カイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんの軌跡

アニメカイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんに興味を持って調べてみたら、膨大な量の担当作があることがわかりましたので、出来る限り同氏担当作を追跡しています。discordアカウントは、まきも#3872 です。

F-エフ-18話脚本:自分の人生を生きる

アニメ・F-エフ-は、六田登氏の漫画をアニメ化した作品。破天荒だが天才的なドライビングテクニックを持つ青年・赤木軍馬が、様々なドラマを経てレーサーとなり、数々の勝負を繰り広げていく姿を描く。
監督は真下耕一氏で、高屋敷氏はシリーズ構成・全話脚本を務める。
今回は、コンテ/演出が杉島邦久氏、脚本が高屋敷英夫氏。

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  • 今回の話:

資金難だったが、岸田(軍馬を慕うインテリ青年)からマシンを譲り受け、ようやくFJ1600レースに参戦(2回目)できることになった軍馬達。
そんな中、タモツ(軍馬の親友で、メカニック)は、聖(軍馬のライバル)が病に侵されているのを知ってしまう。
様々な思いが交錯する中、レースが始まろうとしていた。

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本記事を含めた、当ブログにおけるF-エフ-の記事一覧:

http://makimogpfb2.hatenablog.com/archive/category/%23F-%E3%82%A8%E3%83%95-

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聖がF3にステップアップした一方で、軍馬達は、岸田から譲り受けたマシンの整備に励む。
走りたくてしょうがない軍馬の気持ちを汲み取って、森岡(軍馬やタモツの雇用主で後援者)は、業務としてだが、軍馬に車を運転させる。
ここで信号機が出るが(アニメオリジナル)、状況と連動する信号機は、高屋敷氏の担当作によく出る。カイジ2期・グラゼニ脚本と比較。

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森岡は、軍馬の運転を見て「速くなった」と感心。タモツ(軍馬の親友で、メカニック)は「走ることに関しては天才」と軍馬を評すが、森岡は、速い人間というのは、才能ではなく、走らなきゃならない「理由」があるから速いと語る。
鋭い解説をする森岡は、はじめの一歩3期脚本にて、鋭い解説をしていた伊達を思わせる。

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夜、以前からの聖(軍馬のライバル)のスカウトを断るべく、タモツは電話をかける。
街灯と蛾が意味深に映るが、ランプ演出は本当に、高屋敷氏の演出作・脚本作に多い。空手バカ一代演出、ワンナウツ・アカギ脚本と比較。

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タモツからの電話に出た聖は発作を起こし、マグカップがうまく持てなくなる。それを見たルイ子(聖の恋人)は、慌てて聖をサポートしようとするも発作はひどくなり、彼女はタモツに助けを求める。
ここでは、マグカップが意味深に映る。意味深な「物」のアップは高屋敷氏の担当作に頻出。めぞん一刻忍者戦士飛影脚本と比較。

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タモツは、聖の家へ向かう。月が映るが、高屋敷氏は、「全てを見ている、重要なキャラクター」として月や太陽をよく使う。
空手バカ一代演出、ベルサイユのばらコンテ、蒼天航路脚本と比較。

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聖の家に着いたタモツは、ルイ子に抱きつかれる。感情が昂ったタモツは、ルイ子にキスする。彼は「あんまりルイ子さんが綺麗だから」と弁明し、謝る。この台詞はアニメオリジナル。
ワンダービートS脚本にて、「君があんまり寂しそうだったから」という台詞があるのだが、高屋敷氏の言い回しの癖が窺える。 

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ルイ子に案内され、タモツは聖の部屋へ入る。そこには、病による発作で憔悴しきった聖の姿があり、タモツは衝撃を受ける。ここでも、意味深な蛇口のアップ・間がある。また、憔悴する聖が、あしたのジョー2脚本の、減量中の力石(回想シーンだが)と重なってくる。こちらも、蛇口のアップがある。

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人知れず病と戦ってきた聖と、それを支えるルイ子の関係は、あしたのジョーにおいて、命を削る減量をする力石と、悲しみを抑えながら彼をサポートした葉子を思わせる。あしたのジョー2にて、高屋敷氏は、力石が回想シーンで出てくる回の脚本を書いている(あしたのジョー2の時点では、力石は故人)。

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練習走行の日(この状況設定はアニメオリジナル)、タモツは森岡に、「速い人間には、走らなきゃならない理由がある」という論の意味を尋ねる。
森岡は、ボクサーを例えに出し(原作ではシンガー)、ボクサーは戦わなきゃ生きて行けないから戦う、戦うことが人生だから…と言う。

例え話がボクサーに変更されているあたり、あしたのジョー2の脚本を書き、後に、はじめの一歩3期脚本を書くことになる高屋敷氏の、ボクシングに対する並々ならぬ思い入れが窺える。

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また、原作通りだが「自分の人生を生きる」が強調されており、「自分とは、(突き詰めれば)生きるとは何か」を多くの作品で投げかけてきた高屋敷氏の意向が感じられる。

