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カイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんの軌跡

カイジおよび福本作品、そのアニメが好きで、シリーズ構成の高屋敷英夫さんが、子供の頃からアニメのクレジットで凄くよく見る名前なので調べてみたものの膨大すぎてまとめきれなくなってきたので、自分のブログよりここに切り離してまとめることにしました。ツイッターアカウントは@makimogpfbです

高屋敷氏脚本・「あしたのジョー2」31~最終話までのまとめリンク集(togetter一覧)

はじめの一歩 あしたのジョー アニメ 高屋敷英夫 カイジ
  • ジョー2 31話脚本

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ハワイから帰国する話。コミカル部分が多く、同氏の本領発揮的。また、ホセ対サムの試合を観戦するシーンは同氏ポリシー、自然=キャラが存分に生きる。雨の中、ホセとジョーが言葉を越えて「See you again」と再会、対戦を誓い合う場面は名場面。

一方丹下ジムは増築し、建物=キャラという特徴も出ている。

また、廃車=壊れたボクサーという暗喩が出てきて不穏な空気がほの見える。


 

 

  • ジョー2 35話脚本

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私としては非常に好きな回。同氏特徴の、ぼっち救済と、敵(ライバル)にもシンパシー、物や自然がキャラというポリシーを凝縮し、英語と日本語という言葉の壁をあっさり越えてホセの孤独をジョーが「どうした」と尋ね、ホセは折れたコインを渡す。そしてジョーはホセの対戦相手、ゴメスが死んだことを知る。いくらライバルが現れても殺したり廃人にしてしまう、ホセの強い孤独が描かれている。

 

  • ジョー2 36話脚本

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あまりの葉子の男らしさ、かつカイジ利根川に雰囲気が似てることに驚愕。試合のない回だが、様々な伏線の宝庫。様々な取引をしてホセ戦を関東テレビで放映することに。つまりホーム。この取引において、ジョーがホセ戦の前に1戦することを条件に、葉子は放映権を関東テレビに譲渡する。全てはスター化したジョーに昔の野生を取り戻して欲しいための葉子の策略。タバコすら吸う葉子に驚愕。

また、この回でも薔薇や夕陽、TVなどが不気味な間を持ち(キャラ化)、無言で何か言っているような印象を与える。


  • ジョー2 40話脚本

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高屋敷氏の、無機物や自然をキャラクターとして名演技させる特徴が炸裂。特にパンチドランカーの兆候が現れ始め倒れたジョーが、嘘をついている時に鏡が嘘を見てるかのような鏡のアップや、廃人となったボクサーの墓場のような廃車上が不気味。

また、ラストのカタコトのカーロスとジョーが心を通わせるのも、言葉を超える会話を表現する同氏の特徴が出ており名シーン。

  •  ジョー2 41話脚本

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最終回後、ジョーが心おきなく旅立てる準備をしているような回。特に、西とのりちゃんの結婚式と、泪橋のみんなとの夏祭りが描かれ、花火が美しく(ボクサーとしては)散るジョーを予見している。結婚式では街全体が家族であるという、同氏特徴の擬似家族愛が後押しされ、夏祭りでも、サチの成長を心配する丈が描かれるが、後に同氏脚本でサチはちゃんとレディとして成長し始めていることが描かれている。同・祭りのシーンでは、あらゆる物が何か意味深に、「無言で語っている」(同氏特徴)。考えればわかること~少し考察が必要なものまで非常に数が多い。


 

  •  ジョー2 42話脚本

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 パンチドランカーを患っていることを、ほぼ確信し、あの手この手で検査を受けさせようとする葉子と、かたくなにそれを拒む丈の対決を、「電話」が介し、そして電話が「見ている」という、同氏特徴が出ている。今、同氏シリーズ構成・脚本の「ワンナウツ」をアニマックス再放送で見返しているが、ここでも携帯電話自体が喋ったり何かを告げたりするような表現が見られる。特にオーナーの命令を無視する監督の携帯電話に「デンワニデロォォォ ナニカンガエテンダァァ」と文字が被る場面で、むしろ電話が命を持って発信元の必死の訴えを代わりに言っているようで、同氏特徴が明白な上、爆笑。

