RIDEBACK3話脚本:重なるアップデート
アニメ『RIDEBACK』は、カサハラテツロー氏の漫画をアニメ化した作品。
元ダンサー・尾形琳を中心に、人型可変ビークル“ライドバック”を巡る混乱を描く。監督は高橋敦史氏で、シリーズ構成が高屋敷英夫氏・飯塚健氏。
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本記事を含めた、当ブログのRIDEBACKに関する記事一覧:
https://makimogpfb2.hatenablog.com/archive/category/%23RIDEBACK
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- 今回の話:
コンテ:もりたけし氏、演出: 山岡実氏、脚本:高屋敷英夫氏。
琳は、ライドバック(可変人型ビークル)全国大会に、珠代(ライドバック部3年生)と共に参戦する。
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冒頭、武蔵野文芸大学ライドバック(可変人型ビークル)部のガレージにて、すずり(ライドバック部1年生)が、ライドバック“バロン”に試乗する(アニメオリジナル)。彼女のコミカルさは、やはりF-エフ-(脚本)の岸田を彷彿とさせる。
琳と相性のいいライドバック・フェーゴは規格外のため、琳はバロンで全国大会に出ることに。珠代(ライドバック部3年生)は琳に手袋をプレゼントする(アニメオリジナル)。F-エフ-(脚本)で主人公がライバルから手袋を託される場面があるが、そのオマージュ的。
ライドバック全国大会当日。点灯していないシグナルが映るが、状況と連動するライトや信号の描写はよくある。
おにいさまへ…・グラゼニ・カイジ2期(脚本)と比較。
しょう子(琳の親友)は、ライドバック部の皆にケーキを差し入れる(アニメオリジナル)。飯テロは頻出。ストロベリーパニック・アンパンマン・おにいさまへ…・怪物くん(脚本)と比較。
前回大会の優勝者かつ、父が政治家・兄が警察幹部のため、珠代はマスコミの取材を受ける(アニメオリジナル)。F-エフ-(脚本)でも、聖(主人公のライバル)がマスコミの取材を受けるアニメオリジナル場面がある。
すずりは珠代の父(南風)の顔を思い出して、悪人顔だと口にしてしまい、しょう子にたしなめられる(アニメオリジナル)。子供っぽくコミカルな所作は、エースをねらえ!(演出)、ワンナウツ・ガンバの冒険(脚本)ほか多くの作品で見られる。
予選で、琳の調子が良くないため、菱田(ライドバック部2年生)は河合(ライドバック部3年生)と共にバロンのセッティングを見直す。
何気に仲良さそうな仕草は、色々な作品で目を引く。MASTERキートン・あしたのジョー2・グラゼニ(脚本)と比較。
決勝前、琳はコンセントレーションを高める。しょう子は、(琳がかつてやっていた)バレエの舞台前と同じような状態であると察する(アニメオリジナル)。F-エフ-(脚本)でも、軍馬がコンセントレーションを高めるアニメオリジナル場面がある。
スタート直前、美しい自然が映る。自然の描写による「間」は、数々の作品に見られる。めぞん一刻・F-エフ-(脚本)と比較。
一方、琳の弟の堅司は、(ライドバックのファンであるため)授業中にこっそりライドバック全国大会を見る。その最中に当てられ、彼は慌てる。劣等生ぶりが、新ど根性ガエル(脚本)のひろしっぽい。
決勝直前、(フェーゴに近づけるため)ACSというサスペンション自動制御をオフにする整備を菱田が行ったおかげか、琳は順位を着々と上げ、すずりとしょう子は歓声を上げる(アニメオリジナル)。アニメオリジナルの観客描写は、あしたのジョー2(脚本)も上手い。
琳の追い上げに実況アナが興奮し、琳の名前を言う直前に、堅司はイヤホンを先生に取り上げられる(姉が出ているとわからずじまい)。やはりここも雰囲気が、新ど根性ガエル(脚本)っぽい。
4位まで順位を上げた所で、バロンはエンジンブローし、琳はリタイア。優勝は珠代となる。
琳は「ごめんね」とバロンを労る(アニメオリジナル)。魂あるものとして機械を労る姿勢は、1980年版鉄腕アトム(脚本)にも見られる。
夜、ライドバック部は武蔵野文芸大学に戻り打ち上げをする。月が映るが、印象的な月の描写は実に多い。F-エフ-・おにいさまへ…・ガンバの冒険(脚本)と比較。
フェーゴに乗って散歩する琳に、岡倉(ライドバック部顧問)は、初めてフェーゴに乗って大ジャンプしたときの心境を問う。琳は、何故かフェーゴを信じられたと答える(アニメオリジナル)。太陽の使者鉄人28号・1980年版鉄腕アトム(脚本)でも、機械への高屋敷氏の姿勢が見える。
琳はフェーゴでの散歩を続け、月をバックにジャンプするのだった。ここもやはり、全てを見ているような月の描写が印象的。
はじめの一歩3期・F-エフ-(脚本)と比較。
- まとめ
毎回驚かされるが、話の密度が濃い。あと、全国大会に出るというコンセプト以外はアニメオリジナルが多いのだが、それがよくまとまっていて、わかりやすくなっている。
原作の全国大会は、色々な思惑を持った武装勢力の襲撃にあって、途中で中止となるが、アニメでは無事に大会を終えている。F-エフ-(シリーズ構成・全話脚本)でもそうだったが、原作と似た、ifの世界の構築に成功している。
後に起こる、とある悲劇は原作通りで回避できないものの、様々なキャラが、原作と似たifの世界で躍動する構成は、やはり高屋敷氏の熟練の手腕が感じられる。
この手腕は、おにいさまへ…(脚本・シリーズ構成陣)でも発揮されている。
おにいさまへ…(脚本・シリーズ構成陣)では、とあるキャラの死に方を原作から大きく変えたり、とあるキャラの掘り下げを深く行ったりと、大胆な事が行われていたが、本作もそれに近い事が成されていると思う。
なぜそれをやるかといえば、以前も書いたが、アニメで流れる時間と、原作で流れる時間の違いのためと考えられる。
本作は1クールのため、それなりに原作をコンパクトにしなければならない。
しかしながら、原作を順番になぞるだけでは冗長に、はしょるだけではダイジェストになってしまう。そう思うと、原作つきアニメの脚本・シリーズ構成は非常に難しく、技術を要するものなのではないだろうか。
本作の場合は、コンパクトなシリーズにするために原作を一旦バラしてから再構築している。シリーズ全体はコンパクトでも、1話1話の密度が濃いという技術は流石。
原作と全然違うという批判は受けやすいが、アニメというものを考えた構成に見える。
高屋敷氏は、「原作があるものをアニメにする」ということについて、何十年も真摯に向き合っている。原作を激しく改変する出崎統監督とも、原作に忠実な高畑勲監督とも仕事している。それは非常に貴重な経験と言える。
そういった貴重な経験を、高屋敷氏は目の前の最新作に全力で活かす。
だから、時折ゾクッとするくらいに過去作に似た場面が出てくる。
そこがやはり同氏担当作を追っていて面白い。
高屋敷氏は、経験に「すがる」のではなく、経験を「活かす」。要はアップデートを重ねるので、「最新作が過去作に劣る」という感覚は殆どない。現時点での最新作であるグラゼニ(シリーズ構成・全話脚本)でも、同氏の技術の最新アップデートが見られる。
常に最新作に全力投球する高屋敷氏の姿勢には、いつも感銘を受ける。本作もまた、当時持てる全経験を活かして仕事をしていることが、毎回感じ取れて驚かされている。