カイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんの軌跡

アニメカイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんに興味を持って調べてみたら、膨大な量の担当作があることがわかりましたので、出来る限り同氏担当作を追跡しています。discordアカウントは、まきも#3872 です。

F-エフ-23話脚本:人と人を引き合わせる夕陽

アニメ・F-エフ-は、六田登氏の漫画をアニメ化した作品。破天荒だが天才的なドライビングテクニックを持つ青年・赤木軍馬が、様々なドラマを経てレーサーとなり、数々の勝負を繰り広げていく姿を描く。
監督は真下耕一氏で、高屋敷氏はシリーズ構成・全話脚本を務める。
今回は、コンテが真下耕一監督、演出が古川順康氏、脚本が高屋敷英夫氏。

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  • 今回の話:

聖(軍馬のライバル)のF3デビュー戦を見るべく、軍馬は改造トラクターを駆って鈴鹿へ。
一方、聖のメカニックを務めるタモツ(軍馬の親友)は、不治の病と闘う彼を支える覚悟を決める。
そして、F3の迫力を目の当たりにした軍馬は衝撃を受ける。
聖は優勝し、軍馬は…

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本記事を含めた、当ブログにおけるF-エフ-の記事一覧:

http://makimogpfb2.hatenablog.com/archive/category/%23F-%E3%82%A8%E3%83%95-

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ライバル・聖のF3デビュー戦を雑誌で知った軍馬は、改造トラクターを駆って鈴鹿へと急ぐ。
原作ではタモツ(軍馬の親友だが、現在聖のメカニック)が送ってきたチケットで、小森荘(軍馬の住むアパート)の皆で行くのだが、アニメでは、軍馬・岸田(軍馬を慕うインテリ青年)・純子(ヒロインの一人)に重点を置くべく、改変されている。

一方、マシンの整備に励むタモツのもとに、ルイ子(聖の恋人)が現れる。
トレーラーに引き上げるため、タモツが彼女の手を握るが、原作より強調されている。
手から手へ感情を伝える表現を、高屋敷氏はよく使う。
ワンナウツMASTERキートンあしたのジョー2脚本と比較。

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バランスを崩したルイ子は、タモツに覆い被さる。ここで、ランプが揺れる(アニメオリジナル)。状況と連動するランプは、高屋敷氏の担当作で頻出。
カイジ2期脚本、空手バカ一代演出/コンテ、めぞん一刻脚本と比較。

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タモツは「重いだよ」と言い、ルイ子は笑いながら体を離す。
「重い」はアニメの追加で、意味深。ルイ子の(情念的な)「重さ」もかかっている。
ルイ子は、聖(不治の病を患う)の発作の間隔が短くなっていることを告げ、何とかレースを止めさせたいと吐露する。

聖の病気は、運動機能が低下していき、最後は心臓が止まってしまう難病。以前ルイ子は、そのことをタモツにだけ打ち明け、「走れるのは今しかない」と、彼に協力を求めた。
やはりここは、高屋敷氏が脚本参加した、あしたのジョー(1・2)の、減量死した力石と、彼をサポートした葉子が思い出される。下記画像下段が、あしたのジョー2高屋敷氏脚本回の、回想シーンに出てきた葉子と力石。

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ルイ子はタモツの手を握り、聖に1日でも長く生きてもらうべく、レースを止めてほしいと懇願。だがタモツは、それはできないと言う(アニメオリジナル)。
ここも、手から手へ感情を伝える、高屋敷氏の特徴が出ている。ワンダービートSMASTERキートン脚本、ど根性ガエル演出と比較。

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タモツは、聖に悔いなく走って欲しいから、「オラの大事な軍馬」と別れてまで、ここに来たと言う。これもアニメオリジナルで、男の友情にこだわる高屋敷氏らしい改変。また、同氏のテーマの一つ、「自分の道を自分で決めろ」が出ており、自分の道を決めた聖を、タモツが尊重している。

ルイ子は、近付いてくる聖の足音に気付き、咄嗟にタモツにキスする。聖はそれを見て見ぬふりをして去る。
このとき、紙コップが落ちて転がる(アニメオリジナル)。
意思を持つかのように動く「物」を、高屋敷氏はよく出す。めぞん一刻カイジMASTERキートン脚本と比較。

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整備を終えたタモツは、一人酒を飲む聖に声をかけ、「走る理由」を問う。
聖はしばし、ロウソクの炎を見つめる(アニメオリジナル)。意味深な炎の「間」も、実に高屋敷氏担当作に多い。
陽だまりの樹カイジ2期・蒼天航路脚本と比較。

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原作では、聖はタモツの質問に答えるが、アニメでは答えず。そして必ず優勝するために、予選でポールポジションを狙わないと言う。戸惑うタモツを前に、聖は何故か笑い出す。
「脚本」なのに不思議な事だが、高屋敷氏は、台詞より映像で見せる話運びが多い。自身のコンテ・演出経験も大きいと思われる。

レース当日、軍馬が心配で鈴鹿に来た純子と岸田は、タモツに声をかける。
タモツは、軍馬と共にF1に行く夢は諦めていないと言い、時が来たら必ず戻る、それまで軍馬をよろしく頼む…と二人に土下座(アニメオリジナル)。高屋敷氏は、割と土下座に縁がある。カイジ1・2期脚本と比較。

