家なき子29話演出:台詞に頼らない表現
アニメ『家なき子』はエクトール・アンリ・マロ作の児童文学作品をアニメ化した作品。過酷な運命のもと旅をする少年・レミの成長を描く。
総監督は出崎統氏。
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本記事を含めた、当ブログの家なき子に関する記事一覧:
https://makimogpfb2.hatenablog.com/archive/category/%23%E5%AE%B6%E3%81%AA%E3%81%8D%E5%AD%90
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- 今回の話:
サブタイトル:「しあわせの温室」
レミが引き取られた、花栽培農家のアキャン家は花の収穫を迎え、レミもアキャン家の皆も幸せに包まれる。だがその幸せは、長くは続かなかった。
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花栽培農家のアキャン家にレミが引き取られて3ヶ月。レミは花の世話を手伝いながら、朝日を見て、亡きビタリス(レミの芸の師匠)を思う。
存在感のある太陽の描写は頻出。F-エフ-(脚本)、空手バカ一代(演出/コンテ)と比較。
レミの心は、温かくて陽気なアキャン家の皆に囲まれ満たされる。
疑似家族的な繋がりは、はだしのゲン2・MASTERキートン・めぞん一刻(脚本)ほか、色々な作品で強調される。
レミは、リーズ(アキャン家の末娘。口がきけない)と共にビタリスの墓参りをする。はだしのゲン2・RAINBOW-二舎六房の七人-(脚本)ほか、キャラが大切な者の墓前に立つ場面は印象に残る。
それからしばらくして、ピエール(アキャン家の大黒柱)は、もうすぐ花の出荷の時期だと上機嫌でパイプをくゆらす。
煙草の煙で輪っかを作るのは、ルパン三世2nd(演出/コンテ)にもある。
花を出荷後に市場で、子供たちの欲しい物を買ってくるのがピエールのルーティン。ピエールへのリクエストの列に並ぶよう、リーズはレミの手をとる。
手から手への感情伝達は多い。怪物王女・ワンダービートS・ストロベリーパニック(脚本)と比較。
その後、レミとリーズ、バンジャマン(アキャン家次男)、アレクシス(アキャン家長男)は楽しく遊ぶ。太陽が見守るなか、子供達が走る場面は、はだしのゲン2(脚本)にもあり、重なってきて面白い。
夕暮れ時、バンジャマンはレミに、ピエールに何をリクエストしたのか聞く。バンジャマンの持つ棒にカラスが止まるのがコミカル。
鳥の単独描写は多々ある。ガンバの冒険(脚本)、ルパン三世2nd(演出/コンテ)と比較。
レミは、今が幸せ過ぎて何もいらないとピエールに言ったと答え、皆は感じ入る。ここも、カラスとバンジャマンがコミカル。鳥とのふれあいは、コボちゃん(脚本)やまんが世界昔ばなし(演出/コンテ)ほか、印象に残るものが多い。
アレクシスとリーズも、レミの言葉に感動する。義兄弟的な強く温かな繋がりは、RAINBOW-二舎六房の七人-(脚本)でも強調されている。
そして皆は、土手を滑り下りる遊びをする。スピード感を出す似たような演出が、元祖天才バカボン(演出/コンテ)、宝島(演出)にも見られる。
後日、いよいよ花の収穫が開始される。作業をしながら、レミとリーズは微笑み合う。
グラゼニ(脚本)でも、キャラ同士が微笑み合うアニメオリジナル場面がある。高屋敷氏は「笑顔」を重視する傾向がある。
ピエールが花の出荷に行った後、レミとリーズはビタリスの墓と教会に花を供える。
日が射し込む描写は様々な作品に見られる。ストロベリーパニック(脚本)、まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)と比較。
レミは、リーズの髪に花を飾ってあげる。大喜びのリーズは、くるくる回って花を落とすが、レミはそれを拾ってつけ直す。
花を介した交流は、ストロベリーパニック(脚本)にもあり、比較すると面白い。
リーズが頻繁に花を落とすので、レミは花をリーズの背中に飾ってからかう。
ここの笑顔あふれる触れ合いも、ストロベリーパニック(脚本)と重なるものがある。
家に戻ったレミとリーズは、アキャン家を訪ねていた地主と鉢合わせる。
地主が去ったあと、バンジャマンは悪態をつく。子供らしい描写は高屋敷氏の十八番。あしたのジョー2(脚本)、宝島(演出)と比較。
アレクシスは、花に水をやりながら、ピエールが花栽培のために、地主に莫大な借金をしているとレミに語る。
花に水をやりながらの会話は、ストロベリーパニック(脚本)にもある。
すると雨が降ってきて、レミ達は急いで花畑にカバーをかける作業をする。
状況と連動する雨の描写は、数々の作品で見られる。ベルサイユのばら(コンテ)、空手バカ一代(演出/コンテ)と比較。
夜、酒を飲んで上機嫌のピエールが帰ってくる。
愛嬌ある酔っぱらい描写は多い。カイジ2期・あしたのジョー2(脚本)と比較。
子供たちの仕掛けで地下室に誘導されたピエールは、子供たちから歓迎される。
ランプの描写は頻出。宝島(演出)、空手バカ一代(演出/コンテ)と比較。
子供たちは、ピエールのためにサプライズパーティーを準備していたとピエールに告げる。
一人が皆のために、皆が一人のためにの精神は、ど根性ガエル(演出)、元祖天才バカボン(演出/コンテ)ほか、強調される。
ピエールは喜び、優しい子供たちを持ったことを神に感謝する。
楽しく温かなホームパーティー描写は、ワンダービートS(脚本)でも重要なこととして描かれる。
レミはバイオリンを弾き、皆は楽しく踊る。
音楽で皆が楽しく踊る場面は、アンパンマン(脚本)もインパクトがある。
そしてピエールは、約束通り、お土産を買ってきたと宣言し、子供たちは大いに喜ぶ。無邪気でかわいい喜びの描写は多い。DAYS(脚本)と比較。
リクエスト通り、バンジャマンにはナイフが、アレクシスには銀貨が贈られる。
ここもリアクションが子供らしく可愛い。まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)、じゃりン子チエ(脚本)と比較。
ピエールは、アレクシスが銀貨を貯金していると見抜き、使い道を聞くが、アレクシスは秘密と答える。
それを見てレミは微笑する。意味深な微笑は多い。ムーの白鯨・RIDEBACK(脚本)と比較。
リーズには、バラの苗木が贈られる。リーズは踊って喜びを表現する。
ここも所作が子供らしい。あんみつ姫・じゃりン子チエ(脚本)と比較。
エチエネット(アキャン家長女)には、ドレスが贈られる。
彼氏ができたらデートで着るべしと皆にはやし立てられ、エチエネットは照れる。
ど根性ガエル(演出)ほか、集団での無邪気さもよくある。
そしてカピ(芸をする犬。賢い)にはベスト、レミには靴が贈られる。
RAINBOW-二舎六房の七人-(脚本)で、(ほぼ原作通りだが)主人公の一人である真理雄が、大切な人の形見のリングシューズを貰い受ける場面と重なる。
何もいらないと言ったのに、とレミが感涙しつつ言うと、ピエールは、息子のために贈り物をするのは当然と答える。
疑似的父子の繋がりは、太陽の使者鉄人28号・カイジ2期(脚本)ほか、様々な作品で強調がある。
その後パーティーは大いに盛り上がり、皆は乾杯する。
乾杯描写は多々見られる。めぞん一刻・カイジ2期(脚本)と比較。
夜中、エチエネットは、地主が借金返済の催促に来たことをピエールに話す。
ピエールは、今年の出荷は順調だから、余裕ができそうだと話す。
楽天的または調子のいいおじさん描写は、宝島・ガイキング(演出)ほか目立つ。
レミは、アレクシスが皆のために貯金しているのを見抜く。アレクシスはそれを肯定し、ピエールやエチエネットの苦労を話す。
しっかり者の子供の描写は、じゃりン子チエ(脚本)と重なる。
翌日リーズは、貰ったバラの苗木を植えて、祈る。
花を愛でる描写は、あしたのジョー2・ストロベリーパニック(脚本)などにもある。
リーズから好かれていると、アレクシスから耳打ちされたレミは赤面する。
不器用な恋模様は、F-エフ-・グラゼニ(脚本)でも強調が見られる。
リーズと目が合って慌てたレミは、走り出して転び、アレクシスにからかわれる。転んだ後の反応、または転び方がコミカルなのは、よく見られる。
ベルサイユのばら(コンテ)、宝島(演出)と比較。
そして日曜、アキャン家は近所のパーティーに行く準備をする。おめかしを皆にからかわれたリーズは、アカンベーする。
舌を出すジェスチャーは、おにいさまへ…・ハローキティのおやゆびひめ(脚本)などにもある。
パーティーに出発するアキャン家だったが、あいにくの曇り空。
不吉を告げるように鳥が飛ぶ。
状況と連動する鳥の描写は多い。陽だまりの樹・オヨネコぶーにゃん・新ど根性ガエル(脚本)と比較。
すると、雹が降り出し、温室の危機を感じたピエールは慌てて引き返すことにする。
ここでも、バンジャマンの反応が子供らしい。あしたのジョー2・コボちゃん(脚本)と比較。
アキャン家の皆とレミは必死に花のケアをするものの、雹によって温室と花が壊滅してしまうのだった。
状況と連動する花の描写は多い。おにいさまへ…・F-エフ-(脚本)と比較。
- まとめ
最後に大きな不幸に見舞われるものの、楽しく無邪気で、そして温かな場面が多く、高屋敷氏の本領が発揮されている。
また、リーズとレミの心の交流の描写も可愛く丁寧。リーズは口がきけないので、動きや演出で感情を表現する必要があるのだが、それがよくできている。
このリーズに関する演出経験も手伝ってか、高屋敷氏は脚本の立場になっても、台詞に頼らず、物や自然、表情や手などを使ってキャラの感情を表現することが多い。時代順で比較すると面白い。
擬似的な家族の繋がりもまた、高屋敷氏の得意とするところ。1980年版鉄腕アトム(高屋敷氏脚本陣)では、ロボットと人間の家族的な関係にも取り組んでいるのが興味深い。
宝島(高屋敷氏演出ローテ)序盤の、ビリー(元海賊の副船長)とジム(主人公)の交流などを見るに、高屋敷氏は、血の繋がりが無くても親密な関係が好きなのではないかと思う。
今回、ピエールがレミにさらりと「息子」と言う場面の演出や、カイジ、カイジ2期(高屋敷氏シリーズ構成・脚本)で中高年男性達とカイジの交流を丁寧に描写したりといった所にも、高屋敷氏の疑似家族愛好きは表れている。
前にも何度か書いたが、これには高屋敷氏の個人的な経験や思いが乗せられているのではと推察される。御本人に聞けるのなら聞いてみたいものだ。
それくらい、色々な作品で目立つ。
あと、相変わらず、花や鳥、天候、物などが状況や心情と連動する描写が多い。先に述べた通り、やはり演出も脚本も、高屋敷氏は台詞に頼らない傾向がある。
高屋敷氏の脚本作と脚本作を比べてみて、(脚本は絵に関与できないのに)似たような絵面になることが多いのは、同氏がそれだけ「空間」そのものを表現するのに長けているからかもしれない。
以前も書いたが、高屋敷氏は「脚本のような演出」「演出のような脚本」の両方が出来る作家である。マルチな見方が出来る才能と、そして経験、想像力が同氏にはあるのだと考えられ、やはり唸らされる。