カイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんの軌跡

アニメカイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんに興味を持って調べてみたら、膨大な量の担当作があることがわかりましたので、出来る限り同氏担当作を追跡しています。discordアカウントは、まきも#3872 です。

F-エフ-3話脚本:確固たる自我を持て

アニメ・F-エフ-は、六田登氏の漫画をアニメ化した作品。破天荒だが天才的なドライビングテクニックを持つ青年・赤木軍馬が、様々なドラマを経てレーサーとなり、数々の勝負を繰り広げていく姿を描く。
監督は真下耕一氏で、高屋敷氏はシリーズ構成・全話脚本を務める。
今回は、コンテ/演出が澤井幸次氏、脚本が高屋敷英夫氏。

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  • 今回の話:

上京した軍馬は、レーサーになるという目標の手始めとして、自動車教習所に赴き、そこで教官をしている純子と再会。
純子の指導虚しく、軍馬は教習車で爆走、教習所追放となるが、居合わせた純子の叔母・さゆりの営むアパートに住むこととなり、純子や、純子のレーシングチームメイトである啓太・ヒロシとの同居を開始。
一方、軍馬の嘘八百の手紙を受け取ったタモツは、上京して軍馬のメカニックになるかどうか迷うも、母に背中を押され、上京する。

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本記事を含めた、当ブログにおけるF-エフ-の記事一覧:

http://makimogpfb2.hatenablog.com/archive/category/%23F-%E3%82%A8%E3%83%95-

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冒頭、信号演出や、都会の喧騒に紛れる軍馬が、カイジ2期脚本と重なっていく。どちらもアニメのオリジナル描写。

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軍馬がハンバーガーやおにぎりを食べる場面も、アニメのオリジナルとして追加されている。高屋敷氏の特徴である飯テロ・食いしん坊描写が炸裂。挙げればキリが無いが、チエちゃん奮戦記・ルパン三世3期脚本と比較。

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更に原作に無い場面は続き、新聞で自動車教習所の広告を見つけたために、軍馬は教習所へ赴くことになる。ここは、原作の上手い補完となっている。新聞や紙媒体を、高屋敷氏はよく活躍させる。
カイジ2期脚本とシンクロ気味。
原作通りだが、カイジも、新聞で貴重な情報を得ている。

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教習所にて軍馬は、筑波サーキットで出会った純子(小規模レーシングチームのリーダー)と再会する。なんとなく、カイジ2期脚本の、遠藤とカイジの再会シーンと重なる。カイジの方は、アニメオリジナル。

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軍馬は隙を見て、教習車で爆走。追いかける純子の車とデッドヒートを繰り広げる。
結果、純子の車と軍馬の車は正面衝突。フロントガラスを突き破って純子の車に飛び込んだ軍馬は、純子に偶然(?)キスし、純子を益々怒らせる。
作画やカメラワークが凄い。

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当然軍馬は教習所追放となるが、居合わせた老婆・さゆりに気に入られ、彼女の営むアパートに住むことに。味のある老人の描写は、高屋敷氏の作品にはよくある。めぞん一刻脚本と比較。どちらのお婆ちゃんも、アニメオリジナルでの出番が多い。老人との心温まる交流も、同氏特徴の1つ。

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さゆりは軍馬を歓迎し、酒盛りをする。ここも、酒や食べ物が美味しそうに描写される。MASTERキートンカイジ2期脚本と比較。

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教習所で叱られたあたりから、軍馬がタモツに宛てた、嘘八百の手紙が、軍馬のナレーションで読み上げられる。原作通りだが、こういった「手紙の活躍」を、高屋敷氏はよく使う。オリジナルで、「大家さんは美人の未亡人」という文が追加されており、めぞん一刻(管理人が美人の未亡人)脚本の経験が使われている。

帰宅した純子は、食卓にいる軍馬に驚く。ここで、さゆりが純子の叔母であることが判明。かくして、軍馬、純子、純子のレーシングチーム仲間である啓太、ヒロシの共同生活が始まる。オリジナルで、「おかわり!」という軍馬の台詞が追加されており、高屋敷氏の食いしん坊描写が出ている。チエちゃん奮戦記脚本と比較。

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そして、軍馬の手紙は、タモツの母が読んでいたことが判明。
とにかく手紙は、様々な高屋敷氏の担当作で強調される。これも挙げればキリがないのだが、家なき子演出、じゃりン子チエカイジ脚本と比較。