 一方このジョー2の42話は、電話のほか、ホセが東京タワーを背にロードワークしているが、ジョー1最終回(同氏脚本疑惑または脚本関与疑惑)で旅立つジョーが東京タワーに向かうのと対になっており、更に高屋敷氏シリーズ構成・脚本では、OPや最終回でアカギが東京タワーを背にやってくる。これも建物が「見ている」という同氏特徴が出ている上ドラマチック。建物が命を持って見守っているかのような表現は、同氏ゲン2脚本の、原爆ドームが子供達を育て見守るようなコンセプトでも炸裂している。

 そして、ホセが肉を食べているが、これもどんどんライバルを死や再起不能に追いやってしまうホセの孤独を癒すものなのではないか?と思える。その証拠に、この話の終盤では、カーロスを廃人に追いやった真犯人はホセのコークスクリュー一発のみだったことが明かされる(ジョー対カーロスからの起因ではなかった)。

 あと、前回41話で、サチがちゃんとレディとして成長するか心配するジョーが描かれるが、この話ではサチが「レディは腰を冷やしちゃいけないんだって」と、雨の中ジョーを待つ葉子にカイロを渡すことで、その心配がなくなっていることも描かれている+同氏特徴の「人を想う贈り物」が出ている。


 

  •  ジョー2 45話脚本

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 伝説の最終回となるホセ戦の始まり。高屋敷氏のジョー2脚本の仕事においての最終3部作で、同じく3連続脚本の、一歩3期の一歩対沢村戦もこれと連動するかのようで、交互に見ると時空酔いを起こすほど。互いに約30年の時間差があるのに、この連動および近年になればなるほど超進化している脚本に驚愕する。(30年分の進化があるから当然だけど、テンポや言い回し、時間配分、表現は一歩3脚本が格段に上)

 また、ちば・梶原氏、出崎統監督とも違う「高屋敷氏版矢吹丈」が、同氏が今までの脚本でばらまいた伏線の結果、時限爆弾のように爆誕する。それは、皆がいるから自分がいると、風来坊な性分ながらも、今まで会ってきた人たちに感謝している丈、そして泪橋はいくら旅に出ても自分が帰って来る場所であると思っている丈。色々見た結果、高屋敷氏が大好きなのが確定の、寅さん的な考え方でもある。

 原作と違い、サチ達が客席にいたり、客席のライバルや今まで会って来た人たちの描写が丁寧なのも、高屋敷氏的と言える。

 じわじわと、どちらかと言えば、ちば先生寄り的な脚本を書きながら実は誰でもない同氏独自の「高屋敷ジョー」を生み出したことから考えても、同氏は、原作と寸分違わぬように見せながら実は高畑テーマにどっぷり漬かっている、「じゃりん子チエ」の高畑監督の術と似た才能を持っている。だからかどうかは定かではないが、高畑監督の「じゃりん子チエ」で高屋敷氏は一番多く(半分近い)脚本を書き、そこでも高畑監督と違う、独自のチエ達を生み出している。下手をすると監督の主張を中から食い破る脚本家という恐ろしさもある。

 また、近年の佐藤雄三監督と組む作品、アカギ・カイジワンナウツでも、実は原作通りで原作のメッセージを受け取っていると視聴者に錯覚させつつ、自身のテーマを視聴者の心に埋め込んでいるのではないかとも思っている。これは間違いなく出崎系ではなく高畑系の技だ。

 さらに、佐藤雄三監督は、インタビューで見たが「常に原作ファンが喜んでくれるか気にしている」とある(監督作劇場版ハンター×ハンター1のパンフ)。原作大クラッシャーとして有名な出崎統監督(高屋敷氏の師匠?かつ馴染み)とは間逆の立場で、佐藤監督も高畑監督的なものを持っている。この、佐藤雄三監督と高屋敷氏が組んだら、二人がアウトプットするテーマが原作に隠れつつ視聴者も気付かないまま、視聴者の心に埋め込まれて行くのは自然な流れ。

 実はこの高畑式原作クラッシュの方が、見た目派手な原作クラッシュより規模のでかいクラッシュではないか?でもスマートな方法とも言える。だってここまで色々追ってみないと気付かないし、原作ファンが傷付くわけでもないのだから。また、原作と全然違うテーマというわけではなく、むしろ原作の考察をしてみようと思わせる力がある。

 ところで映画(主に近作のジブリ作品)に行ってからの高畑監督は、途中まで怖いくらい原作踏襲しつつ、中盤あたりから高畑節暴走を繰り返すようになるので、高屋敷氏や佐藤雄三監督とは少し路線が違う方向に行った。


