家なき子19話演出:悲劇の前の癒し
アニメ『家なき子』はエクトール・アンリ・マロ作の児童文学作品をアニメ化した作品。過酷な運命のもと旅をする少年・レミの成長を描く。
総監督は出崎統氏。
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本記事を含めた、当ブログの家なき子に関する記事一覧:
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- 今回の話:
サブタイトル:「猛吹雪の中で…」
セーヌ河沿いにパリを目指して北上するレミ達。道中、親切な人に会えたりしたが、恐ろしい冬が迫ってくる。
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パリを目指しながらセーヌ河沿いを北上するビタリス(レミの芸の師匠)一座は、興行で日銭を稼ぐ。
高屋敷氏の演出やコンテは、モブが朗らか(脚本でも同様の傾向)。
ど根性ガエル(演出)、ベルサイユのばら(コンテ)と比較。
夜、寒くなってきて、くしゃみをしたレミは、ビタリスを心配させないよう、元気な所を見せる。子供らしい無邪気な所作は、多く見られる。
柔道讃歌(コンテ)、ど根性ガエル(演出)と比較。
ビタリスは、少しは暖かくなるよう、レミの首に布を巻く。
キャラが、優しい手つきで思いやりのある行動をする場面は結構ある。はだしのゲン2(脚本)、宝島(演出)と比較。
次にビタリスは、レミに帽子をしっかりかぶせる。ここも優しい手つき。
ストロベリーパニック・チエちゃん奮戦記(脚本)と比較。
翌日の興行の途中、ビタリスが咳き込んでしまうが、レミとジョリクール(ビタリス一座の猿)はアドリブでそれをカバーする。
コミカルな芝居づけは、色々な作品で目立つ。ガイキング(演出)、まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)と比較。
レミとジョリクールのナイスアドリブで、興行は成功し、客は喝采。ここもモブが朗らか。
ワンナウツ・ストロベリーパニック・あしたのジョー2(脚本)と比較。
明らかに体調が悪くなりつつあるビタリスを見守るように、マリア像が映る。像による意味深な「間」は多々ある。
カイジ2期・ストロベリーパニック(脚本)、空手バカ一代(演出)と比較。
そして、鳥が飛ぶ。状況と連動する鳥の描写はよく出る。らんま1/2・おにいさまへ…(脚本)、柔道讃歌(コンテ)と比較。
夜、宿にてビタリスはレミに、アドリブの礼を言い、レミは、ジョリクールの機転のおかげだと返す。
動物との微笑ましいやりとりも、様々な作品で目を引く。めぞん一刻(脚本)、ど根性ガエル(演出)と比較。
次の場面も、レミとジョリクールの無邪気なやりとりが続く。ここもキャラの可愛さや幼さを引き出すのが上手い。
じゃりン子チエ・あしたのジョー2(脚本)と比較。
ビタリスはレミを連れて古着屋に行き、毛皮のベストを買ってあげる。レミは大喜びし駆け回る。ここも子供らしい芝居づけ。ガイキング・宝島(演出)と比較。
レミはベストを枕元に置いて眠る。
思いの込められた物を持つ手のクローズアップは、数々の作品にある。
DAYS・あしたのジョー2・F-エフ-(脚本)と比較。
翌日、再びパリに向かい旅を続けるビタリス達だったが、天気雨が降ってくる。意味深な天気雨の描写は、RAINBOW-二舎六房の七人-・おにいさまへ…(脚本)にも出てくる。
橋の下で雨宿りしながら、レミはまだ見ぬパリを思って歌う。
雨による情緒は、様々な作品に見られる。あしたのジョー2(脚本)、空手バカ一代(演出/コンテ)と比較。
ビタリスもまた、美しい歌声を披露する。橋が映るが、橋は色々な作品で出るので興味深い。めぞん一刻(脚本)、宝島(演出)と比較。
道すがら、冬が早めに来そうだと農夫達が話しているのを、ビタリス達は耳にする。味のあるモブは多くの作品で印象に残る。トンデケマン・ストロベリーパニック・F-エフ-(脚本)と比較。
冬への不安を抱えながら、ビタリス達は風車小屋で暖を取る。
火の描写も数多い。あしたのジョー2(脚本)、ど根性ガエル(演出)と比較。
列車の音を聞きながら、明日が寒くならないようレミは祈る。列車や電車で場を繋ぐ表現は、しばしばある。めぞん一刻・おにいさまへ…(脚本)と比較。
翌日。農家の少女・ミレーヌは、家畜の鳥を散歩させるが、鳥からバカにされる。ここも可愛く幼い描写が秀逸。
宝島(演出)、マイメロディの赤ずきん(脚本)と比較。
その後ミレーヌは、井戸を探しているビタリス達に会い、彼らに自宅の井戸を貸す。ミレーヌの父は、ミレーヌの思いを察し、ビタリス達に昼食をご馳走することに。
ここも手つきが優しい。おにいさまへ…・マッドハウス版XMEN(脚本)と比較。
ビタリス達は、ミレーヌ一家と共に昼食をとる。飯テロは実に多い。カイジ2期・グラゼニ(脚本)と比較。
昼食のお礼に、ビタリス達は芸を披露する。ここも描写が子供らしく可愛い。
ガイキング(演出)、あんみつ姫(脚本)と比較。
ミレーヌ一家に見送られ、ビタリス達は旅立つ。ここも、子供の子供らしい描写のクオリティが高い。まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)、ガイキング(演出)と比較。
ビタリスはレミに、ミレーヌ一家のように人に親切にするよう説く。太陽が映るが、意味深な太陽の「間」は多い。
RAINBOW-二舎六房の七人-・F-エフ-(脚本)と比較。
そして寒さが厳しくなり、烏が飛ぶ。ここも、状況と連動する鳥描写。陽だまりの樹(脚本)、宝島(演出)、カイジ(脚本)と比較。
道が険しくなり、ビタリスはレミが岩から降りるのを手伝う。
ここも、手と手の優しい描写。柔道讃歌(コンテ)、MASTERキートン(脚本)と比較。
ビタリスはその後、咳をして倒れ込んでしまい、レミは心配する。
看護や介抱をする者の優しい描写は、色々な作品で印象深い。宝島(演出)、カイジ2期・陽だまりの樹(脚本)と比較。
なんとか町に辿り着いたビタリス達は、宿で暖を取る。宿屋は人当たりがよい。ここも、味のあるモブ。F-エフ-・はだしのゲン2(脚本)と比較。
次に、火の描写がある。ここも、状況と連動している火の「間」。
おにいさまへ…・F-エフ-(脚本)、ベルサイユのばら(コンテ)と比較。
宿屋が必死に制止するも、ビタリス達は更に北の町・トロワに向け旅立つ。宿屋は、雪が降るという自分の予感が外れるよう祈る。
おにいさまへ…・めぞん一刻(脚本)ほか、モブの優しさは色々な作品で目立つ。
宿屋の祈りも虚しく、ビタリス達の行く手を雪が阻むのだった。
雪の恐ろしさは、ハローキティのおやゆびひめ・MASTERキートン(脚本)などでも強調されている。
- まとめ
このあとレミ達を襲う悲劇・惨劇を思うと、今回の、レミの子供らしさや、ミレーