オヨネコぶーにゃん15C話脚本:変わらない姿勢
アニメ『オヨネコぶーにゃん』は、市川みさこ氏の漫画をアニメ化した作品。
ゆでた家に押しかけた、ふてぶてしい猫・オヨヨ(ぶーにゃん)を中心にしたギャグが繰り広げられる。
総監督:笹川ひろし氏、監督:葛岡博氏、シリーズ構成:金子裕氏。
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- 今回の話:
サブタイトル:「通知表を消せ!」
コンテ/演出:西山祐次氏、脚本:高屋敷英夫氏。
アニメオリジナルエピソード。成績に自信が無い、たまご(オヨヨの飼い主)は、オヨヨに、通知表を消すよう依頼するが(報酬はイモ)…
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たまご(オヨヨの飼い主)は、成績が悪いあまりにママ(たまごの母)に殺されそうになる夢を見る。通知表ネタは、忍者マン一平(脚本/コンテ/監督)、ど根性ガエル(演出)にも出てくる。
奇しくも、今日が通知表を渡される日なので、たまごは朝食もそこそこに登校。オヨヨは、元気が無い理由を、たまごに問う。
落ち込んでいる者に寄り添う場面は、ど根性ガエル(演出)、陽だまりの樹(脚本)ほか多い。
たまごは、イモ(オヨヨの好物)をあげるから、通知表を消してほしいとオヨヨに頼み、オヨヨは承諾する。ルパン三世2nd・忍者戦士飛影(脚本)ほか、(握手などの)手による意思伝達は頻出。
そしていよいよ、通知表が渡される時を迎える。たまごの同級生であるモンブランと、ひなぎくは、ともに好成績。成績の良し悪しでキャラに個性をつける技術は、めぞん一刻・ストロベリーパニック(脚本)などにも見られる。
自分の通知表を見た、たまごは、成績が少し上がっていることに感涙する。
ストロベリーパニック(脚本)の、周囲の人間の協力で、渚砂(主人公)が赤点を免れる話が少し重なってくる。
だが、イモが欲しいオヨヨは、たまごの依頼を完遂しようと、たまごの通知表を奪いにかかる。その騒動で、教室は滅茶苦茶に。ど根性ガエル(演出)、ストロベリーパニック(脚本)ほか、高屋敷氏はモブ描写が上手い。
その後もオヨヨは、あの手この手で、たまごの通知表を狙う。目的のためなら、どんな手も厭わない姿勢は、ルパン三世2nd(演出/コンテ/脚本参加)のルパンや、アンパンマン(脚本)の、ばいきんまんを彷彿とさせる。
通知表を奪ったオヨヨだったが、通りかかったアレレ(近所の美猫)を口説こうとし、たまごに石を落とされる。想い人の前で骨抜きになる場面は、ガンバの冒険・新ど根性ガエル(脚本)にも見られる。
通知表を奪還した、たまごは、ママに通知表を見せるべく家へと急ぐ。それを見かけた、うずら(たまごの弟)は興味を持ってついて行く。次々とキャラが絡んでいく技術は、怪物王女・RIDEBACK(脚本)などにも使われている。
だが、オヨヨはブルドーザーで、たまごを襲う。建設車両での襲撃は、怪物くん(脚本)のアニメオリジナル場面にもある。年代も近い(怪物くんが先)。
てんやわんやの末、通知表は川に落ち、最終的に、たまごの手に戻るも、中身は水に濡れて消えてしまう。骨折り損な話は、ルパン三世2nd・新ど根性ガエル(脚本)にもある。
結果、ママは、悪い成績を見られたくなくて通知表の中身を消したのだと、たまごを叱る。たまごは事情を話すが、信じて貰えず泣く。ギャン泣き場面は、元祖天才バカボン(演出/コンテ)、ガイキング(演出)ほか多い。
結局イモを貰えなかったオヨヨは、うずらの頭をイモに見立てて、噛んだり舐めたりするのだった。ペロペロする場面は、宝島(演出)、はだしのゲン2(脚本)ほか結構ある。
- まとめ
アニメオリジナルということで、高屋敷氏が当時持てる引き出しを目一杯使っている。成績ネタで話を1本作るのは、ど根性ガエル(高屋敷氏演出参加)、忍者マン一平(同氏監督/脚本/コンテ参加)、ストロベリーパニック(同氏脚本陣)にもあるので、同氏の好みなのかもしれない。
あと、尺が短い(7分弱)ながらも、巻き込まれるキャラをどんどん増やしていったりする技術が光る。この技術は、じゃりン子チエ・怪物王女(高屋敷氏脚本陣)、RIDEBACK(同氏脚本/シリーズ構成陣)でも見事なものが見られる。
また、モンブラン、ひなぎくが成績優秀なことや、大判焼先生(たまごのクラスの担任)が、通知表を渡す時の、子供達の悲壮な顔を見るのが好きということなど、キャラの掘り下げにも余念がない。こちらも流石の手腕。
そして、目的のためなら、あの手この手の作戦実行を厭わないオヨヨのしつこさは、ルパン三世2nd(高屋敷氏演出/コンテ/脚本参加)のルパン、アンパンマン(同氏脚本参加)の、ばいきんまんに重なるものがあり、比較すると面白い。
とにかく、作戦や手段の細かさ・多様さは、色々な高屋敷氏担当作に見られるので、これはもう、同氏の好みと捉えていいのではないかと思う。やはり同氏は、綿密に計算された構成や話を組む傾向があり、それはギャグものでも変わらない。
これらの高屋敷氏の好みや傾向は、アカギ・カイジ・ワンナウツ(同氏シリーズ構成・脚本)でも如実に表れている。これらの作品での、作戦やプロットの複雑さは凄まじいものがあるが、同氏はそれを見事に捌いている。
高屋敷氏の、そういった「きっちり」さは、どんなに尺が短くても変わらないことが、本作を通して見えてくる。勿論、長いスパンのシリーズ構成作でも、「きっちり」さは変わらない。同氏は知略を好むが、「構成」を「作戦」に見立てて練るのかもしれない。