カイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんの軌跡

カイジおよび福本作品、そのアニメが好きで、シリーズ構成の高屋敷英夫さんが、子供の頃からアニメのクレジットで凄くよく見る名前なので調べてみたものの膨大すぎてまとめきれなくなってきたので、自分のブログよりここに切り離してまとめることにしました。ツイッターアカウントは@makimogpfbです

高屋敷氏の描く精神疾患と、その先見の明について

2016/9/22に、チエちゃん奮戦記7~8話高屋敷氏脚本回についてまとめた。

togetter.com

これに書き加えると、いじめられていた相撲部屋の弟子はテツに浴衣を脱がされたことにより、弟子というアイデンティティを喪失、いじめられる理由がなくなった。テツは、弟子に化けて相撲取りを倒すことで、店主ではなくなった。これも高屋敷氏的脱衣演出か。

つまり、この話(8話)で描写されている「かわいがり」や「ワンオペ過労」から脱却するには、「世間に求められている自分」を「脱いで」、本来または新しい自分になることが大事とも言えそう。数十年前から高屋敷氏の作品に精神疾患描写・対処が鋭く盛り込まれているのが面白い。特に、はだしのゲン2脚本における、鬱病老人に対する適切対処は凄い。

 

makimogpfb2.hatenablog.com

 

このような鋭い精神疾患描写に関しては、ジョー1脚本疑惑(および演出手伝い疑惑)にて力石の死と向き合う丈の精神崩壊を描いたのがルーツか。少なくとも、力石の死後、街を徘徊するジョーの回は高屋敷氏が制作進行。演出手伝い疑惑箇所もある。
ジョー2の同氏脚本でも、丈は力石の魂と向き合っている。

そして同氏脚本のジョー2最終回、丈は真っ白になると決めて満足したからこそ燃え尽きる。そしてボクサーの証、グローブを脱ぎ(特徴:脱衣演出)、新しい自分になり旅立つ。そんな風にも取れる。前にも書いたが、代わりにグローブは死に、太陽となって丈を見守る。

高屋敷氏シリ構・脚本のアカギにて、アカギは「まだだ。まだ終わってない。限度いっぱいまで行く」と言う。
これもジョー2高屋敷氏脚本「まだだ。まだ真っ白になってない」という台詞とシンクロ。もともと破天荒なアカギの生き方を丈と重ねている。

だからこそアカギ後期EDが、自由そうに旅をするアカギなのではないだろうか。アカギも丈のように、鷲巣とは限界までやりきったから、新しい自分となって旅に出たとも取れる。ちなみに服もはだけてるw(脱衣演出?)

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 精神疾患の治療過程として、「過去の元気な自分」に戻ろうするのではなく、「新しい自分」になるのを目指そうというプロセスがある。高屋敷氏の「脱衣演出」や精神疾患対処はそれに近い事を描写している。理由は不明だが時代を先取りしすぎて驚かされる。

それにしても何度並べてもゾクっとくるのがジョー1最終回と、アカギOP・最終回である。

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絵を管理しないシリーズ構成がOPやEDに意向を伝えられるのか謎だが、確かに近年のシリーズ構成作は、高屋敷氏の息吹をOP・EDにも感じるのだ。監督との意思疎通が上手いため?とにかくジョー1、2が高屋敷氏のあらゆる作品に生きているのは確か。