまへ…(脚本)と比較。
そこへ通りかかった、アンクレールという紳士が、レミ達がモンドールで稼いだのを見たと証言し、警官はレミ達を放免する。
ここも、脇役が優秀。F-エフ-・太陽の使者鉄人28号(脚本)と比較。
警官嫌いのマチヤは、緊張が解けてへたりこむ。
転がって朗らかに笑うのは、まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)を彷彿とさせる。
レミ達は、アンクレール宅に招かれる。アンクレールが獣医と知ったレミは、アンクレールに事情を話し、いい牛を選んでほしいと頼む。
窓越しの表現は、宝島(演出)、ベルサイユのばら(コンテ)にも見られる。
アンクレールはレミの頼みを了承するも、牛の市は昼までだと言う。
鳩が飛ぶが、鳥を使った表現は頻出。柔道讃歌(コンテ)、RAINBOW-二舎六房の七人-(脚本)と比較。
アンクレールはレミの手を取り、牛の市へと走る。ここも、手を使った表現。
コボちゃん(脚本)、ど根性ガエル(演出)と比較。
なんとか牛の市の人達を引き止めたアンクレールは、レミが牛を買うから、インチキなしの良い牛を見せてほしいと、元締めに念を押す。
ここは、宝島(演出)、グラゼニ(脚本)の一場面と並べると面白い。
アンクレールに世話になっている元締めは、本当に良い牛を見つくろってくれる。レミは、惚れ込んだ牛に抱きつく。
とにかく抱きつきは多い。グラゼニ・ガンバの冒険(脚本)と比較。
レミと、元締めの交渉は成立し、レミはついに雌牛を得る。
ここも、元締めのキャラの良さが光る。
めぞん一刻・F-エフ-(脚本)ほか、印象に残るモブキャラは実に多い。
その夜、レミ達はアンクレール一家に、お礼の芸をして楽しく過ごす。
温かく楽しい繋がりは、アンパンマン・怪物くん(脚本)ほか、強く打ち出される。
翌朝レミ達は、バルブランのいるシャバノン村へと向かうのだった。
色々な意味を持つ太陽の描写は頻出。柔道讃歌(コンテ)、宝島(演出)、MASTERキートン(脚本)と比較。
- まとめ
とにかく優秀なモブが次から次へと出てくる。演出でも脚本でも、高屋敷氏はモブに非常にこだわる。このことは、実に興味深い。
省エネを図るためか、出崎統氏は、監督作のエースをねらえ!で、モブの独特な、かきわりチックな演出を打ち出したが、高屋敷氏(エースをねらえ!演出陣)はそれに抵抗するように、モブ個性に拘る(本作も監督は出崎統氏)。
こういう所からも、出崎統監督と、高屋敷氏の違いが見えてきて面白い。
高屋敷氏のモブ描写への拘りは、私が割と早く気がついた、同氏の特徴の一つ。
それくらい目立っている。
家なき子や宝島といった、高屋敷氏が演出参加した出崎統監督作品は、とにかく高屋敷氏演出回での朗らかで可愛く、コメディタッチが多めの雰囲気が目立つ。これらはやはり、出崎統監督作品では異色の要素。
本作を初めてアニマックス再放送で見た時、今まで抱いていた出崎統監督作のイメージと大分違うと、驚いたものだ。
それはやはり高屋敷氏演出回の、全体的に可愛く温かい雰囲気に依る所が大きい。
出崎統監督作品の大まかなイメージといえば、かっこよさ、寂寥感、ケレン味、ハードボイルド、壮絶な生き様などだが、高屋敷氏の得意分野は、そこから大分はなれている。だから目立つのだと思う。
勿論、高屋敷氏が出崎統氏から吸収し、活かした面も山程ある。特にシリーズ構成作で、ケレン味ある熱い生き様を強く打ち出しているのは、数々の出崎統監督作品に関わった経験で培ったものが大きい。
出崎統氏と高屋敷氏の、作風や個性、スタイルの違いは、本当に興味深いもので、何故長年一緒に仕事したのか不思議に思えてくるのだが、その違いが作品に深みを与えているのが凄い。
じゃりン子チエ(高屋敷氏脚本陣)でも、監督の高畑勲氏に埋もれず、高屋敷氏の個性は光っている。また、高屋敷氏は高畑監督からも、脚本や構成の緻密さ、計算の精密さを吸収し、後の担当作に大いに活かしている。
こういった巨匠に埋もれず、かつまたその巨匠から技術を吸収する高屋敷氏の才覚は、目を見張るものがあるし、興味が尽きない。高屋敷氏を通して、巨匠の違う一面を見る楽しみもある。
高屋敷氏は、年を経るごとに下降線を辿るどころか、深みや凄みが増していくタイプの作家と感じる。単に淡々と仕事をするのではなく、何を主張し、何を吸収するかを大事にする姿勢は、やはり凄まじい。
家なき子35話演出:対極の二人
アニメ『家なき子』はエクトール・アンリ・マロ作の児童文学作品をアニメ化した作品。過酷な運命のもと旅をする少年・レミの成長を描く。
総監督は出崎統氏。
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本記事を含めた、当ブログの家なき子に関する記事一覧:
https://makimogpfb2.hatenablog.com/archive/category/%23%E5%AE%B6%E3%81%AA%E3%81%8D%E5%AD%90
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- 今回の話:
サブタイトル:「レミを救え!」
脚本:山崎晴哉氏、コンテ:出崎統監督、演出:高屋敷英夫氏。
成り行きで、炭鉱で働くことになったレミだが、炭鉱事故に巻き込まれ、炭鉱仲間と共に地下に取り残されてしまう。
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炭鉱事故で、生存者の中にレミが見つからず、マチヤ(レミの親友。風来坊)は単身炭鉱に入ろうとするが制止される。
雨の中のドラマを、高屋敷氏は脚本になっても重視する。あしたのジョー2・F-エフ-(脚本)と比較。
炭鉱事故は、死者50名以上、怪我人130名以上の大惨事。ある者は遺体で、ある者は生きて炭鉱から出てくる。
「死」の扱いについては、宝島(演出)や、おにいさまへ…(脚本)も印象深い。
炭鉱の責任者達は、レミを含む行方不明者達の救出をどうするか話し合う。
会議や話し合いの場面は、高屋敷氏は脚本に回った場合、MASTERキートン・グラゼニ(脚本)など、非常に上手い。好きなのかもしれない。
レミ達を救出するには、氾濫して炭鉱に入り込んだ川の水を排水しなければならない。マチヤは必死に排水を手伝う。
水面にキャラが映りこむ表現は、よく見られる。宝島(演出)、ベルサイユのばら(コンテ)と比較。
レミ達は、水から避難はしたが動けずにいた。貴重なランプが映るが、ランプの描写は頻出。RIDEBACK・F-エフ-(脚本)と比較。
地上では総出で排水作業が行われる。カピ(芸をする犬。賢い)やジョリクール(芸をする猿。二代目)も手伝う。
賢い動物の描写は、まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)も秀逸。
炭鉱の所長は、ポール(技師。レミの知人)に、レミ達がいるとおぼしき場所に辿り着くまで何日かかるか問う。
生死不明者を探すドラマは、太陽の使者鉄人28号・ガンバの冒険(脚本)にもあり、重なってくる。
レミは、たまった水に石を投げて暇を潰す。同じ所作は、ベルサイユのばら(コンテ)、おにいさまへ…(脚本)にも出てくる。
空腹のベルグール(鉱夫。巨漢)は、カロリ(鉱夫)が何か食べているのを目ざとく見つける。
ガンバの冒険(脚本)や元祖天才バカボン(演出/コンテ)ほか、食いしん坊描写は多い。
カロリは、帽子の中に干し葡萄を隠し持っていた。パジェス(「先生」と呼ばれるベテラン鉱夫)は、これを皆で均等に分け合うことにする。
高屋敷氏は飯テロが実に多いが、サバイバル下での食事場面も結構ある。1980年版鉄腕アトム(脚本)、宝島(演出)と比較。
地上では、難航する捜索作業でマチヤが焦燥していた。キャラの喜怒哀楽の「怒」も、高屋敷氏は丁寧な感じがある。宝島(演出)、ベルサイユのばら(コンテ)と比較。
一方地下では、ランプの火を付け替えている間に、ベルグールが水たまりに落ちてしまい、レミが救出する。
溺れる者を助ける場面は、宝島(演出)や、おにいさまへ…(脚本)にもある。おにいさまへ…については複雑な状況だが。
レミは、自分が育ったシャバノン村の川で、よく泳いだと言い、マチヤにもそこを案内する予定だと語る。
背中で語る表現は、色々な作品に見られる。グラゼニ・F-エフ-(脚本)と比較。
レミは、絶対に生き延びると決意を固め、皆も、諦めないと気力を高める。
顔つきが引き締まる「豹変」は、様々な作品でインパクトがある。宝島(演出)、カイジ2期(脚本)と比較。
地上では、捜索作業を不眠不休で手伝っていたマチヤが倒れてしまう。
親友を失うことは死ぬほど辛いことであるというのは、まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)でも強調されている。
地下では、ベルグールが水をすくって飲み、なんとか飢えをしのぐ。他の者も空腹が限界に来ていた。
飯テロだけでなく、極限状態で何か飲む場面も、印象に残る描写が多い。宝島(演出)、ハローキティのおやゆびひめ(脚本)と比較。
レミは、パジェスの秘密部屋にある食糧を取ってくると言って水に飛び込む。だが、体力が消耗し、途中で気絶するように寝てしまう。
奇しくも宝島でも、高屋敷氏は主人公が独り奮闘する回の演出を担当している。
レミは、皆とお別れする夢を見る。夢の中ではあるが、子供の子供らしい描写が上手い。宝島(演出)、柔道讃歌(コンテ)と比較。
