カイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんの軌跡

アニメカイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんに興味を持って調べてみたら、膨大な量の担当作があることがわかりましたので、出来る限り同氏担当作を追跡しています。discordアカウントは、まきも#3872 です。

おにいさまへ…5話脚本:終わりなき問い

アニメ・おにいさまへ…は、池田理代子氏の漫画をアニメ化した作品で、華やかな女学園を舞台に様々な人間模様が描かれる。

監督は出崎統氏で、高屋敷英夫氏はシリーズ構成(金春氏と共同)や脚本を務める。

今回のコンテは出崎統監督で、演出が宇田忠順氏、脚本が高屋敷英夫氏。

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当ブログの、おにいさまへ…に関する記事一覧(本記事含む):

http://makimogpfb2.hatenablog.com/archive/category/%23%E3%81%8A%E3%81%AB%E3%81%84%E3%81%95%E3%81%BE%E3%81%B8%E2%80%A6

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  • 今回の話:

奈々子を独占したいマリ子(奈々子のクラスメイトで、学園の社交クラブ・ソロリティのメンバー)は、智子(奈々子の幼馴染)に嘘をつき、彼女を奈々子から引き離す。
一方、れい(謎めいた上級生)と蕗子(ソロリティ会長)は、どうやら複雑な関係であることが示唆される。
また、武彦(奈々子の文通相手)と奈々子の縁も明かされる。

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開幕、くまのぬいぐるみのアップ・間がある。こういった、まるで魂を持つような「物言わぬもの」の「間」は、高屋敷氏の担当作に多い。ルパン三世2nd(演出/コンテ)、グラゼニ蒼天航路(脚本)と比較。

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奈々子を独占すべく、マリ子(奈々子のクラスメイトで、学園の社交クラブ・ソロリティのメンバー)がついた嘘が原因で、奈々子からの電話に出なかった智子(奈々子の幼馴染)は、ぬいぐるみにパンチする。
F-エフ-・あしたのジョー2・はじめの一歩3期(脚本)など、ボクシング要素は頻出。

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奈々子の母は、武彦(奈々子の文通相手)の事を気にしながら皿洗いをする。
皿洗いを心情と絡める表現は、しばしば見られる。F-エフ-・めぞん一刻コボちゃん(脚本)と比較。

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翌朝、奈々子は智子から避けられ、ショックを受ける。そこへ、マリ子が後ろから抱きつく。
無邪気な友情描写は多い。グラゼニ(脚本)、ど根性ガエル(演出)、コボちゃん(脚本)と比較。
本作やグラゼニなどは、アニメオリジナルで追加をするほど、友情描写が強化されている。

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ソロリティ入会儀式の準備に行く途中、奈々子とマリ子は、薬に依存するれい(謎めいた上級生)の手をはたく薫(病を抱えるが体育会系で、れいの親友)を目撃する。
手と手のコミュニケーションは多く出る。
F-エフ-(脚本)、宝島(演出)、カイジ2期(脚本)と比較。

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薫は、れいをビンタする。原作通りだが、かなり強めに表現されている。
原作通り・オリジナルともども、高屋敷氏はビンタに縁がある。ベルサイユのばら(コンテ)、カイジ2期(脚本)、ど根性ガエル(演出)と比較。

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れいは薫にビンタし返し、「いい顔だ。その眼を見ると、生きてるのが楽しくなっちまう」と薫に言う。なんとなく、じゃりン子チエ(脚本)にて、生きる意味を(特に春になると)考えるジュニアと、それに付き合わされる小鉄の関係が重なる。

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そこへ蕗子(ソロリティ会長)が通りかかる。
花のアップ・間があるわけだが、こういった表現もよく出てくる。めぞん一刻ワンナウツコボちゃん(脚本)と比較。

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蕗子に誘われ、ソロリティ入会儀式の準備に付き合わされたれいは、蕗子がわざと落とした剣山で怪我をする(奈々子だけが、蕗子の行動を目撃)。
奈々子は、咄嗟にれいを手当てする。
ここも、手と手のコミュニケーション。ワンダービートSMASTERキートンカイジ2期(脚本)と比較。

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れいを見かけた薫は、怪我の原因が蕗子であると察し、「どうしてだ、どうしてそこまで自分を追い詰める!どこまで傷ついたら気が済むんだ!」と問う(アニメオリジナル)。想いを熱くぶつける状況は、カイジ2期・グラゼニ・F-エフ-(脚本)でも印象的。

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ソロリティ入会儀式にて、蕗子はマリ子に、「あなたの微笑みは、五月の陽の光のように爽やかです。決して絶やすことのないように」と言う(アニメオリジナル)。
実際、高屋敷氏は「笑顔」を重視する。
あんみつ姫(脚本)、宝島(演出)、F-エフ-・グラゼニカイジ2期・DAYS(脚本)などなど、良い笑顔を見せる場面は多い。

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続いて蕗子は奈々子に、「あなたが愛を得る時、それはあなたの優しさが愛を作り上げたのだと…」という言葉を贈る。これもアニメオリジナル。これらの言葉は、「他者から見た自分」であり、高屋敷氏のテーマの一つ「自分とは何か」が感じられる。

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一方、奈々子の母は武彦と喫茶店で話す。
原作だと、二人の会話はもう少し後。グラゼニ(シリーズ構成・全話脚本)などで見られるような、大胆な時系列改造が施されている。

