カイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんの軌跡

アニメカイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんに興味を持って調べてみたら、膨大な量の担当作があることがわかりましたので、出来る限り同氏担当作を追跡しています。ツイッターアカウントは@makimogpfbです。

新ど根性ガエル9A話脚本:モブ使いの上手さ

『新・ど根性ガエル』は、吉沢やすみ氏の漫画をアニメ化した作品(アニメ第1作がある)。シャツの中で生きるカエル・ピョン吉と、シャツの持ち主・ひろしを軸にしたギャグ話。
今回の演出/コンテは清水玲子氏で、脚本が高屋敷英夫氏。

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当ブログの、(本記事を含む)新ど根性ガエルに関する記事一覧:
https://makimogpfb2.hatenablog.com/archive/category/%23%E6%96%B0%E3%81%A9%E6%A0%B9%E6%80%A7%E3%82%AC%E3%82%A8%E3%83%AB

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  • 今回の話:

文化祭で、ひろし達はおでん屋をやることに。一方、ゴリライモ(ガキ大将)と、その腰巾着のモグラはラーメン屋を出し、両陣営は対立する。

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文化祭で、おでん屋をやることにしたひろし達は早速、研究のためおでん屋に赴く。高屋敷氏が初めてクレジットされたのは、あしたのジョー1の制作進行としてで、その回におでん屋が出てくる。それもあり同氏は、おでん屋に思い入れがあるのではないだろうか。

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(美味しいと評判の)おでん屋で、まず京子(ひろしのガールフレンド)は大根を頼み、その美味しさに感嘆する。
美味しそうに食べ物を食べる描写は頻出。アンパンマン(脚本)の温かいけんちん汁、グラゼニ(脚本)の熱々唐揚げと比較。

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一方、文化祭でラーメン屋をやることにしたゴリライモ(ガキ大将)と、その腰巾着のモグラは、ラーメン屋で研究する。こちらも飯テロ。画像はラーメン集。あんみつ姫グラゼニ・F-エフ-(脚本)と比較。

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そして文化祭当日、ひろし達のおでん屋は盛況。先に述べたジョー1(制作進行)から連なる、おでんへのこだわりは、元祖天才バカボン(演出/コンテ)にも表れている。

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ひろし達のおでん屋は、京子の着物姿も人気。対抗して色気を出すため、ゴリライモは演劇をしている生徒を拐うが、女装男子であることが判明し失敗。劇中劇は、おにいさまへ…ストロベリーパニック(脚本)にも出る。こちらは男装女子。

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悔しがるゴリライモは、ひろし達の店に悪質な嫌がらせをし、客を自分達の方へ呼び込む。様々な嫌がらせは、アンパンマン(脚本)や元祖天才バカボン(演出/コンテ)にも見られる。

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ひろし陣営とゴリライモ陣営の張り合いはヒートアップし、本職のおでん屋とラーメン屋を参加させる事態となり、両陣営とも盛況に。店を盛況にする作戦は、元祖天才バカボン(演出/コンテ)や、ど根性ガエル(演出)など、結構出てくる。

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その後も、ひろし陣営とゴリライモ陣営は、あの手この手のサービスを提供しては客を集める。扇動者に踊らされ狂乱する人々の愚かさは、カイジ(脚本)でも強調されている。

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結局のところ、ひろしもゴリライモも、自分達が勝ったと思い込んだまま文化祭を終え、ひろし達は赤字に終わる。カイジ(脚本)やルパン三世2nd(脚本)でも、骨折り損な結果に主人公が泣かされるのが印象深い作り。

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赤字を補填するため、ひろしはおでん屋で、ゴリライモはラーメン屋で当面バイトすることになったのだった。おでんがオチに使われるのは、元祖天才バカボン(演出/コンテ)にもある。

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  • まとめ

高屋敷氏の、おでんへの思い入れが興味深い。先述の、あしたのジョー1の制作進行としての思い出が発端なら面白いし、そうでなくても、おでんは同氏の担当作によく出るので、縁を感じられて面白い。

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そして、とにかく飯テロを軸にした話作りが、実に高屋敷氏らしい。相当に食べる事が好きなのだと、つくづく思う。ワンダービートS(脚本)にて、地球人類にとっていかに“食事”が大事かを説く話を書いているほどである。

ただ今回は、「扇動される大衆」を風刺したエピソードにもなっている。カイジ(脚本)でも、エスポワール編終盤にて、集団としての人間の愚かしさを強調しており、運命的。そしてもともと高屋敷氏は、モブ描写に長ける。

当然のことながら、人間社会は多くの人間で成り立っているのであるが、高屋敷氏はそれを際立たせるために、モブをじっくり描いている気がする。現に、同氏担当作には、数々の印象深いモブキャラがいる。

今回のモブは愚かしい面があるが、大抵の場合、高屋敷氏は温かく人情味溢れるモブを描く。思うに、自分も他人も、人間社会を織り成す大事な一員であることを訴える狙いがあるのではないだろうか。

高屋敷氏が提示するテーマの一つに、「自分とは何か」がある。これもやはり、多くの人々がいるからこそ「自分」がいるといった温かさに繋がることが多い。カイジ(シリーズ構成・脚本)でも、そこは強調されている。

カイジ(シリーズ構成・脚本)では、覚醒したカイジが強いのは、大抵の場合、彼が他者や仲間を思う心があるからだと感じさせる構成になっている。勿論「理」で勝利するのも見所だが、奥底には、そういったウェットな部分がある。

ドライな理論が満載のワンナウツ(シリーズ構成・脚本)も同様で、理詰めの心理戦の裏では、渡久地と、渡久地をプロ野球の世界に引き込んだ児島との“心身の”契約関係、すなわちウェットな人間関係が根底にある構成になっている。

つまり高屋敷氏は、どんな作品にしろ、他者がいるから自分がいる、自分がいるから他者がいる、という社会の構造を大切にしていると言える。その一環として、生き生きとしたモブがいるのだと思う。

今回の場合は、モブを上手く動かすことで話が転がる構成になっており、高屋敷氏の“モブ使い”の上手さが光る。また、カイジにも繋がる、集団心理の愚かさを、短い尺の中で表現できている回だった。