家なき子27話演出:表裏一体の生と死
アニメ『家なき子』はエクトール・アンリ・マロ作の児童文学作品をアニメ化した作品。過酷な運命のもと旅をする少年・レミの成長を描く。
総監督は出崎統氏。
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- 今回の話:
サブタイトル:「ビタリスの過去」
脚本:山崎晴哉氏、コンテ:出崎統監督、演出:高屋敷英夫氏。
極寒の中、行き倒れたビタリス(レミの芸の師匠)達。レミとカピ(芸をする犬。賢い)はアキャン一家に助けられるが、ビタリスは死んでしまっていた。
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レミは、ビタリス(レミの芸の師匠)との別れを示唆する夢を見る。なんとなく演出がベルサイユのばら(コンテ)と似ている。
レミが目覚めると、そこは見知らぬ家だった。
ランプが映るが、ランプの描写は頻出。宝島(演出)、カイジ2期(脚本)と比較。
すると、親切な一家(アキャン家)は、レミが目覚めたのを喜ぶ。
MASTERキートン・まんが世界昔ばなし・ハローキティのおやゆびひめ(脚本)ほか、人情(または好奇心)でキャラが助けられる状況は印象的に描かれる。
ピエール(アキャン家の大黒柱)は、雪に埋もれていたビタリス達に気づき、雪をどけたが、ビタリスは既に死んでいたと話す。
冬の恐ろしさは、ハローキティのおやゆびひめ・MASTERキートン(脚本)などでも強調されている。
レミとカピ(芸をする犬。賢い)を守るようにして死んだビタリスの遺体は、隣の部屋に安置してあるとピエールは言い、レミに手を差し伸べる。
手から手への感情伝達は多い。おにいさまへ…・F-エフ-・MASTERキートン(脚本)と比較。
レミは、ビタリスの亡骸と対面する。ビタリスの帽子が映るが、遺品の醸し出す重い存在感は、F-エフ-・ルパン三世3期(脚本)も印象深い。
レミはビタリスの顔に、そっと触れる。
何かに優しい手つきで触れる場面は多々ある。RAINBOW-二舎六房の七人-(脚本)、宝島(演出)、ストロベリーパニック(脚本)と比較。
「ぼく、おなかすいちゃった」とレミはビタリスに語りかけ、そして泣き出す。
様々な感情を含んだ微笑は、RAINBOW-二舎六房の七人-・おにいさまへ…(脚本)など様々な作品で印象的。
「お師匠さんが死んじゃった」とレミは慟哭。
感情の爆発は、おにいさまへ…・RAINBOW-二舎六房の七人-(脚本)ほか、要所要所で強く描写される。
そして、太陽が映る。全てを見ているような太陽の描写は多い。宝島(演出)、F-エフ-・MASTERキートン(脚本)と比較。
レミは、散らかしてしまった花びらを拾うが、倒れてしまう。
ここも、手での感情の表現。おにいさまへ…・DAYS(脚本)と比較。
再び寝かされたレミに、リーズ(アキャン家の末娘。口がきけない)が温かいミルクを差し出す。
ハローキティのおやゆびひめ・MASTERキートン(脚本)ほか、限界状況での飲食物の描写は強く印象に残る。
アキャン家の温かさを照らすように、太陽が映る。ここも、太陽の意味深描写。
RAINBOW-二舎六房の七人-・ワンナウツ(脚本)と比較。
その後、アキャン家、レミ、カピに見送られ、ビタリスは葬られる。
ロウソクのアップによる「間」は結構見られる。コボちゃん・おにいさまへ…(脚本)と比較。
口を開くと感情が溢れそうで、レミはビタリスの棺に何も言えず。
ここも、遺品に存在感がある。めぞん一刻・F-エフ-(脚本)と比較。
ビタリスの葬式後、レミは熱を出して寝込む。その間、アキャン家の紹介場面があるが、子供達が微笑ましい。
無邪気で朗らかなキャラ描写は、高屋敷氏の得意分野。あんみつ姫(脚本)、ガイキング(演出)と比較。
アキャン家は花を栽培する農家で、リーズは温室の花が育つのを楽しみにしている。
ストロベリーパニック(脚本)でも、温室の花の世話をする場面が印象的に描写されている。
そんな中、アキャン家に警察署長が来て、ビタリスの身元がわかったと話す。
火のアップが映るが、よく見られる表現。ベルサイユのばら(コンテ)、MASTERキートン(脚本)と比較。