夜、タモツは森岡の言葉を思い出しながら、以前聖から貰った契約書と、前金50万円を眺める。
そこへ軍馬が入ってきて、契約書をエロ本と勘違いして奪う(原作では、タモツ不在時に見る)。ここは、軍馬のアニメオリジナル台詞「おっぱいボインボインの本」など、台詞まわしが軽妙でコミカル。

金と契約書を見てしまった軍馬は、まだ断ってなかったのか、と憤って、これらを自分が返しに行くと言って改造トラクターを駆り、聖の家に赴く(アニメオリジナル)。
ここでも、月が映る。

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聖と対面した軍馬は、タモツに近づくなと釘を刺し、契約書と金を叩き返す(アニメオリジナル)。二人は睨み合うも、軍馬は直ぐに改造トラクターを発進させて去る。
やはりこの二人、あしたのジョー2(高屋敷氏脚本参加)における、丈と、彼のライバル達との関係が重なる(画像は丈・ホセとの比較)。

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そしてレース前日。ここでも、全てを見ているかのような夕陽が映る。あしたのジョー2・太陽の使者鉄人28号脚本、元祖天才バカボン演出/コンテと比較。

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どこかへ行った軍馬以外の皆は、弁当を食べる。高屋敷氏の大きな特徴・飯テロ描写が、ここで出る。グラゼニ・DAYS脚本と比較。

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一方軍馬は、サーキットに佇む。夜空には、流れ星が流れる(アニメオリジナル)。
これも、「天」に重要な役割を与える高屋敷氏らしさが出ている。
元祖天才バカボン演出/コンテ、めぞん一刻脚本と比較。

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元祖天才バカボンでは、「キャラクター」として、悲鳴を上げながら星が落ちるので、わかりやすい。

軍馬は自らの足でサーキットを走り、シミュレーションを行う。その間、アニメオリジナルで鳥が飛ぶ。長年一緒に仕事した出崎兄弟ゆずりの鳥演出は、高屋敷氏の作品でも多い。陽だまりの樹脚本、ルパン三世2nd演出/コンテ、ベルサイユのばらコンテと比較。

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「何人たりともオレの前は走らせねえ」と、軍馬はあらためて決意を固めるのだった。

  • まとめ

森岡の言葉「一人の人間が自分の人生を生きる」が非常に強調されている所に、高屋敷氏のポリシーが感じられる。アニメオリジナルで、わざわざタモツに復唱させているほどである。

その後に続く例え話が、アニメではボクサーに変更されているのも、前述の通り、あしたのジョー(主に2)の脚本経験が活かされているのが明白。ここまで思い入れが強いのか…と、あらためて興味深い。

例え話に出てくるボクサーは、どんなに痛い思いをしても、「戦わなきゃ生きていけないから」戦う。
高屋敷氏は、自分とは何か、生きるとは何か…を多くの作品で投げかけてきている。カイジ2期(シリーズ構成・脚本)でもそうで、「オレは勝つ!オレはそのために生きている!」とカイジが叫ぶのを、シリーズのクライマックスに持ってきている(その回の脚本は広田光毅氏)。

カイジ1期においても、カイジは(身を焦がすような)勝負の世界に身を投じ、耳を切り、指を切られても、前を見据える。
アカギ(シリーズ構成・脚本)でも、アカギは命を賭ける勝負をすること、人間の本質を探ることに生き甲斐を見出す。
本作の軍馬・聖も、命をいつ落とすかわからないレーサーである。

どれもこれも、「痛い/怖い思いをして、何でわざわざ」と言いたくなるような世界だが、丈、軍馬、聖、アカギ、カイジらにとって「自分の人生を生きる」とは、そういうことだから…なのかもしれない。
また、そういった「男の危険な生きざま」を描く高屋敷氏のこだわりも凄い。

聖の病気や、森岡の話を見せた上で、アニメオリジナルで軍馬と聖の対面を追加したのも上手い。出自も環境も性格も違う、この二人が「走らなければいけない理由があり、走らなければ生きていけない」という共通の精神を持っているのが、わかるようになっている。

1617話では、軍馬の場合の「走る理由」が描かれ、今回は聖の「走る理由」の一部が明かされた。また、7話(アニメオリジナルエピソード)にて、聖が軍馬の走りを「死を恐れない、怒りの走り方」と評したのも、ここで思い返すと面白い。やはりアニメオリジナル部分は伏線の役割を果たしており、その凝りように脱帽する。

あと、人知れず病と戦ってきた聖、それを支えるルイ子の「孤独」も描かれた。その孤独を幾分か「救済」する形で、タモツがそこに飛び込む。高屋敷氏は多くの作品で「孤独」「孤独救済/失敗」を描いており、ここでも強調されている。

今回は、森岡の言葉をはじめ、「シリーズ全体のテーマやメッセージ」が強めに発せられている。本作でも「自分とは何か」という投げかけが色濃いことが判り(というか、OPに浮かぶ文字からして、そうなのだが。詳しくは1話についての記事参照)、高屋敷氏の作家性を再確認できた回だった。