家なき子37話演出:主張と吸収
アニメ『家なき子』はエクトール・アンリ・マロ作の児童文学作品をアニメ化した作品。過酷な運命のもと旅をする少年・レミの成長を描く。
総監督は出崎統氏。
───
本記事を含めた、当ブログの家なき子に関する記事一覧:
https://makimogpfb2.hatenablog.com/archive/category/%23%E5%AE%B6%E3%81%AA%E3%81%8D%E5%AD%90
───
- 今回の話:
サブタイトル:「ママへの贈り物」
バルブラン(レミの育ての母)に贈る雌牛を買うための金を稼ぐため、レミ達は温泉街・モンドールへ向かう。
───
旅を続けるレミ達は、パンを分け合って食事する。飯テロは実に多く、皆で食べると尚おいしいという主張も数々の作品に見られる。
宝島(演出)、はだしのゲン2(脚本)と比較。
音楽の先生の誘いを断り、レミと旅を続けるマチヤ(レミの親友。風来坊)は、レミといる方が楽しいと、蝶を追いながら言う。
まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)、ガイキング(演出)、あしたのジョー2・おにいさまへ…(脚本)など、蝶が絡む場面は多い。
レミは、マチヤを挑発してからかい、マチヤもそれに乗る。無邪気なじゃれ合いは、色々な作品で目立つ。
ガンバの冒険(脚本)、ど根性ガエル(演出)と比較。
その後、レミ達は立ち寄った村で興行する。高屋敷氏は、コミカルで可愛い所作をキャラにつける傾向がある。
まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)、宝島(演出)と比較。
興行が終わるも、拍手は一人で、稼ぎもわずか。
とにかく演出でも脚本でも、高屋敷氏はモブを印象づける。F-エフ-(脚本)、ど根性ガエル(演出)と比較。
レミ達は、村の人から、この村は農作物の収穫が少なく景気が悪いから、温泉街のモンドールに行った方がいいと言われる。
ここもモブのレベルが高い。F-エフ-(脚本)、宝島(演出)と比較。
レミ達は、早速モンドールへ向かう。
途中、レミとマチヤは、バルブラン(レミの育ての母)に雌牛を贈るための金を確認するが、あと50フラン足りない。
コンビでの微笑ましいやりとりは強調される。宝島(演出)、F-エフ-(脚本)、ルパン三世2nd(演出/コンテ)と比較。
レミ達は野宿をし、レミは雌牛とバルブランの夢を見る。
メルヘンチックで浮遊感のあるイメージは、ベルサイユのばら(コンテ)のイメージ場面と共通するものがある。
モンドールに着いたレミ達は、レベルの高い旅芸人の多さに圧倒される。
ここもやはり、モブのインパクトが強い。空手バカ一代(演出/コンテ)、F-エフ-(脚本)と比較。
それでも、めげずにレミ達は興行を始めるが、客はまばら。(稼ぎが少ない事を示す)空の器が映るが、意味のある「物」の「間」は結構見られる。F-エフ-・グラゼニ(脚本)と比較。
夜、温泉に入りながら、レミ達は景気づけに遊ぶ。
風呂での微笑ましい(?)やり取りは、DAYS(脚本)も(ほぼ原作通りだが)印象深い。
温泉にはランプが多数ぶら下がっているが、とにかく高屋敷氏はランプにこだわる。カイジ2期・あしたのジョー2・RIDEBACK(脚本)と比較。
そんな中、ジョリクール(芸をする猿。二代目)は、温泉客の足をくすぐるイタズラをする。
イタズラ好きの動物の描写は、まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)、オヨネコぶーにゃん(脚本)ほか、結構見られる。
ジョリクールが見つかり、騒ぎになっているのに気付いたレミとマチヤは、咄嗟に温泉に潜って隠れる。
DAYS(脚本)、ど根性ガエル(演出)にも風呂でのコメディがあり、比較すると面白い。
翌日、レミ達は興行をするも、やはり客は少ない。ここも、モブのレベルが高い。はだしのゲン2(脚本)、ど根性ガエル(演出)と比較。
