アニメ・おにいさまへ…は、池田理代子氏の漫画をアニメ化した作品で、華やかな女学園を舞台に様々な人間模様が描かれる。
監督は出崎統氏で、高屋敷英夫氏はシリーズ構成(金春氏と共同)や脚本を務める。
今回のコンテは出崎統監督で、演出が廣嶋秀樹氏。そして脚本が高屋敷英夫氏。
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当ブログの、おにいさまへ…に関する記事一覧(本記事含む):
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- 今回の話:
アニメオリジナルエピソード。蕗子(学園の社交クラブ・ソロリティの会長)は12歳の夏、武彦(蕗子の兄の親友で、奈々子の文通相手)に淡い恋心を抱いた。その詳細が、貴(蕗子の兄)や、蕗子自身の回想により明かされていく。
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冒頭、鳥の群れが映る。鳥演出は出崎統監督の定番。長年一緒に出崎統監督と仕事をした高屋敷氏も、それを好む。宝島(演出)、陽だまりの樹・F-エフ-(脚本)と比較。
海岸に佇む、れい(謎めいた上級生で、姓が異なるが蕗子の妹)は、自分がバイオリンで弾いた曲が、何故蕗子を怒らせたのか疑問に思う(23話参照)。彼女は、砂を掴んで落とす動作をするが、似た動作は、あしたのジョー2・忍者戦士飛影(脚本)にも出る。
再び、鳥の群れが映る。鳥+太陽もよく出る。宝島(演出)、F-エフ-(脚本)、家なき子(演出)と比較。
その後、れいは貴(蕗子の兄)に会い、蕗子を怒らせた曲について、何か心当たりがないか聞く。
鉄橋描写があるが、鉄橋は出崎統監督の定番。高屋敷氏もよく出す。忍者戦士飛影(脚本)、ルパン三世2nd(演出/コンテ)、エースをねらえ!(演出)と比較。
問題となっている曲は、6年前の夏に別荘で行われたパーティーで、蕗子が弾いたものだと貴は話す。
回想イメージとして花火が出るが、ベルサイユのばら(コンテ)、あしたのジョー2(脚本)と重なるものがある。
そのパーティーには、武彦(貴の親友で、奈々子の文通相手)が来るはずだったのだが、急用で来れなかった。それ以来、蕗子は件の曲を弾かなくなったという。
イメージで、無人のボートが映る。そこにいるはずの人がいない描写は、しばしばある。家なき子(演出)、グラゼニ(脚本)と比較。
れいは、件の曲を蕗子が弾くのを何回も聞いたが(それ故好きな曲と思っていた)、思えばいつも一人の時だったと気付く。
つまりは、12歳の蕗子が、懸命に武彦のために練習したが本人に聞かせられなかったのが、件の曲であった。
貴の話を聞き、れいが色々と察した場面でも、鳥が飛ぶ。
帰宅した貴は、れいと会ったことを蕗子に話す。6年前の話をしたことを聞いた蕗子は、鋏でバラを切り落とす。意味深な花の描写は、よく出てくる。宝島(演出)、あんみつ姫(脚本)と比較。
バランスが崩れたとして、活けていたバラを捨て、蕗子は自室に行く。
バラの棘で傷付いた、蕗子の手のアップが映る。手が「語る」場面は頻出。ワンダービートS・蒼天航路(脚本)と比較。
れいの余計な詮索に蕗子が怒りを募らせていたころ、れいは人形を蕗子に見立てて謝っていた。
それを鏡が映す。心情や状況と連動する鏡描写は、数々の作品に出る。F-エフ-(脚本)、ど根性ガエル(演出)、あしたのジョー2(脚本)と比較。
一方蕗子は、武彦と初めて会った、6年前の日の事を回想する。
蝶が飛ぶのが印象的。出崎統監督も、高屋敷氏も蝶を好む。
あんみつ姫・あしたのジョー2・ワンナウツ(脚本)と比較。
蕗子が武彦に初めて出会ったのは、滝の前だった。滝もまた、出崎統・高屋敷両氏は好む。宝島・エースをねらえ!(演出)、忍者マン一平(監督)と比較。
風で飛んだ蕗子の帽子を、武彦が拾ってくれる。帽子を拾ってくれる状況は、ちょくちょく見られる。ルパン三世2nd・1980年版鉄腕アトム(脚本)と比較。
気になるのは、高屋敷氏が脚本参加(無記名)した、あしたのジョー1でも同じ状況が出ていること。思い入れがあるのかもしれない。
時は現在に戻り、蕗子は蝶の幻影を両手で包み込む。大切なものを持つ手の描写も、色々な作品で見られる。F-エフ-・ワンダービートS(脚本)と比較。
場面は再び6年前になる。
武彦は、自分の一番好きなシェイクスピアの詩(ソネット18番)を蕗子に教える。
その後、突然雨に降られた二人は、湖畔のボート小屋で雨宿りする。
