カイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんの軌跡

アニメカイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんに興味を持って調べてみたら、膨大な量の担当作があることがわかりましたので、出来る限り同氏担当作を追跡しています。discordアカウントは、まきも#3872 です。

陽だまりの樹8話脚本:創意工夫の蓄積

アニメ『陽だまりの樹』は、手塚治虫氏の漫画をアニメ化した作品。激動の幕末期を生きた、武士の万二郎と、蘭方医の良庵の物語。監督は杉井ギサブロー氏、シリーズ構成は浦畑達彦氏。

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  • 今回の話:

サブタイトル:「悲報と破門」

コンテ: 水草一馬氏、演出:増原光幸氏、脚本:高屋敷英夫氏。

万二郎は韮山反射炉を見学に行き、そこで福井藩明道館学監・橋本左内と出会う。
一方大阪の適塾で勉強中の良庵は、罪人の腑分け(解剖)を見たいと、お紺(良庵の知り合いの夜鷹)に頼まれる。

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下田で、アメリカ公使のハリスと、その通訳・ヒュースケンの警護に就く万二郎は、好奇心旺盛なヒュースケンに振り回される。
アニメは、原作のヒュースケンの女癖の悪さがカットされ好青年化している。F-エフ-(脚本)も、カットされた原作の性的要素の代替案が秀逸。

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ヒュースケンが煉瓦の山について不思議がっていると、万二郎が井上信濃守(下田奉行)に報告すると、井上は、その完成形が韮山にあるから見学に行けと万二郎に言う。ここは原作の点と点を繋ぎ、話のテンポをよくする補完が巧み。

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早速韮山に向かった万二郎は、通りすがりの旅人に、韮山までの距離を聞く。旅人は、韮山にはとにかく巨大なものがあると言う。ほぼ原作通りだが、アレンジもあり旅人の個性が際立つ。F-エフ-・おにいさまへ…(脚本)ほか、高屋敷氏はモブに存在感を持たせる。

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訝しみながら歩を進める万二郎は、巨大な炉(韮山反射炉)を見て驚嘆する。そしてそこで、韮山代官所の斎藤や、明道館(福井の藩校)学監・橋本左内と出会う。原作だと、橋本に対する万二郎の心象が描写されるが、アニメでは省かれ、見てわかるようになっており上手い。

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斎藤の案内で、万二郎と橋本は一緒に韮山反射炉を見学。その最中、いくら鉄を作っても、国内問題を解決しなければ外国の脅威に立ち向かえないと橋本は説く。
光の描写があるが、こういった表現はストロベリーパニック・F-エフ-(脚本)ほか、しばしば見られる。

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また、橋本は、藤田東湖(水戸学の第一人者)の名を口にする。同じく藤田から少し学んだことのある万二郎は喜び、橋本と意気投合。その夜、二人は温泉に入る。原作から色々カットがあるが、テンポよくまとまっている。

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橋本は、日本を中央集権にし現将軍・家定を退陣させるという案を説く。そしてこれは老中・阿部正弘が密かに進めていることだと言う。
アニメでは、話が明瞭化・簡略化している。
また、DAYS(脚本)や、ど根性ガエル(演出)ほか、高屋敷氏は風呂描写を強調する。

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温泉から上がると、橋本は万二郎に、また会おうと言う。万二郎は、色々と見透かしているような橋本を不思議に思う。
ここも原作からの取捨選択がよくできている。

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一方、大阪の適塾(蘭学者で医師の緒方洪庵が開いている塾)は、原田(良庵の先輩)の執刀で刑死者の腑分け(解剖)を行うことに。話の順序が原作と大幅に変わっているが、アニメを見ている分には違和感がない所が凄い。カット関連の細かい微調整も成されている。

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良庵が、腑分けをする刑場に向かっていると、お紺(良庵と縁がある夜鷹)が現れ、腑分けを見せてほしいと懇願。そして彼女は医学生に見えるよう男装する。ここも話の流れがスピーディーで、原作アレンジが小気味良い。

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何とか腑分けの場に入れた、お紺は、腑分け用の刑死者(首なし)の遺体にある傷を見てハッとなり、気分が悪くなる。原作だと、彼女は遺体の性器を見て察するが、アニメの代替案は無難かつわかりやすい。

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お紺は、遺体が自分の夫だと打ち明ける。
部外者を連れ込んだとして、良庵とお紺は腑分けの場から追い出される。お紺は、自分の夫は5年前蒸発したろくでなしだったが、罪人の似顔絵を見てピンと来たから腑分けを見たかったと打ち明ける。ここも原作が簡潔にまとまっている。