夜、レミとマチヤは、次の日も稼ぎが少なければ、モンドールを出ようかと話す。ここでも、ランプが目立つ。
空手バカ一代(演出)、グラゼニ(脚本)と比較。
レミは、なんとしてもバルブランに雌牛を贈るのだと決意を固め、そんな彼をジョリクールが見る。
猿の愛嬌ある描写は、まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)でも秀逸。
翌日レミ達は、いい場所を確保して興行するが、マチヤが曲芸を失敗し、客に笑われてしまう。
ここも、モブが優秀。ハローキティのおやゆびひめ(脚本)、元祖天才バカボン(演出/コンテ)と比較。
今度は、レミがマチヤに代わって曲芸に挑戦するも、やはり失敗。
コミカルで可愛い雰囲気を作るのが、高屋敷氏は得意。まんが世界昔ばなし・元祖天才バカボン(演出/コンテ)と比較。
ジョリクールは、それを見て笑い、マチヤは堪忍袋の緒が切れる。
ここも、猿の描写が上手い。まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)と比較。
マチヤは、ジョリクールを追いかけ回すが、なかなか捕まらない。
動物と人間とのコミカルな諍いは、宝島(演出)にもあり、重なるものがある。
追いかけっこの末、ジョリクールは風船につかまって空を浮遊する。
風船で飛ぶのは、元祖天才バカボン(演出/コンテ)、怪物くん(脚本)にもある。他にも風船の表現が色々な作品にあるので、好きなのかもしれない。
マチヤに連れられて駆けつけたレミは、ジョリクールに、皆に挨拶するよう頼み、ジョリクールはそれに応じる。
レミは、初めて(二代目)ジョリクールが芸をしたと歓喜し、マチヤに抱きつく。
ハグは多い。グラゼニ・F-エフ-(脚本)と比較。
その後もジョリクールは見事な空中芸をし、レミ達の興行は大成功。
金の描写が、グラゼニ・カイジ2期(脚本)と比較すると、なんとなく重なるものがあり面白い。
夜、レミ達は、稼ぎが目標額の150フランに達したことに大喜びする。
ここも、(かなりスケールが違うが)カイジ2期(脚本)の、大金を得た場面と重なってくる。
その後、温泉に入ったマチヤとレミは、近くの町で開催される、牛の市に行こうと話し合う。
ここも、ランプが目立つ。アカギ・カイジ2期(脚本)と比較。
翌朝、レミ達は、牛の市へと急ぐ。ここも無邪気な友情が微笑ましい。
ガンバの冒険・DAYS(脚本)と比較。
マチヤは、金はあるのだから、じっくり牛を選ぶべきだと、レミを落ち着かせる。
ここも友情の厚さが出ている。あしたのジョー2・新ど根性ガエル・ガンバの冒険(脚本)と比較。
マチヤとレミは、カピ(芸をする犬。賢い)に乗って眠るジョリクールの大物ぶりに笑う。
動物の愛嬌は、コボちゃん(脚本)、まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)ほか、結構目立つ。
レミ達は牛を見て回るが、偽の尻尾をつけたり、色を塗ったりと、牛にインチキを施している人達を見てしまう。
イカサマやインチキに関して、高屋敷氏はワンナウツ・カイジ(脚本)などなど縁がある。
レミは、一旦水場で顔を洗い、インチキに憤る。
意味深な鏡描写は、結構見られる。ベルサイユのばら(コンテ)、カイジ2期(脚本)と比較。
レミはマチヤに、どの牛が良いのかわからないと泣きつく。
濃厚なスキンシップは、とにかく数多の作品に見られる。
ストロベリーパニック(脚本)、ど根性ガエル(演出)と比較。
そんな中、レミ達は、牛を買うための金を警官に見られ、怪しまれて連行されそうになる。
手を使った感情表現は頻出。宝島(演出)、おにいさまへ…(脚本)と比較。
そこへ通りかかった、アンクレールという紳士が、レミ達がモンドールで稼いだのを見たと証言し、警官はレミ達を放免する。
ここも、脇役が優秀。F-エフ-・太陽の使者鉄人28号(脚本)と比較。
警官嫌いのマチヤは、緊張が解けてへたりこむ。
