蒼天航路シリーズ構成:割りきれないもの
アニメ・蒼天航路は、同名漫画のアニメ化作品で、曹操の生涯を描く。高屋敷氏はシリーズ構成も務める。
監督は学級王ヤマザキや頭文字D4期などを監督した冨永恒雄氏。総監督は、バイファムやワタルなどのキャラクターデザインで有名な芦田豊雄氏。
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今回は、蒼天航路の「シリーズ構成」としての高屋敷氏の仕事を追う(つまり、シリーズ全体)。
蒼天航路についてのブログ記事一覧はこちら:
http://makimogpfb2.hatenablog.com/archive/category/%23%E8%92%BC%E5%A4%A9%E8%88%AA%E8%B7%AF
最終回(脚本は、ふでやすかずゆき氏)は、曹操と袁紹(えんしょう)の一大決戦について描かれ、袁紹軍の将、文醜(ぶんしゅう)と曹操との戦いが描かれる。
そして曹操軍は堰を決壊させ、文醜軍を壊滅させる。今回は高屋敷氏の直接脚本回ではないのだが、ルパン三世3期の高屋敷氏脚本の、火山湖を決壊させるシーンが重なる。
「まるで袁紹と同じだな、文醜。お前という人間を武と智で割れば、きれいに割り切れて残るものがない。
お前達には、心の闇がない。心の闇が無い者は確かに強い。
だが、俺以上に心の闇を持ち、俺を惹きつける者だけが、俺の全てを奪うことができるのだ。お前の負けだ、文醜。」
それを聞いた文醜は躊躇するも、曹操に斬りかかる。そんな文醜を、曹操は討つ。
曹操は、黄昏に佇み、剣を収める。
一方、曹操に、共に政治をやらないかと言われて迷い、「心の闇」が解放された関羽(現在、劉備や張飛と分かれ、曹操下にいる)は修羅と化していた。
そんな関羽に、張飛が挑む。それを劉備が止めようとするも、二人は斬り結び…
暗転、その後の彼等の活躍が文字で表される。
最後に、「破格の英雄曹操は 蒼天をー駆け抜けていく」という一文で、物語は締め括られる。
- シリーズ全体のまとめ
やはり私が11話についてのブログ記事で予想した通り、高屋敷氏の大きな特徴である、「善悪の区別は単純ではない」というテーマが構成の柱の一つになっている。
その証拠に、最終回のクライマックスにて曹操が「割りきれない心の闇」について語るシーンが大きく強調されている。
三国志の乱世においては、善悪の区別などつけてはいられない。そして、それぞれに大義があり、生きざまがある。また、複雑に人間模様や心理が絡み合う。
そんな世界を駆ける英傑達は、「割りきれないもの」を抱えていると言える。
あと、高屋敷氏の作品に頻出するテーマ、「自分とは何か」も、やはり浮き彫りになっている。曹操は、自分には単純に割りきることのできない「心の闇」があると自覚しており、それを受け入れている。また、それを上回る闇を持つ人間でなければ、自分から全てを奪うことができないと言う。
これは、曹操が「己を強く保つ」ことができる人間であるから出る言葉であろう。
「己を強く保て」というメッセージも、高屋敷氏は多くの作品で発している。
さらに、「自分の生き方は自分で決めろ」という、これまた高屋敷氏がよく出すメッセージも発せられている。蒼天航路は、自分の生き方を自分で決めることができる、強いキャラクターが多い。かつまた、高屋敷氏はそれをシリーズを通して強調してきた。
あと、以前も書いたが、男が将に、将が「龍」になるまでの「成長」も、シリーズを通して描かれたと思う。
高屋敷氏脚本の、まんが世界昔ばなし「きつねのさいばん」では、「義憤だけでは天下を取ることができない」、「天下を取るには、狡猾さや知略も必要」であると発している。
この物語の「きつね」は残虐なことも平気で行うが、知略に長け、周囲を丸め込む狡猾さを持っており、天下を取る。
一方、義を持ち、直情的な「おおかみ」は正々堂々、きつねに対決を挑むが、きつねの知略の前に敗れ、大怪我を負ってしまう。
こうして、きつねの天下になるわけであるが、ナレーションは「本当にこれでいいの?」と視聴者に問いかける。
上記を踏まえると、残虐で知略に長けるきつねが曹操、おおかみが「武と智で割り切ることができる」文醜、果ては文醜と同じタイプの人間である袁紹に見えて来るから面白い。
この構図は高屋敷氏が同じくシリーズ構成や脚本を務めたワンナウツでも適用されており、直情的で優等生であるプロ野球選手・児島が、裏社会で賭け野球をする渡久地(主人公)達を責めるが、渡久地は「言うことはかっこいいけど勝負を舐めてる」と言い返し、児島を負かしている(その後、リターンマッチで児島が勝つが)。