また、コミュニケーションツールとしてのコーヒーは、色々な作品で出る。F-エフ-・カイジ(脚本)、宝島(演出)と比較。

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武彦は、奈々子の義父の前妻の息子、つまり彼女の義兄であることが、ここで判明する。心情・状況と連動するランプが映るが、これは実に多い描写で、挙げればキリがない。カイジ2期・RIDEBACKめぞん一刻グラゼニ(脚本)と比較。どれも点灯・消灯が意味深。

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武彦は、奈々子の母や父親を恨むような気持ちは無くなったし、奈々子に素性を打ち明けるつもりも無いとして、奈々子の母を安心させる。
彼女が去った後、雨が降ってきて、武彦は過去を思い出す。劇的な雨の描写は多い。空手バカ一代(演出/コンテ)、エースをねらえ!(演出)、F-エフ-・めぞん一刻(脚本) と比較。

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自宅に戻った武彦は、少年期の、ある雨の日にこっそり、父と奈々子、奈々子の母が楽しそうにしているのを見に行った事を思い出す。ここも、高屋敷氏的テーマ「自分とは何か」を投げかける効果を生んでいる。
また、同氏は「孤独」も重く取り扱う。

そして、今の武彦を表す物が映る。アイデンティティを示す物を映すのは、よくある。グラゼニ(脚本)、元祖天才バカボン(演出/コンテ)、あしたのジョー2(脚本)と比較。

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その頃、薫はれい宅に電話をかけていたが、れいは蕗子からの電話だと思い込み、出ないと決め込む(アニメオリジナル)。電話に重要な役割が課されることは、結構ある。あしたのジョー2・MASTERキートン・F-エフ-・ワンナウツ(脚本)と比較。

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夜中、奈々子は悪夢を見る。アニメでは、夢の具体的な内容が描かれている。
その中で蕗子が、「愛は同時に、憎しみと怒りと疑いを生みます」と奈々子の手を掴む。これも頻出の、手と手のコミュニケーション。
F-エフ-(脚本)、宝島(演出)と比較。

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夢の中の蕗子は、更に続ける。「もしあなたが傷ついたのならば、あなたも相手を傷つければいい」と。そして剣山を落とす。バラが散るイメージが出るが、前述の通り、ここも花の意味深描写。あんみつ姫(脚本)、宝島(演出)、あしたのジョー2(脚本)と比較。

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飛び起きた奈々子は、母と義父を心配させるが、夢を見ただけだと言う。
今夜の雨は止みそうにない…と奈々子は思うのだった。ここも、雨がドラマを盛り上げている。ワンナウツ・F-エフ-(脚本)、ベルサイユのばら(コンテ)と比較。

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  • まとめ

色々なキャラクターが、「自分とは何か」を問うような構成になっている。このあたり、長年(現在も)「自分」にまつわる哲学を突き詰めている節のある、高屋敷氏の手腕が存分に振るわれている。

武彦の場合は、「奈々子の義父の実の息子」である「自分」の存在が、無かった事のようになっていて、それでいて奈々子は実の妹のように可愛いと思う「自分」もいるという、複雑なものを抱えている。

薫は、必要以上に薬に頼るれいと、「もっとスポーツ(バスケ)をしたいのに、病を抱えている自分」とを無意識に対比し、怒りをぶつける。
ここは、グラゼニ2期(同氏シリーズ構成・全話脚本)にて、プロ野球選手として生きていくと決めた「自分」とあまりに違う意識の持ち主を叱咤する夏之介が重なる。

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グラゼニ2期(脚本)の夏之介の場合は、自分を自分たらしめ、「好きで選んだ道」である「野球」が、怪我で4ヶ月もできなかった経緯がある*1

薫の場合は、スポーツ万能で、バスケに青春を賭けたいのに、1年間も病で休学し、闘病を続けている。

どちらも、それを考えると、視聴者の胸が痛む構成になっている。

その一方、蕗子に病的なこだわりを見せ、常軌を逸した行動/言動をし続けるれいは、「自分」を見失っているように見える。
だが、「生きてるのが楽しくなっちまう」と、薫を通しては、生きている自分を実感しているようだ。
また、高屋敷氏の、精神疾患に対する鋭い視点も光る。

薫の、「どうしてだ、どうしてそこまで自分を追い詰める!どこまで傷ついたら気が済むんだ!」というアニメオリジナル台詞は、熱い友情を描いてきた同氏のこだわりが感じられる。
あと、(いい意味での)男性的なメンタルを、性別問わずキャラクターに付与する技術も見られる。

「自分」というものを考え、もがく人達の渦中にいる奈々子もまた、何故(スクールカースト上位の)ソロリティに(比較的平凡な)「自分」が選ばれたのかわからず、また、ふと立ち止まると、自分の実の父親はどういった人だったのかわからずに悩んでいる。

そして蕗子は、ソロリティ入会儀式にて、「他者から見たマリ子と奈々子」の長所を言ってくれるが、そういった広い視野を持つ反面、れいに対し苛酷な仕打ちを続ける。
このあたりは、あらゆる作品で、人間の複雑さを描いてきた高屋敷氏の意向が見える。

つまり、「自分とは何か」→「人間とは何か」という問いかけが行われている。じゃりン子チエ(脚本)でも、ジュニアが「自分は何故猫なのか」「生きている実感とは何か」について考え込む場面の強調が見られる。
また、アカギ(シリーズ構成/脚本)でも、アカギが人間の本質に興味を持つ。

そういった終わりの無い問いかけをすることが、「生きる」ということかもしれない。高屋敷氏は、あしたのジョー2(脚本。最終回含む)や、F-エフ-・カイジグラゼニ(シリーズ構成/脚本)など、「男の生きざま」を描くのに長けるが、根底には「生きるとは何か」があるのではないか…と考えさせられた。