警察署長によれば、ビタリスの本名はカルロ・バルザーニ。彼は世界的なオペラ歌手だったが、病気で舞台を壊したのを苦にオペラ界から姿を消したのだという。
華やかな世界から転落する話は、MASTERキートン(脚本)にもあり、重なるものがある。
カルロ・バルザーニのファンである警察署長は、彼(ビタリス)がどんな人だったかレミに尋ね、レミは、彼は誇りある人だったと答える。警察署長は感じ入り、レミと握手する。
ここも、手による感情表現。忍者戦士飛影・ルパン三世2nd(脚本)と比較。
警察署長を見送った後、レミはビタリスの墓へと走り、そこで「前へ進め」というビタリスの教えを噛みしめる。
大切な人の墓前でキャラが決意を新たにする場面は、めぞん一刻・RAINBOW-二舎六房の七人-(脚本)ほか、様々な作品で感動的に描写されている。
ビタリスの墓を後にしたレミは、凛とした表情で走り出す。
はだしのゲン2(脚本)で、母の死後、自分だけくよくよしてるわけにはいかないと、仲間と共に走り出すゲンの姿と重なってくる。
1週間後、回復したレミは、エチエネット(アキャン家の長女)から、アキャン家の服をもらう。
優しい手つきで服を整える所作は結構出てくる。ストロベリーパニック・コボちゃん(脚本)と比較。
そしてアキャン家は、家族会議の結果全員一致で、レミを家族に迎えることを決めたとレミに発表。特にリーズが一番賛成していたとも発表され、リーズは照れる。
ここも、高屋敷氏が得意な、微笑ましい描写。ど根性ガエル(演出)、元祖天才バカボン(演出/コンテ)と比較。
レミを家族として迎えることに、リーズの次に誰が強く賛成してたかを巡って、アレクシス(アキャン家長男)、バンジャマン(アキャン家次男)、ピエールは競い、3人とも転ぶ。
皆で笑う微笑ましい場面は、元祖天才バカボン(演出/コンテ)、トンデケマン(脚本)ほか多い。
アキャン家の温かさに胸いっぱいのレミは、リーズと共に温室の花に見入るのだった。状況や心情と連動する花の描写は、ストロベリーパニック・F-エフ-(脚本)ほか、数々の作品にある。
- まとめ
ビタリスの死に段々と感情があふれ、そして立ち直っていくレミの描写が非常に丁寧。
宝島(高屋敷氏演出)、おにいさまへ…・F-エフ-(同氏脚本)でも、重要キャラの死に対面する主人公の回を高屋敷氏は担当しており、どれも上手い。
偶然なのか計算なのか、本作は「死」を竹内啓雄氏が、「生」を高屋敷氏が演出することが多い。それくらい、二人の個性がハッキリ分かれている。
一方、本作監督の出崎統氏は、(竹内啓雄氏とは少し別なニュアンスで)「死」の持つ儚さや美しさ、寂寥感に惹かれている感じを受ける。それがダイレクトに出ているのは、まんが世界昔ばなしの出崎統氏演出/コンテ回。興味のある方は見てほしい。
こう見ていくと、「生」に拘りを持つ高屋敷氏は、一見出崎統氏の対極にあるが(実際、出崎統監督作品で、高屋敷氏の演出や脚本は異色で目立つ)、生と死は表裏一体と考えると、出崎統氏と高屋敷氏が長年組んでいたことは興味深い。
出崎統氏は、色々な人の才能を発掘し引き出すことにも長けていたようだ(実際、出崎一派は多い)。
それは、自分には無いもの、自分とは違うものを見出すのが上手いとも言える。高屋敷氏も、そんな中見出された一人なのかもしれない。
その上で、キャラが大切な者の「死」に直面したとき、どう「死」に引きずられず「生」に向かっていくか。それを見せていく役目が高屋敷氏である感じを受ける。
奇しくも、あしたのジョー1で高屋敷氏は、力石(主人公・丈のライバル)の死のショックで街を徘徊する丈の回の制作進行をしている。
それが演出や脚本となると、同氏は大切な者の死を乗り越える回を手掛けることが多くなるのが面白い。
はだしのゲン2(高屋敷氏脚本)では仲間達が、今回(同氏演出)の場合はアキャン一家が、主人公が立ち直る手助けをしてくれている。つまり人情(突き詰めれば愛)のひと押しが、再び「生」きる力をくれる。
これはカイジ・カイジ2期(高屋敷氏シリーズ構成・脚本)にも言えることで、アニメは、カイジの「生き残る力、勝つ力」の源は人情(突き詰めれば愛)であるというニュアンスを強く打ち出している側面がある。
時代もジャンルもアプローチも役職も違えど、そのように力強く「生」を前面に出していく高屋敷氏の作風は、やはり見ていて胸を打たれるのである。