このように、過去作品にて出たテーマや要素が姿・形を変え新しい作品に、原作つきであろうとオリジナルであろうと受け継がれていくさまが、高屋敷氏の作品を追う上で非常に興味深く、かつまた戦慄を覚える点である。
脚本や演出内に高屋敷氏の特徴を見つけるのも面白いが、シリーズ構成ともなれば、同氏の発するテーマがシリーズ全体にのしかかっている。
めぞん一刻の最終シリーズ構成が、最終的に高屋敷氏の特徴まみれになっていることにも度肝を抜かれたが(こちらを参照)、未完だと思っていたアニメ版蒼天航路が、きっちりと高屋敷氏のテーマを大放出した上で終わっていることにも、大いに驚かされた。
そして、「シリーズ構成」としての高屋敷氏の計算力の高さに、脱帽するしかない。というか、恐ろしささえ感じる。アニメ版蒼天航路は、それを踏まえた上で再評価できる作品だった。
そして総監督の芦田豊雄氏が2011年に亡くなっているのが、悔やまれてならない。(総)監督やコンテ作としては、本作が遺作にあたる。それも込みで、アニメ版蒼天航路は、再評価されるべき作品であると私は思う。
- 補足
高屋敷氏の蒼天航路シリーズ構成についての考察ツイートのまとめ:
https://twitter.com/i/moments/961459000360427520
- まとめ2
もう少し考察してみると、曹操が言うところの、割りきることのできない「心の闇」、同じく高屋敷氏がシリーズ構成・脚本を務めたカイジやアカギでも表現されている。
アニメ版アカギのサブタイトルは「闇に舞い降りた天才」(原作は「闇に降り立った天才」)。アカギそのものが、何を考えているのか、どんな人間なのかがハッキリわからないキャラクターであり、その「割りきれない心の闇」は深く大きい。というか闇そのものである。これを踏まえると、サブタイトルに「闇」が使われていることが、かなり意味深に響いて来る。
1話にて、安岡さん(刑事だが、後にアカギのプロモーター的存在になる)はアカギの本質を暴こうとするが、最終話ではアカギの「闇」の深さに戦慄する。
アカギはアカギで、一旦鷲巣(ラストの対戦相手)の本質を暴いたと思っていたら、鷲巣の心に未知の領域があることを知り、命を賭けてでも鷲巣の本質を見るべく、対戦を続行する。原作では、その後も対戦は続く(なんと連載は約10年ほど、それに費やす)わけだが、アカギが鷲巣の本質を知ろうとした所で鷲巣戦を区切った所に、「割りきれない、人間の心の複雑さ」を描いて来た高屋敷氏の計算高さを感じる。
あと、何度か書いているが、アニメ版のアカギは「東京タワーが見守る中、一筒牌に始まり一筒牌に終わる」構成になっている。そこも、「もの言わぬものが意思を持っている」ことを描いてきた高屋敷氏らしい。
そしてカイジのシリーズ構成・脚本でも、蒼天航路と同じく、終盤にて「割りきれない心」の闇が描かれている。
Eカードにて、カイジは全身全霊をもって利根川を倒すが、後に利根川が焼き土下座の刑に処されるのを見て、涙を流す。ここの強調も「善悪の区別は単純ではない」という高屋敷氏のポリシーの表れであり、蒼天航路で言うところの「割りきれない心の闇」である。
それを踏まえると、終盤での兵藤会長とカイジのやり取りも意味深。
会長は、自分は「ギャンブルに脳を焼かれている」と吐露し、カイジが自分と同じタイプの人間であると、誘うように言う。
カイジはカイジで、会長の言うように、今後ギャンブルに脳を焼かれるようになるのだが、会長とは違う「未知の領域」がある。そこが、どんな事があっても義理人情を貫こうとしたり、利を蹴ってでも人を助けようとしたりする所。2期では、それが色濃く描かれるようになる。
こういった、人間の心の複雑さは高屋敷氏のあらゆる作品で強調されているが、あしたのジョー2脚本でも、それは出ている。丈もまた、何を考えているのか常人にはわからないキャラクター。高屋敷氏が、原作からして意見が分かれる最終回の脚本を書いたのも劇的。
そこを考えると、高屋敷氏の演出・脚本で「鏡」がよく出て来る事が面白い。真実や、真の姿を映すものとして使われているが、鏡には「人にはわからないもの」が「見えている」とも取れる。カイジでも、鏡が相当に強調されている。
ルーツは、演出参加した「エースをねらえ!」で、ヒロインのひろみが、よく鏡に映った自分に話しかけていた所あたりだろうか。
こうして振り返ってみると、高屋敷氏は永遠とも取れるテーマ、「人間の本質」について、あらゆる作品で何十年も取り組んでいると言える。
アニメ版蒼天航路を見たことで、高屋敷氏の投げかけるテーマの共通性が、また色濃くなった。繰り返しになるが、本当に、あらためて見てみてよかったと思う。