カイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんの軌跡

アニメカイジのシリーズ構成・高屋敷英夫さんに興味を持って調べてみたら、膨大な量の担当作があることがわかりましたので、出来る限り同氏担当作を追跡しています。discordアカウントは、まきも#3872 です。

家なき子15話演出:表現者

アニメ『家なき子』はエクトール・アンリ・マロ作の児童文学作品をアニメ化した作品。過酷な運命のもと旅をする少年・レミの成長を描く。
総監督は出崎統氏。

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本記事を含めた、当ブログの家なき子に関する記事一覧:

https://makimogpfb2.hatenablog.com/archive/category/%23%E5%AE%B6%E3%81%AA%E3%81%8D%E5%AD%90

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  • 今回の話:

サブタイトル:「しあわせな船旅」

脚本:杉江慧子氏、コンテ:出崎統監督、演出:高屋敷英夫氏。

ビタリス(レミの芸の師匠)が刑務所に入っている間、レミは富豪のミリガン夫人と、その病弱な息子アーサーと知り合い、貴重で楽しい日々を過ごす。

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刑務所の中で、ビタリス(レミの芸の師匠)は、ミリガン夫人(富豪)からの、レミを保護している旨の手紙を読む。
光が射し込む描写は、よく見られる。まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)、ストロベリーパニック(脚本)と比較。

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手紙の中で、白鳥号(ミリガン夫人の船)の様子が描写されるが、アーサー(ミリガン夫人の息子。病弱)の明るい笑顔が映る。高屋敷氏は、笑顔を重視する。あんみつ姫ストロベリーパニック(脚本)と比較。

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白鳥号での楽しげなレミ達の様子を想像し、ビタリスは笑う。同室の者は、ビタリスから話を聞いてもらい泣きする。
あしたのジョー2・めぞん一刻(脚本)ほか、個性的なモブは色々な作品で印象に残る。

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場面は白鳥号に移り、ミリガン夫人の使用人達の描写がある。
やさしく善良な脇役は、おにいさまへ…(脚本)や宝島(演出)などでも光る。

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レミは、大きな川魚を見てはしゃぐ。
宝島(演出)、あんみつ姫(脚本)ほか、子供の無邪気な描写は、高屋敷氏の得意とするところ。

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アラン(ミリガン夫人の執事)は、あまり騒ぐとアーサーが昼寝から起きてしまうと慌てる。
かわいい中高年キャラもまた、よく出る。宝島(演出)、あしたのジョー2(脚本)と比較。

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レミ、アラン、ポール(水夫)は、大きな魚を捕まえようとするが、取り逃がしてしまう。ここも無邪気で微笑ましい表現が秀逸。宝島(演出)、あしたのジョー2(脚本)と比較。

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レミ達の騒動を見て、アーサーとミリガン夫人は笑い出す。やはりキャラの笑顔を大事にしている。RAINBOW-二舎六房の七人-・おにいさまへ…(脚本)と比較。

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その後レミは、皆で食事ができる幸せを噛みしめる。皆で食事をすることの大切さは、ワンダービートSアンパンマン(脚本)など、数々の作品で主張されている。

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太陽が映るが、こういった太陽の「間」は多い。あしたのジョー2・ワンナウツ・F-エフ-(脚本)と比較。

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レミは、カピ(ビタリス一座の犬。賢い)が時間を当てるという芸を披露し、白鳥号の皆は盛り上がる。キャラ達の朗らかな様子は、色々な作品で目立つ。あしたのジョー2・おにいさまへ…(脚本)と比較。

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白鳥号がミディ運河を下り、南仏カルカソンヌに着いた頃、ミリガン夫人は厳しくアーサーに勉強を教える。手による感情表現は頻出。DAYS・コボちゃん(脚本)と比較。

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ミリガン夫人の厳格な一面に、レミはビタリスを重ねる。表情で「間」を作るのは、脚本でもしばしば見られる。DAYS・陽だまりの樹(脚本)と比較。

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レミ達はカルカソンヌの街や城を見学する。アーチを使った構図がルパン三世2nd(演出/コンテ)、ベルサイユのばら(コンテ)と重なるのが面白い。

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レミはつい、車椅子のアーサーが来れない高所からアーサーを呼んでしまい、アーサーを不機嫌にさせる。ショックを受ける描写は、RAINBOW-二舎六房の七人-・おにいさまへ…(脚本)ほかインパクトがある。

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帰りの馬車の中で、レミとアーサーは気まずい雰囲気になる。馬車が走る絵面がベルサイユのばら(コンテ)、まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)と重なる。

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夜、アーサーは、レミが遊んでいるのに、なぜ自分だけ勉強しなければいけないのかとミリガン夫人に愚痴る。ここも表情の「間」が意味深。F-エフ-・カイジ(脚本)と比較。