 

  •  ジョー2 46話脚本

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ホセ戦脚本3部作のうちの2本目。これが上記に書いた、「高屋敷ジョー」というキャラが爆発している回でもある。特に、のりちゃんとの回想部分で丈が、泪橋には段平はじめ皆がいて、そしてのりちゃんがいる、うまくいえないが泪橋という場所は俺の中にどっしりと腰を下ろしちまっている、と言う。原作ファンの中には、丈は段平にも誰にも心を許していない孤高のキャラと考察している人もいるのだが、それとも相当逸脱しており、擬似家族、義理人情、皆がいるから自分がいる、という高屋敷氏的テーマが炸裂している。高屋敷氏の担当作を色々見てから、この回を見ると本当にびっくり。多くの一般的イメージの「出崎統的な孤高でロックなジョー」と大分違うし、こういうところが出崎統監督作に食わず嫌いを起こす人達に対し間口を広げてくれている。だが「出崎統ジョー」に対する大胆なクラッシュとも取れ、まさに、じわじわと今までの同氏脚本から育てられた「高屋敷ジョー」が完全に顔を出した回ともいえる。また、旅に出たいと言うジョーが、「帰って来る」と何回も念を押すのも、高屋敷氏的観点から見た、ジョー2最終回の伏線と言える。

 そして最終回後旅に出た姿=OP(ここまで出崎監督と高屋敷氏の解釈は同じ)であり、

出崎監督は帰らないがどこかで何かやってる旅、

高屋敷氏は、いつか必ず泪橋に帰って来る旅であるという解釈の違いが出てると私は考える。

ところで、ツイッターのフォロワーさん情報だが、出崎監督はジョーは死なずに旅に出た、と語ったらしい。

高屋敷氏が好む「気ままだが帰る所がある旅」については、元祖バカボンの高屋敷氏演出回でも、シェーンのパロをやり、その上で、帰ってこない旅立ちに否定的である。(参考:高屋敷氏元祖バカボン演出回↓)

アニメカイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんの軌跡を巡る旅、元祖天才バカボン47話A演出コンテ・同氏特徴個性的モブの舞台裏 - Togetterまとめ

  

  • ジョー2 47話(最終回)脚本

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伝説のジョー2最終回、高屋敷氏の今でも続くポリシーから考えた、ラストの考察ツイートまとめ。意外にも博愛に満ちた丈、そして前向きな未来・希望に満ちていて、原作や出崎統氏の特徴と激しく異なる大胆行動。

 一歩3期の沢村戦脚本や、カイジ脚本・シリ構にも、このジョー2最終回に秘められた同氏のポリシーである博愛・魂を持つ物や自然、が生きている。

 特に、ラストの

「葉子、葉子はいるか」

「ここよ、ここにいるわ矢吹くん」のやりとりと、

シリーズ構成であるカイジの鉄骨で

カイジ!いるか!?」

「いる!いるぞ佐原!いる!」

「佐原!俺がいる!俺がここにいるぞ!」

の、「恋愛を超えた真の愛(同氏テーマのひとつ)」のシンクロが感慨深い。言い回しも同じ(特徴:連呼。この14話脚本はふでやす氏だが、言い回しとかの統一はありそう)。

 ジョー1デビュー脚本時(無記名だが濃厚)の必死の尺稼ぎぽかったスーパー連呼タイムが、ジョー2最終回では念押しのタメを作る抜群の効果になっているのも面白い。

また、前にも詳しく述べたが、やはりグローブが死に、その魂が太陽となり、ボクシングに関しては全てやり尽くし、旅立つジョーを見守っている(OP映像・特殊ED)、という、高屋敷氏ポリシー側から考えた解釈が、他の同氏の作品を見ていても強くなる。

 同氏監督作忍者マン一平で、顔つき・感情つきの月や太陽がよく出ること、まんが世界昔ばなしの「幸福の王子」でツバメが死んだ瞬間心が割れて王子も死に、二人は太陽に吸収され町を見守るラストなどから窺える。

 あしたのジョーのラストに関しては誰でも自由に考えられる間口の広いものであるので、これは、ここまで色々高屋敷氏の傾向を探ってきた私の「アニメ版ジョー2最終回」解釈(高屋敷氏側)と思っていただければ。