転がって朗らかに笑うのは、まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)を彷彿とさせる。
レミ達は、アンクレール宅に招かれる。アンクレールが獣医と知ったレミは、アンクレールに事情を話し、いい牛を選んでほしいと頼む。
窓越しの表現は、宝島(演出)、ベルサイユのばら(コンテ)にも見られる。
アンクレールはレミの頼みを了承するも、牛の市は昼までだと言う。
鳩が飛ぶが、鳥を使った表現は頻出。柔道讃歌(コンテ)、RAINBOW-二舎六房の七人-(脚本)と比較。
アンクレールはレミの手を取り、牛の市へと走る。ここも、手を使った表現。
コボちゃん(脚本)、ど根性ガエル(演出)と比較。
なんとか牛の市の人達を引き止めたアンクレールは、レミが牛を買うから、インチキなしの良い牛を見せてほしいと、元締めに念を押す。
ここは、宝島(演出)、グラゼニ(脚本)の一場面と並べると面白い。
アンクレールに世話になっている元締めは、本当に良い牛を見つくろってくれる。レミは、惚れ込んだ牛に抱きつく。
とにかく抱きつきは多い。グラゼニ・ガンバの冒険(脚本)と比較。
レミと、元締めの交渉は成立し、レミはついに雌牛を得る。
ここも、元締めのキャラの良さが光る。
めぞん一刻・F-エフ-(脚本)ほか、印象に残るモブキャラは実に多い。
その夜、レミ達はアンクレール一家に、お礼の芸をして楽しく過ごす。
温かく楽しい繋がりは、アンパンマン・怪物くん(脚本)ほか、強く打ち出される。
翌朝レミ達は、バルブランのいるシャバノン村へと向かうのだった。
色々な意味を持つ太陽の描写は頻出。柔道讃歌(コンテ)、宝島(演出)、MASTERキートン(脚本)と比較。
- まとめ
とにかく優秀なモブが次から次へと出てくる。演出でも脚本でも、高屋敷氏はモブに非常にこだわる。このことは、実に興味深い。
省エネを図るためか、出崎統氏は、監督作のエースをねらえ!で、モブの独特な、かきわりチックな演出を打ち出したが、高屋敷氏(エースをねらえ!演出陣)はそれに抵抗するように、モブ個性に拘る(本作も監督は出崎統氏)。
こういう所からも、出崎統監督と、高屋敷氏の違いが見えてきて面白い。
高屋敷氏のモブ描写への拘りは、私が割と早く気がついた、同氏の特徴の一つ。
それくらい目立っている。
家なき子や宝島といった、高屋敷氏が演出参加した出崎統監督作品は、とにかく高屋敷氏演出回での朗らかで可愛く、コメディタッチが多めの雰囲気が目立つ。これらはやはり、出崎統監督作品では異色の要素。
本作を初めてアニマックス再放送で見た時、今まで抱いていた出崎統監督作のイメージと大分違うと、驚いたものだ。
それはやはり高屋敷氏演出回の、全体的に可愛く温かい雰囲気に依る所が大きい。
出崎統監督作品の大まかなイメージといえば、かっこよさ、寂寥感、ケレン味、ハードボイルド、壮絶な生き様などだが、高屋敷氏の得意分野は、そこから大分はなれている。だから目立つのだと思う。
勿論、高屋敷氏が出崎統氏から吸収し、活かした面も山程ある。特にシリーズ構成作で、ケレン味ある熱い生き様を強く打ち出しているのは、数々の出崎統監督作品に関わった経験で培ったものが大きい。
出崎統氏と高屋敷氏の、作風や個性、スタイルの違いは、本当に興味深いもので、何故長年一緒に仕事したのか不思議に思えてくるのだが、その違いが作品に深みを与えているのが凄い。
じゃりン子チエ(高屋敷氏脚本陣)でも、監督の高畑勲氏に埋もれず、高屋敷氏の個性は光っている。また、高屋敷氏は高畑監督からも、脚本や構成の緻密さ、計算の精密さを吸収し、後の担当作に大いに活かしている。
こういった巨匠に埋もれず、かつまたその巨匠から技術を吸収する高屋敷氏の才覚は、目を見張るものがあるし、興味が尽きない。高屋敷氏を通して、巨匠の違う一面を見る楽しみもある。
高屋敷氏は、年を経るごとに下降線を辿るどころか、深みや凄みが増していくタイプの作家と感じる。単に淡々と仕事をするのではなく、何を主張し、何を吸収するかを大事にする姿勢は、やはり凄まじい。