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翌朝、レミは馬飼いのダニエルを手伝う。ここも所作が子供らしい。じゃりン子チエ(脚本)、ど根性ガエル(演出)と比較。

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寝室のアーサーの様子が映るが、ここも光の射し込みが印象的。まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)、RAINBOW-二舎六房の七人-・F-エフ-(脚本)と比較。

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その後、アーサーの勉強中にジョリクール(ビタリス一座の猿)が騒いでしまい、アーサーは苛つく。ここも芝居づけが幼い。宝島(演出)、DAYS(脚本)と比較。

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レミに八つ当たりしたアーサーを、ミリガン夫人は叱る。
怒り方が、カイジ2期や陽だまりの樹などの脚本作とも重なるものがある。

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ミリガン夫人は、レミに謝るまで相手をしないとして、アーサーに一人で勉強させる。鳥が映るが、鳥は頻出。柔道讃歌(コンテ)、宝島(演出)、RAINBOW-二舎六房の七人-(脚本)と比較。

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アーサーは本を音読するうち眠ってしまい、本を落とす。ここも、手による感情表現。ストロベリーパニック・RAINBOW-二舎六房の七人-(脚本)と比較。

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レミは本を拾い、眠るアーサーに本を音読し始める。無邪気な寝顔の表現は、様々な作品に見られる。陽だまりの樹・F-エフ-(脚本)と比較。

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レミの読む話のイメージで、かわいい狼が出るが、個性的な狼はよく出る。マイメロディ赤ずきん(脚本)、まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)と比較。

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目覚めたアーサーと、レミはしばし見つめ合う。ここも表情の「間」。ストロベリーパニック(脚本)と比較。

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アーサーは、レミに謝る。キャラとキャラの心が通うのを描写するのは、めぞん一刻(脚本)などでも丁寧。

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アーサーはレミの音読を褒め、もっと話を読んでとせがむ。やはりここも、心の通い合いの描写が良く、それはDAYS(脚本)でも発揮されている。

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そしてレミは、初めて蒸気機関車を目にするのだった。1980年版鉄腕アトム(脚本)では、AI制御のSLが出るし、ルパン三世2nd(演出/コンテ)では列車を使ったギミックが出るので、高屋敷氏は列車に縁がある。

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  • まとめ

 家なき子、宝島といった高屋敷氏の演出作は、全体的にキャラが幼く可愛らしく、朗らかであるといった傾向があり、割と苦み走った印象がある出崎統監督の作風と大分違う。

 これは私が最初に気付いた高屋敷氏の作風であり、かなり突出したものであると思う。とにかく出崎統監督の一般的なイメージの対極にあると言ってもいいもので、大いに驚かされた。

 特に、キャラの笑顔が印象深い。これは高屋敷氏の脚本作にも言えることで、とにかく「笑う」ことは大事なことなのだと、あらゆる作品で主張されており、同氏の強い意志を感じる。

 あとあらためて見てみて気付いたのは、表情の「間」だ。不思議とそれは(絵に関与できないはずの)脚本作にも出ており、台詞に頼らない芝居づけの姿勢が出ている。

 このような(台詞に頼らない)姿勢を脚本作でも発揮できるのは、演出経験も豊富な高屋敷氏の強み。他にも同氏は、太陽や月、自然、静物などでふんだんに「間」を作る傾向があり、比較すると面白い。

 つくづく思うが、高屋敷氏は演出でも脚本でも、やっていること、表現したいこと、主張したいことが一緒であり、その手腕と個性にはいつも唸らされる。
これは並大抵のことではない。

 演出か脚本かといったことは、高屋敷氏にとっては表現方法の違いに過ぎないということなのかもしれない。それにしても、あらためて演出と脚本の境界がわからなくなってくる。

 高屋敷氏が半世紀近くアニメに携わってきたのは、やはり自身が「表現」したいものが相当に強いのもあるのではないだろうか。演出家、脚本家という前に「表現者」と言える。

 一方で、出崎統監督は長年、竹内啓雄氏・高屋敷氏の二人の個性の「突出」を押さえつけることも、統一を図ることもしていないのが意外なことである。

 出崎統監督こそ、個性の塊であり、一般的には作品を自分色に染めると思われがちだが、マッドハウスに属していた時代は、本当に各演出の個性を尊重しているように見受けられる。

 それ(高屋敷・竹内両氏の個性)が最もいびつに出ているのはマッドハウス初期作のエースをねらえ!(出崎統監督作)であり、本作はその時分より洗練されているが、やはり両氏の個性は目立つ。

 両氏の個性が強すぎたから自然とそうなったのかもしれないが、スタッフの個性を剥き出しにしたままにする、出崎統監督の意外な一面を知ることができるのもまた、本作の醍醐味。今後も注目していきたい。