ガンバの冒険10話脚本:純粋な喜怒哀楽
アニメ・ガンバの冒険は、斎藤惇夫氏の児童小説をアニメ化した作品。凶悪なイタチ・ノロイと戦うべく立ち上がったガンバ達(ネズミ)の冒険を描く。監督は出崎統氏。今回の演出は出崎統氏で、脚本が高屋敷英夫氏。
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当ブログの、(本記事を含めた)ガンバの冒険の記事一覧:
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- 今回の話:
凶悪なイタチ・ノロイが支配する島を目指し航海を続けるガンバ達だったが、タンカーとニアミスし、ガンバが行方不明になってしまう。些細なことで仲違いした、他の仲間達は散り散りにガンバを探すことに…
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凶悪なイタチ・ノロイが支配する島を目指して航海をするガンバ達。幸い、先に立ち寄ったザクリ島で補給できたので、食糧は十分。食いしん坊のボーボ(ガンバの親友)は食糧を食べる。飯テロは高屋敷氏の定番。宝島(演出)、F-エフ-・グラゼニ(脚本)と比較。
一行は、ノロイのいる島(以下、ノロイ島)への地図を確認する。地図は、よく出てくる。宝島・空手バカ一代(演出)、ルパン三世2nd(脚本)と比較。
夜、月を見ながらシジン(医者兼詩人)は詩を考える。
高屋敷氏は、太陽や月に大きな役割を課す傾向がある。宝島(演出)、F-エフ-・はじめの一歩3期(脚本)と比較。
寝入る皆が描写されるが、幾組かペアで寝ている。キャラを立てるために二人組を描写するのは、RAINBOW-二舎六房の七人-(脚本)でも見られた。
シジンは酒を飲む。飯テロと同じく、美味しそうに酒(特にビール)を飲む描写も多い。グラゼニ・カイジ2期(脚本)と比較。
翌朝、「魔女の呪い」と呼ばれる、風と波が無い現象に見舞われて、イカダは進めなくなってしまう。ガンバは海面に顔を映して遊ぶ。鏡描写は多く、年月を経ると「真実を映すもの」として意味が深くなる。
おにいさまへ・グラゼニ・F-エフ-(脚本)と比較。
船を進めることが出来ないので、皆は歌ったり泳いだりして過ごす。無邪気で幼い描写は多々ある。元祖天才バカボン(演出/コンテ)、忍者戦士飛影(脚本)と比較。
平穏な時も束の間、タンカーとニアミスして、ガンバが行方不明になってしまう。忠太(ノロイ島の生き残り)はボーボに抱きついて泣く。泣く姿が幼いのも、しばしば見られる。コボちゃん(脚本)、元祖天才バカボン(演出/コンテ)、ど根性ガエル(演出)と比較。
そして、非常に些細な事で皆は喧嘩を始めてしまう。低レベルな幼い喧嘩も、要所要所で出る。宝島・ど根性ガエル(演出)と比較。
一方ガンバは身体に力が入らず、身動き取れずにいた。そんな彼の上にカモメが止まる。鳥演出は出崎統・哲氏兄弟の定番だが、高屋敷氏は一羽一羽に役割を課す傾向がある。ルパン三世2nd(演出/コンテ)、コボちゃん・おにいさまへ(脚本)と比較。
仲違いしたまま、皆は散り散りになってガンバを探すことに。こんな状態でもボーボは食べ物を食べる。おいしそうに何かを食べる描写は、高屋敷氏担当作にはつきもの。あんみつ姫・RAINBOW-二舎六房の七人-・DAYS(脚本)と比較。
ここで、空に飛行機が飛ぶ。凝った飛行機描写は出崎統氏の特徴なわけだが、不思議なことに高屋敷氏の「脚本」作でも、こういった飛行機描写が出ることがある。太陽の使者鉄人28号(脚本)と比較。
時は夕刻になり、夕陽が海に映える。夕陽は出崎統・哲氏兄弟の大きな特徴で、その強い影響下にある高屋敷氏も、夕陽をはじめとした太陽に並々ならぬ拘りを見せる。宝島(演出)、じゃりン子チエ(脚本)と比較。
その頃ガンバは、飛行機雲に皆の姿を重ねていた。意味深な雲もまた、色々な作品に見られる。チエちゃん奮戦記・グラゼニ(脚本)と比較。
画像が用意できないが、まんが世界昔ばなし『三びきの子ぶた』(演出/コンテ)にも、雲で空想する場面がある。