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この後の色々なアニメオリジナル展開では、岸田は友達として、純子は女として、軍馬に近しい存在となるので、タモツのこの行動は迫真。高屋敷氏の構成の計算高さが感じられる。

そして決勝が開始される。なんと軍馬はダンロップブリッジによじ登って、それを観戦。F3の迫力を間近で見た彼は、早くF3に行きたいと目を輝かせる。

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だが係員に見つかり、騒動となる。純子と岸田もそれを見て驚く。

場面は転じ、ユキ(軍馬を慕う、赤木家の元使用人。軍馬の異母兄・将馬に囲われている)は、とある男(黒井レーシングチーム代表・黒井)と接触(アニメオリジナル)。サングラス姿や、白黒はっきりさせたがる口調、選手が聞いたら激怒しそうな取引を行うなど、あしたのジョー2(高屋敷氏脚本参加)の葉子に、かなり寄せている。

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鈴鹿では、ブリッジから降りた軍馬が係員をかわして逃走。

コース上を走る聖は、タモツに直接言わなかった「走る理由」を、心で語る(原作では直接語る)。

迫り来る死に恐怖する聖が鏡を見るイメージが出るが、「真実や状況を映す鏡」は高屋敷氏担当作に多く出てくる。あしたのジョー2脚本、ベルサイユのばらコンテ、ルパン三世2nd演出/コンテと比較。

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聖が走る理由は、自分を裏切ろうとしている空間を、もう一度掴み取るためであった。
手の動きでの感情表現を、高屋敷氏はよく使う。蒼天航路カイジ2期・めぞん一刻脚本と比較。

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0コンマ1秒でも速く走るということは、自分の力で距離・空間を自由に縮めてやったという証であり、その時だけ、力強い自分を確認できる…と聖はタモツに心で語り、「オレは死ぬまで生きてみせる」と、チェッカーを受ける。
心で語る描写は、アカギやカイジ脚本などでも強調が見られる。

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表彰式とインタビューの後、夕陽に向かって歩き出した聖は、夕陽を背に歩いて来る軍馬に会う。

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しばし足を止めるも、二人は黙ってすれ違うのだった(アニメオリジナル)。
ここは非常に、あしたのジョー2(高屋敷氏脚本参加)的で感慨深い。
あしたのジョー2・蒼天航路脚本、ベルサイユのばらコンテと比較。

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また、止め絵になるタイミングも、あしたのジョー2的でありながら、真下監督独自のスタイリッシュなセンスが出ており、非常に良い。

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出崎統監督→高屋敷氏→真下耕一監督のリレー的なものを感じる。

  • まとめ

手による感情表現、ランプ、熱い友情、あしたのジョー2オマージュなど、高屋敷氏が(当時)持っている引き出しを目一杯使っているのを確認できる。

あと、タモツの考えが、原作と若干異なっているのは興味深い。
原作のタモツは、サーキットは墓場ではないとして、もしもの時はマシンを止める装置を開発。
アニメのタモツは、自分が整備したマシンで悔いなく走ってもらいたくて、聖のメカニックになった。

これは高屋敷氏が、男と男の友情にこだわることと、高屋敷氏のテーマの一つ「自分の道を自分で決める」を実行した人間に敬意を払っていることが関係していると考えられる。

聖は、命を縮めるとわかっていても、レースを止めない。
あしたのジョー2脚本では、パンチドランカーを自覚する丈が「真っ白に燃え尽きるまで」戦うと決断。
カイジ脚本では、指を切られるとわかっていても、カイジが負けを認める。
こういった決断をするキャラを、高屋敷氏は尊重・強調する。

その「尊重」のために、原作を大幅に変えるほどであり(今回の場合はタモツの対応)、高屋敷氏の信念めいたものを感じる。

また、原作からして聖の設定は、あしたのジョー的なものがあり、その成分を、あしたのジョーに深く関わった同氏が存分に引き出している。

そして、終盤の夕陽。高屋敷氏が太陽を重要視していることは、様々な作品で表現されており、今回も然り。
高屋敷氏の世界の「太陽」は万物を見守り、願いを聞き、死した魂を回収し、人と人を引き合わせる「キャラクター」として機能している。

今回の「太陽」は、「死ぬまで生きてみせる」と誓う聖のもとに、軍馬を「連れてくる」。これは、今後の展開を思えば劇的であるし、展開を知らなくとも、運命的なものを感じさせるのに充分。
1話では、聖が夕陽を背に立っていたが、今回は逆になっているのも心憎い。

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つまり、今まで聖は軍馬のモチベーションを上げる存在だったが、今度は軍馬が、聖の「生きる」モチベーションを上げ得る存在に成長したとも考えられる。また、「走らなければ生きていけない」(18話)タイプである二人の魂が呼び合った側面もあるかもしれない。

とにかく、この夕陽のシーンの追加は重要かつ感動的。また、高屋敷氏にとって、脚本参加した「あしたのジョー(特に2)」がこれほどまでに大きな存在であるのかと、ある意味ゾクッとくる。まるで丈の魂を、色々な作品で自由に召喚できるかのようである。同氏の凄まじさが見れた回だった。