まんが世界昔ばなし45B話脚本:息づくもの
『まんが世界昔ばなし』は、1976年~1979年まで放映されたテレビアニメ。タイトル通り、世界の童話をアニメ化した作品。
今回は、ゲーテ原作の『きつねのさいばん』。脚本が高屋敷英夫氏で、演出/コンテが青木悠三氏。
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- 今回の話:
今回は、ゲーテ原作の『きつねのさいばん』。残忍非道で狡猾な狐・ライネッケ(一般的な表記はライネケ)は、その知恵をもって勝者となる。
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冒頭、狐のライネッケが次々とひよこを食べてしまう場面でカラスが鳴く。不吉を知らせたり、状況と連動したりするカラスの描写はよく見られる。F-エフ-・カイジ(脚本)、宝島(演出)、陽だまりの樹(脚本)と比較。
ライネッケに我が子を数羽食べられてしまった鶏は、泣きながらそれを他の動物達に報告する。幼い泣き方をするキャラは色々な作品に出る。元祖天才バカボン(演出/コンテ)、ガンバの冒険(脚本)、ど根性ガエル(演出)と比較。
鶏の話を聞いたヤギは、自分もライネッケに角を折られたと話す。味のある年寄りは、宝島(演出)、あんみつ姫・はだしのゲン2(脚本)ほか、数々の作品で印象に残る。
非道なライネッケは、裁判にかけられることに。だが、彼を呼びに行った熊のブラウンは、蜂蜜の情報に釣られてしまう。
食いしん坊描写は多い。ハローキティのおやゆびひめ(脚本)、宝島・ど根性ガエル(演出)、グラゼニ(脚本)と比較。
ライネッケは、割れた木の奥に蜂蜜があるとブラウンを騙し、仕掛けを使って木に挟む。ど根性ガエル(演出)では、トラップに次ぐトラップを仕掛けて敵を窮地に追い込む回があり、それを彷彿とさせる。
自身の頭脳に自信があるライネッケは、裁判を受ける。彼は、被害者達の訴えを口八丁で退けていく。RAINBOW-二舎六房の七人-(脚本)では、悪逆非道だが頭がまわる敵達が、非常に手強く描写されており、それが重なってくる。
裁判は膠着し、夕方になる。全てを見ているような夕陽は定番。おにいさまへ…・RAINBOW-二舎六房の七人-・忍者戦士飛影(脚本)と比較。
ライネッケの提言により、彼と狼との決闘で決着をつけることに。
決闘が始まると、あらかじめ体に油を塗ったライネッケに、狼は苦戦する。
1980年版鉄腕アトム・ワンナウツ(脚本)では、義憤だけでは手痛い目にあうという事が描かれており、それを想起させる。
なんとか狼はライネッケを押さえ込むが、彼は取引を持ちかける振りをして、狼に目潰しをかます。
ワンナウツ・カイジ・カイジ2期(脚本)でも、主義主張はどうあれ、知力に秀でる者が勝つことが強調されている。
敗北した狼は、皆に見放されてしまう。何らかの事情で孤独になってしまうのは、F-エフ-・はじめの一歩3期(脚本)でも描かれている。救済されるにしろ、されないにしろ、高屋敷氏は「孤独」を強く描く。
傷だらけの狼は、これからはライネッケのずる賢さに騙されないようにしよう、と思うのだった。
一方、はじめの一歩3期(脚本)では、孤独だった沢村(一歩の対戦相手)が、試合後傷だらけになるが、少し孤独が救済された描写がある。
その後、ライネッケは王様に取り入り出世。「ほんとにこれでいいのかしらねえ?」というナレーションで締め括られる。時に非情で邪道でも、知力で無双するキャラは、ワンナウツ・アカギ・蒼天航路(シリーズ構成・脚本)でも前面に出ている。
- まとめ
主義主張はどうあれ、「知」が伴っていないと勝負事には勝てない…は、アカギ・カイジ・ワンナウツ(シリーズ構成・脚本)でも強烈に前面に出ている要素。特にアカギは、原作もアニメも、アカギがピカロ(悪漢)だという主張がある。
ど根性ガエル19B話(演出)は、宿敵・ゴリライモに敗北した主人公・ひろしが、知略に次ぐ知略でリベンジを果たす話なのだが、この「知略を持って勝負に挑め」は、アカギ・カイジ(シリーズ構成・脚本)はじめ非常に多くの作品で息づいている。
知略をもって勝負に勝つのが主人公側なら痛快だが、今回は何とも残酷な結末。「ほんとにこれでいいのかしらねえ?」というナレーションは、更なる知略でリベンジしろ、というフォローとも取れる。
実際、知略で負けた相手に、更なる知略でリベンジするのは、カイジ(シリーズ構成・脚本)では定番の展開。
まるでカイジが、今回の狼の代わりに(知略で)ライネッケ(のような敵)にリベンジしたかのように見えて来て面白い。
今回の原作は、「世間の成り立ちは、ずっとこのようなものである」を言わんとする、痛烈な風刺話だが、カイジは原作もアニメ(シリーズ構成・脚本)も、この世の成り立ちについての悟りと苦悩、そして抵抗が描かれており興味深い。
この「抵抗」および「どのように抵抗するか」がカイジは原作もアニメ(シリーズ構成・脚本)も具体的で、それがカタルシスを生む。そのあたりが青年漫画・アニメらしい熱さに溢れており、スパイスになっている。
一方、ライネッケをかっこよくしたようなキャラが主人公ならどうか?というのがアカギ・ワンナウツ(アニメは高屋敷氏シリーズ構成・脚本)と言える。アカギも、ワンナウツの渡久地も、味方にいたら頼もしいが、もし敵になれば恐ろしい主人公である。
そんな「ライネッケ的」な主人公の場合は、善悪のラインを明確にしないという、高屋敷氏がよく出すポリシーが感じられる。
少なくとも同氏は、人間の色々な側面を描きたいと、宝島のロマンアルバムでコメントしている。
本当にこれでいいのか、と問う締めくくり方は、高屋敷氏が原作に「熱さ」をプラスする傾向が剥き出しの形で出ているとも取れる。先述の通り、(更なる知力での)リベンジを、狼や視聴者に促している。
この「プラスされた熱さ」だが、アニメ版グラゼニ(シリーズ構成・全話脚本)でもよく出ている。作品の端々、そしてエピローグにて、主人公である夏之介の「熱さ」を、アニメオリジナルを入れて強調している。
善悪がハッキリしない世の中において、頭が切れる方が勝者だとしたら、「あなた」が「知恵を持つ者」になればいい──という、原作には無い「熱さ」を最後のナレーションの一言で感じさせるのは、凄いことなのではないだろうか。
アニメ版グラゼニ(シリーズ構成・全話脚本)では、原作に一言加えたり、語尾を少し変えたりするだけで主人公に「熱さ」を加えており、話の大筋は原作に忠実なのに、水面下で原作クラッシュが行われているとも言える出来になっている。
善悪問わず知恵を持つ者が勝者だとしながらも、なら主人公や「あなた」がそうなり、勝てというメッセージは、アニメ版カイジ(シリーズ構成・脚本)ほか色々な担当作に息づいているわけで、高屋敷氏の「熱い」側面も感じられる回だった。