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タモツの母は、上京して軍馬のメカニックになりたいのではないのか、とタモツに尋ねるが、タモツは、家の手伝い(シイタケ栽培)があるから…と言い淀む。
そんなタモツに、母は「自分の思う通りに生きろ。それが男っつうもんだ」と助言する。
これはアニメのオリジナル台詞で、高屋敷氏がよく発するメッセージ、「自分とは何か」「どういう自分になるかは、自分で決めろ」が、強く表れている。
家なき子最終回演出でも、それは表れている。

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それでも「自信がない」と言うタモツに、母は「もし自分が若かったら、やはり父ちゃんみたいな男に惚れていた」と言う。タモツの父は優秀なメカニックだったが、慢心が祟って、飲む・打つ・買うを行い、家を出て行ってしまっていた。それでも母は父を愛しており、タモツと父は違う人間だ、とタモツを諭す。

タモツは考え込み、その直後、シイタケや機械、自然の意味深描写が続く(アニメオリジナル)。高屋敷氏は、物や自然に意味や役割を持たせ、それらで「間」を作ることが多い。めぞん一刻あしたのジョー2脚本と比較。

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そしてタモツは上京を決意。ここからは、アニメの、完全なる追加場面となる。

軍馬の異母弟の雄馬と、軍馬を慕う、赤木家の使用人であるユキが、タモツの見送りに来る。後の展開を考えると、上手い伏線になっている。

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走り出す列車の車窓から、タモツは、農作業をする母の姿を見つけ、「母ちゃ…」と言いかけるも、それを飲み込み、「男の顔」になって旅立って行く。「男」への成長と、旅立ちを描くのは、高屋敷氏の大きな特徴。家なき子最終回の演出が代表的。

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  • まとめ

なんといっても、タモツ母子の描写が興味深い。「自分の思う通りに生きろ」という、アニメのオリジナル台詞は、高屋敷氏が発するメッセージであるところの、「自分とは何か」「どういう自分になるかは、自分で決めろ」を直球で投げてきている(1話2話でも、それが出ている)。
カイジ脚本でも感じるが、まるで原作に存在するかのような言葉を追加するのが、高屋敷氏は上手い。
何回か書いているが、原作通りでありながら、アニメ独自のテーマがじわりと出ている、じゃりン子チエの脚本経験が大きいのでは?と思っている。

そして、2話の軍馬の上京シーンに続き、タモツの上京シーンの追加も、うまくはまっており、アニメ版の良さの1つになっている。こちらも、家なき子のテーマ、「男はいつか一人で生きていくもの」「前へ進め」が適用されており、タモツが、家なき子最終回のレミのように、「男の顔」に豹変する。

タモツも軍馬も、父に対して色々な感情を抱いており、軍馬は2話にて、父の「出来の悪いイミテーション」ではなく、自分は赤木軍馬という人間であると主張。今回は、タモツの母が、タモツと父は違う人間だと諭す。

親に左右されず、確固たる自我を持つことは、生きて行くために必要なこと。そこが崩れると、心が病む可能性がある。
高屋敷氏は、メンタルヘルスについて、鋭く切り込むことが多く、その先見の明に驚かされる。
何故かは不明だが、あしたのジョー脚本(特に2、1は無記名だがデビュー作)で、力石の死と向き合う丈を描写した経験も、生きていると考えられる。

あと、「母の愛」についても、ど根性ガエル家なき子演出の頃から、強く描かれている(下記画像は、家なき子演出との比較)。女性キャラが殆どいないカイジ(脚本・シリーズ構成)においても、カイジに、どこか母性を持たせている。

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今回、軍馬は、可愛いお婆ちゃん・さゆりと交流するが、冷たい家庭環境から脱して、擬似家族を得たとも取れる(まだまだ啓太・ヒロシ・純子とは打ち解けないが)。これも、高屋敷氏が長年取り組んでいる、「孤独救済」が出ている。

また、脚本技術として、原作では登場しない回でも、聖(軍馬の後のライバル)を極力、登場させている。

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カイジ2期脚本・シリーズ構成でも、石田の息子を、地下が映る際には必ず登場させており、終盤の感動的展開の伏線にしている。
そういった、「構成」計算力の高さが、本作でも確認できる。

1話からここまで、高屋敷氏の全力投球ぶりには、本当に驚かされる。そして毎回、高屋敷氏の投げたいテーマが、はっきり出ている。原作ものであっても、いや、原作ものであるからこそ、「アニメ独自のテーマ」を持たせる重要性を感じる。これからも、シリーズ全体を流れるテーマを探って行きたい。