雨によるドラマは数多い。宝島(演出)、ワンナウツ(脚本)、エースをねらえ!(演出)、F-エフ-(脚本)と比較。
蕗子に請われ、武彦はシェイクスピアの詩を再び朗読する。雨は上がり始め、太陽が顔を出す。全知全能的な太陽の描写は、実に多い。MASTERキートン(脚本)、宝島(演出)、F-エフ-(脚本)と比較。
自分もこの詩が大好きだと言う蕗子の顔を、太陽が照らす。光による心理・状況描写は結構ある。宝島(演出)、ベルサイユのばら(コンテ)、カイジ2期(脚本)と比較。
武彦は、蕗子に詩集をあげる(それを現在でも蕗子は大切にしている)。
夏の終わりのパーティーに再び顔を出すと、武彦は蕗子と約束し、指切りする。
手と手のコミュニケーションもまた、多く出てくる。陽だまりの樹・ワンダービートS・F-エフ-(脚本)と比較。
あの夏の日、幸せだった…と(現在の)蕗子は思う。そんな彼女を、ランプが照らす。ランプ描写は非常に多い。コボちゃん・めぞん一刻(脚本)、空手バカ一代(演出/コンテ)と比較。
れいが学校に出て来ないので心配になった奈々子は、れいの住むアパートを訪ねる。鍵が開いているので入ってみた奈々子だったが、れいは不在。
置かれていたCDを再生してみると、それはれいが弾き、蕗子を激怒させた曲だった。
そこへ、蕗子がやってくる。ここでも鏡が出る。ルパン三世2nd(演出/コンテ)、カイジ1・2期(脚本)と比較。
蕗子はCDプレーヤーの電源を引っこ抜き、以前、れいと付き合うなと言ったはずだと奈々子を叱責する。
その後川辺に佇む奈々子は、「あの曲」に何かあるのだと察する。
水面に奈々子の顔が映る。ここも鏡描写。
ベルサイユのばら(コンテ)、めぞん一刻・蒼天航路(脚本)と比較。
蕗子は自家用車に乗りながら、再び6年前を回想する。
パーティー当日、蕗子はドレスアップして赤い靴を履く。
出崎統監督は、まんが世界昔ばなしで「赤い靴」の演出/コンテを担当しており、それを意識したものかもしれない。
貴から、武彦が急用でパーティーに来られなくなったことを告げられた蕗子はショックを受ける。バイオリン演奏は見事にやり遂げたものの、その後、蕗子は激情のままに湖に飛びこむ。ここで月が映るが、全てを見ているような太陽や月の描写は多い。MASTERキートン(脚本)と比較。
湖から上がった蕗子は号泣する。
時は現在に戻り、あの夏の日は永遠に自分のものだと、蕗子は思う。
「あの人があの夏の日に戻ってきてくれるまで、私は、誰にもあの人を渡しはしない」と決意しながら、蕗子は件の曲のCDを割るのだった。ここも「手」による感情表現。宝島(演出)、グラゼニ(脚本)と比較。
- まとめ
22話からの、色々な謎が明かされる回。
整理すると、
となる。
つまり、蕗子は初恋を大事にしている…ということになる。
蕗子が武彦を想っていることを、原作ではかなり短めに描いていたが、それを丸々3話も膨らませた手腕が見事。
アニメオリジナルエピソードを使ってキャラクターを深く掘り下げる構成は、F-エフ-*1(シリーズ構成・全話脚本)でも見られ、高屋敷氏が垣間見せる大胆さに驚かされる。
過去と現在を細かく行き来する時系列操作も巧み。これは近年(2018)のグラゼニ*2(シリーズ構成・全話脚本)でも見られ、その卓越した技術に感心しきり。
22話についての記事でも書いたが、22、23、24話を通して見ると、蕗子の意外な一面に驚かされる仕組みになっている。
高屋敷氏のポリシー「人間には色々な側面がある」を描くことに成功しており、ここも見事。
グラゼニ(シリーズ構成・全話脚本)でも、(2期)15・16話で夏之介の意外な一面(熱かったり、号泣したり)を見せていく構成が上手かった。話もジャンルも年代も違う両作だが、共通点が多く見られ、比較すると面白い。
鳥、蝶、太陽、月など、「人ではないもの」を使った状況/心理描写も冴えており、それらを共通して好む出崎統・高屋敷両氏の強い連携を感じる。相変わらず、出崎統氏抜きの「脚本」作でも、高屋敷氏がこれらの要素を出せるのは謎ではあるが。
シリーズを通して、各キャラクターの掘り下げを徹底的に行っている構成方針も凄いし、原作で掘り下げがない部分には、丸々オリジナルを当てはめるのも大胆で潔い。
そのオリジナル内容も、とにかく丁寧で唸らされる。
もはや原作を読んでいても、次の展開がどうなるかわからない領域にある。これはF-エフ-のシリーズ構成・脚本でもそうだった。あらためてアニメ化の意義、オリジナルを入れる意味を考えさせられた。