陽だまりの樹 脚本:感想ツイート集
アニメ・陽だまりの樹は、手塚治虫氏の同名漫画をアニメ化した作品。監督は杉井ギサブロー氏、シリーズ構成は浦畑達彦氏。
高屋敷氏は脚本陣の一人として、数本を執筆。
- あらすじ
時は江戸時代末期。武士の万二郎と、蘭方医の良庵。二人の若者が、激動の時代を駆け抜けていく。
1話
あしたのジョー(脚本)の力石・ホセやF-エフ-(シリーズ構成・脚本)の聖のキャラ性を受け継いだようなキャラや、
キャラの可愛さ・無邪気さなどに注目した。
あと、原画に(RED LINE監督の)小池健氏がいた。
4話
特徴である、
- 太陽や嵐といった、「天」の活躍
- 手紙描写の強調
- 食いしん坊描写
- 可愛い喜び方
- 手と手で伝える情愛
などなどを確認。特に、緊迫した状況と嵐が連動する所に、高屋敷氏らしさが出ていた。
本作は、江戸時代を1本の大樹に喩えており、その点は、「もの言わぬものに魂がある」という高屋敷氏のポリシーにマッチ。この4話でも、まるで全てを「見ている」ような大樹のアップ・間(同氏特徴)がある。
8話
1段目:忍者戦士飛影脚本とシンクロする富士山
2段目:味のある老人。DAYS脚本と比較
3段目:裸の付き合い。DAYS脚本と比較
4段目:炎の意味深アップ・間。コボちゃん脚本と比較
他も、状況と連動する天候等確認。
11話
今回、非常に高屋敷氏の得意な部分が出ていた。
1段目:可愛い友情描写。F-エフ-脚本と比較。
2段目:意味深な炎のアップ。コボちゃん脚本と比較。
ビールならぬ酒テロ、酔って寝る姿が無邪気。カイジ2期脚本と比較。
下記画像1段目:主人公の1人・良庵が結婚。めぞん一刻脚本の、最終回の結婚式が思い出される。
2段目:味のあるお爺さん。MASTERキートン脚本と比較。
話も、ハリスの将軍謁見の際の、ギミックを使った一大作戦。カイジ(脚本・シリーズ構成)はじめ、こういったギミック大作戦展開は、よく強調される(オリジナル話の脚本や演出でも多い)。そして、筆がノっている感じがする。
13話
画像上段:一人夕暮れに佇んでいると、友達や仲間が来てくれる状況は、ど根性ガエル演出の頃からよくあった。
画像下段:とにかく、喜び方が可愛い。グラゼニ脚本と比較。高校の野球部の監督をする程の野球好きだから、野球の喜び方から来ている?
とにかく、演出時代ならわかるが、脚本になっても、喜び方が無邪気で可愛いという特徴が変わらないのが不思議。
喜び方だけでなく、数多くの作品で、幼い所作が確認できる。シリーズ構成作では、幼さから一変した成長も描かれる。
ちなみにコンテは、出崎哲氏の右腕的な存在の四分一節子氏(この回の原画にも参加している)。四分一氏も高屋敷氏も、ど根性ガエルスタッフだったので、所々ど根性ガエルがよぎるのも自然なことかもしれない。
15話
安政の大獄に巻き込まれ、無実の罪で投獄された万二郎(主人公の一人)を、良庵(もう一人の主人公)が、知略で救う(薬でコレラに似た症状を作り、病死扱いにする)あたり、知略や友情を強調する高屋敷氏らしい。
死人扱いとなった万二郎は水戸へ逃れるが、職も名前も失った万二郎は、「自分とは何か」を問われている状態。「自分とは何か」「どういう自分になるかは、自分で決めろ」を長年テーマに掲げてきた、高屋敷氏にマッチした展開だった。
22話
高屋敷氏の特徴、
幼く無邪気な、男の友情描写(画像1段目、グラゼニ脚本と比較)や、飯テロ(画像2段目、F-エフ-脚本と比較)が出た。
出崎兄弟ゆずりの鳥演出も出てきた。
空手バカ一代演出/コンテ、ベルサイユのばらコンテ、カイジ脚本と比較。
軍医である良庵は、戦闘に勝利して喜ぶ兵士達を一括。
強調やリズムがカイジ脚本と重なる。
良庵「あれだけ人を殺して、これだけ怪我人を出して、どこがめでてえんだ!」
カイジ「何がめでたい、どこがめでたいんだ、え?」
父の仇を討った万二郎は顔に傷を負い、仇である音次郎は、妹の身を案じながら死ぬ。
カイジ(シリーズ構成・脚本)では、勝つためにカイジは耳を切る。仇の利根川は、矜持を見せ焼き土下座。高屋敷氏は、善悪では割り切れぬものを描く。
本作における高屋敷氏の脚本回は、これで最後。今回は色々と、善悪では割り切れないビターな構成となっており、これは、同氏の得意分野。こういったビターな余韻は、1980年版鉄腕アトムや、太陽の使者鉄人28号脚本にも見られ、歴史は長い。
- まとめ
本作は、激動の時代を駆け抜けた二人の男の物語。結末は、ほろ苦いものの、確かにその時その時を全力で「生きた」ことが描かれている。
高屋敷氏は、(特にシリーズ構成作で)「男の生きざま」を描くのを得意とするが、そのセンスや技術が、担当回にて存分に発揮されている。
また、万二郎と良庵の友情描写も絶妙で、このあたりも同氏の豪腕が唸る。色々と、同氏の妙技が見られた作品だった。