夜で何も見えないため、一旦皆はガンバ捜索を中断して集まる。ボーボは、ご飯を食べようと提案して皆に食べ物を配る。精神と食の関係も、高屋敷氏は強調する。おにいさまへ・グラゼニ・カイジ2期(脚本)と比較。
食事の席にガンバがいない事で、あらためて皆は寂しくなる。イカサマ(博徒)は強がって食事を続け、食べかすで五のゾロ目を出す。厳しい状況下での食事もまた、高屋敷氏は重要視する。宝島(演出)・はだしのゲン2(脚本)と比較。
すると、雲間から月が顔を出す。月光のおかげで、皆はガンバ捜索を再開する。ここでも、月に大きな役割がある。蒼天航路(脚本)、ベルサイユのばら(コンテ)、めぞん一刻(脚本)と比較。
ガンバはというと、イルカに助けられており、シジンと合流する。二人は抱き合って喜ぶ。無邪気で微笑ましい友情描写は、よくある。グラゼニ・F-エフ-(脚本)と比較。
ガンバの不調は尻尾の捻挫によるもので、シジンの治療で治る。
ガンバは皆と再会。喜ぶイカサマはサイコロを投げ、幸運の証であるピンゾロを出す。後にカイジ2期(脚本)で、原作通りだがピンゾロがキーとなるのは縁を感じる。
ノロイ島への目印・テング岩に着いたガンバ達はイルカに礼を言って別れる。太陽に何かが映える画は、出崎統氏が得意とするが、高屋敷氏の演出作・脚本作にも不思議とある。忍者戦士飛影(脚本)、ルパン三世2nd(演出/コンテ)、空手バカ一代(演出)と比較。このうち、空手バカ一代は出崎統氏のコンテ。
口調がイルカっぽくなってしまったガンバを、シジンは「イルカと仲良くなりすぎ病」と診断。ガンバの立派なデベソに皆は笑い合う。皆が喜んだり笑い合ったりする姿が可愛いのは、多くの作品で印象的。ワンナウツ・DAYS(脚本)、ど根性ガエル(演出)、カイジ2期(脚本)と比較。
絆をより強くした皆は、旅を再開するのだった。
- まとめ
まず目を引くのが、大きな役割を持つ「月」。詩の題材になったり、月光でガンバの捜索を手助けするなど、とにかく「活躍」している。脚本作としては、比較的初期にあたる本作でも「月」が目立っているのを確認できたのは収穫だった。
先頃特集したRAINBOW-二舎六房の七人-*1(高屋敷氏シリーズ構成・脚本)では、七人のレギュラーを見事に捌いていたが、その基本形を本作に見た気がする(本作もレギュラーが七名)。高屋敷氏は、キャラの掘り下げ方が上手いが、数十年に渡り培った技術なのがわかる。
ある意味極限の状況下で、食事をする場面を強調するのが、なんとも高屋敷氏らしい。こちらも、演出作・脚本作ともに如実に表れる同氏の特徴。これが本作でも早速表れているのが面白い。
遊んだり、喧嘩したり、泣いたり笑い合ったりの幼さ・無邪気さが本作でも表れていたのも収穫。今回の直前は、ザクリ島のリーダー・クリーク(リス)の戦死が描かれ重いのだが、今回は比較的明るく、良い対比になっている。
救済されるにしろ、されないにしろ、高屋敷氏は「孤独」を描く。今回は孤独救済タイプの話。また、あらゆる作品にある「皆がいるから自分がいる、自分がいるから皆がいる」も強く表れており、同氏の思いが感じられる。
考えてみれば、高屋敷氏はキャラクターの喜怒哀楽を比較的「純粋」に表す(故に、作品によっては幼い)。思い起こせば、カイジ(シリーズ構成・脚本)でもキャラクター(特にカイジ)の涙は純粋な印象を受ける。
こういった所も、同氏の持ち味かもしれない。
そういった「無邪気さ・純粋さ」がキャラや話に深みを与えている場合もある。高屋敷氏の「キャラの掘り下げの上手さ」の秘訣は、キャラの奥底にある純粋さを引き出す事(泣いたり笑ったり)にもあるのではないか…と考えさせられた。
*1:当ブログの、RAINBOW-二舎六房の七人-に関する記事一覧: http://makimogpfb2.hatenablog.com/archive/category/%23%E4%BA%8C%E8%88%8E%E5%85%AD%E6%88%BF%E3%81%AE%E4%B8%83%E4%BA%BA