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夫を呪いながらも未練を捨てきれなかったお紺は、腑分け終了後、遺体の前で涙を流す。ここも台詞や場面の取捨選択のセンスがいい。また、背中で語るのは、グラゼニワンナウツ(脚本)ほかよくある。

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適塾に帰った良庵は、腑分けに部外者を連れ込んだ事を緒方から叱られ、破門の危機に。
だが緒方は、自分が訳したフーフェラントの内科学の書物の内容を全て覚えたなら破門を取り消すと良庵に言い渡す。
ここも話のテンポがよくなるよう、工夫されている。

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事情を聞いた福沢(福沢諭吉。良庵の先輩)は、自分が勉強を見てやるから、女絶ちの誓いを立てろ(破れば坊主)と良庵に提案し、良庵はそれに合意する。ここも色々と原作からのカットやアレンジが上手い。

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一方、韮山から下田に帰った万二郎は、江戸にいる父・千三郎が死去したと、井上から知らされショックを受ける。ここは原作と話の順序が大幅に違うが、うまく調整されている。

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その頃大阪では、福沢の指導のもと良庵が必死に勉強していた。ここで良庵の場面があるのはアニメオリジナル。また、火の描写は多い。カイジ2期・F-エフ-・おにいさまへ…コボちゃん(脚本)と比較。

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父の訃報を受け、実家のある江戸へ行くことが許された万二郎は馬に乗り、江戸へと急ぐ。その一方、良庵は破門を取り消してもらうべく勉学に励む。二人を交互に映し、時代のうねりを告げるナレーションが入るのはアニメオリジナルで、ここもよくできている。

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  • まとめ

 毎度のことながら、原作からどこをピックアップし、どこを削り、何を追加するのかのセンスがいい。密度の濃い原作をどう2クールに、1話22分弱の尺に落とし込むかの計算や工夫が凄まじい。

 原作だと、まず万二郎パートが延々と続き、それが一段落ついたら良庵パートに入るという流れなのだが、それをそのままアニメにすると、良庵パートがずっと後になって、視聴者が良庵パートを忘れてしまう。アニメは、よく二人を立てていると思う。

 何度か書いているが、キャラの掘り下げは高屋敷氏の十八番。今回も、主人公の万二郎・良庵をバランスよく立てつつ、橋本や、お紺のキャラも掘り下げている。また、モブへの愛情も深い。

 以前も書いたが、1980年版鉄腕アトム(高屋敷氏脚本参加)で、現場での手塚治虫氏の姿勢を目の当たりにしたであろう高屋敷氏は、「漫画の神様」の原作を変えることに躊躇がない。これは非常に大事なことと言える。

 勿論、身勝手なアニメオリジナルの入れすぎは破綻のもとだが、原作を変えすぎない(アニメ用に調整しない)のも問題がある。どちらにせよ媒体の違いを理解していないと、いい「アニメ作品」にはならない。

 原作が偉大だからといって、それを何も考えずアニメにすれば名作アニメになるほど、この世は簡単ではない。やはりそこは、力のあるスタッフの創意工夫が必要になってくる。本作は、そこに非常に恵まれていると言える。

 高屋敷氏は、原作を大胆に変えることも、原作に沿いながらアニメ独自の味を出すことも可能な、ハイブリッドタイプの作家。これは、同氏の膨大な経験から来るところも大きいのだろう。

 皮肉なことに手塚治虫氏の漫画は、映画要素を取り入れているのに、内容の密度が濃すぎて、そのままアニメにできない傾向がある。手塚治虫氏自身もそれを承知しており、自らの原作をアニメにする際、原作を大幅に変えることを厭わない(自身の手でもそれを行う)。

 そんな「手塚漫画のアニメのしにくさ」の生き証人でもある高屋敷氏が、(手塚治虫氏亡き後の)本作に脚本参加した意義は大きい。手塚治虫氏が生きていたならこうした、というような想像力も持ち合わせているのではないだろうか。

 日本アニメの発展に手塚治虫氏の存在は欠かせなかったわけだが、演出・作画と同じくらい、「日本アニメに沿ったアニメ用の脚本」の発展があって今日の日本アニメがある。そしてそれは、高屋敷氏含め多くの作家の尽力の賜物であり、やはりもっと評価されるべきである。