夢の中でレミは、亡きビタリス(レミの芸の師匠)から、まだこちらに来てはいけないと言われ、穴に落とされる。
死者との対話は、あしたのジョー2・おにいさまへ…(脚本)も印象的。
気がつくとレミは、イカダを作って追ってきた仲間達に助けられていた。
ここもランプが強調されている。カイジ2期・RAINBOW-二舎六房の七人-(脚本)と比較。
レミ達はイカダで進み、パジェスの秘密部屋から食糧を取ることに成功する。
極限状況での「食」の重要性も、様々な作品でクローズアップされる。ガンバの冒険・MASTERキートン(脚本)と比較。
地上では、所長が、(事故から一週間が経過しているため)レミ達が生きている可能性が低いとして排水作業を一旦止める。苦渋の決断をする局面は、蒼天航路・ワンナウツ(脚本)にもあり、色々な立場の苦労が切り取られている。
それを聞きつけたマチヤが、レミが死んでいてたまるかと激怒する。
ここも喜怒哀楽の「怒」の描写に拘りが見られる。あしたのジョー2・カイジ(脚本)と比較。
マチヤは、もう頼まないと言って、一人で坑道を掘り進めようとする。
満身創痍になりながらも最後まで諦めない姿勢は、カイジ・はじめの一歩3期(脚本)などでも強調されている。
マチヤに心打たれた所長は、レミ達の生存を再度信じ、排水作業の再開をポールに告げる。
若者に感じ入る中高年男性の姿も、あしたのジョー2・RAINBOW-二舎六房の七人-(脚本)ほか、前面に出される。
鉱夫達は総出で、再び排水と捜索作業を行う。ここも、状況・心情とリンクするランプの描写が強めに出ている。
おにいさまへ…・グラゼニ(脚本)と比較。
鉱夫達の物音に気が付いたレミは、トロッコの線路を石で叩いて合図を送る。
手による感情表現は頻出。ワンナウツ・ストロベリーパニック(脚本)と比較。
音が聞こえたマチヤは、それがレミだと確信して、線路を石で叩いて返信する。
以心伝心の友情は、F-エフ-(脚本)のアニメオリジナル場面でも、じっくり描写されている。
場所が特定できたことで、救出作業が進み、ついにレミ達5人は救出される。レミとマチヤは再会を喜ぶ。
男同士の熱い友情描写は、グラゼニ・忍者戦士飛影(脚本)ほか、多くの作品に見られる。
生還したレミは、マチヤと共に朝陽を浴びるのだった。
全てを見ているような太陽の描写は頻出。おにいさまへ…・F-エフ-(脚本)と比較。
- まとめ
サバイバル回で、ドラマチックにまとまっており、本作の山場の一つと言える。とにかく高屋敷氏は、生と死のドラマにおいて「生」を力強く打ち出す。
また、熱い友情についても、非常に拘りが見られる。石で線路を叩き合って心を通わせるレミとマチヤの場面は名場面。
高屋敷氏が脚本に回っても、台詞に頼らない感情描写を多用するのは、こういった演出経験の賜物かもしれない。
お互いの存在を意識し「生」を確認するのは、カイジ(高屋敷氏シリーズ構成・脚本)でも強調されている。高屋敷氏の直接脚本回ではないが、カイジの鉄骨渡りでの、佐原(カイジの元バイト仲間)とカイジの友情場面と、かなり重なる。
アニメのカイジ(高屋敷氏シリーズ構成・脚本)の副題には、Ultimate Survivorと付いているが、今回のレミのサバイバルの演出で培ったものも、カイジにかなり入っている気がする。「生」への拘りを、高屋敷氏は数多くの作品で主張している。
カイジ(1、2期とも高屋敷氏シリーズ構成・脚本)に通じると言えば、今回の、皆で干し葡萄を分け合う場面は、カイジ2期の、皆で柿ピーを分け合う場面と重なってきて面白い。
高屋敷氏は「食」にも並々ならぬ拘りがあり、同氏のライフワークの一つとも言える。今回、食糧を求めてレミ達が行動するのも、かなりインパクトがある。
生きることは食べること、食べることは生きること。これはおそらく高屋敷氏の掲げる大原則。それを主張するために、演出や脚本を長年やってきたと言っても過言ではない。
高屋敷氏の(いい意味で)恐ろしいところは、その主張を、オリジナルでも原作つきでも前面に出してくる技術と才覚だ。
どんな強力な原作や、名監督の下でも、同氏の主張は完成映像に滲み出ている。
そもそもクリエイターは、何か作品を通して主張したいことがあるからクリエイターなのではないだろうか。
高屋敷氏は長年、その情熱を作品に注ぐことができる、熱い作家だと思う。
また、何回か書いたが、「死」にこだわる出崎統監督と、「生」にこだわる高屋敷氏は、いわば対極。でも、二人が長年一緒に仕事しているのは興味深いところ。
「生」と「死」はワンセットであることは、出崎統監督も、高屋敷氏も、互いに意識していたのではないだろうか。両氏の主張が、作品の中で対立や融合をしているのもまた、作品に深みが出ていて面白い。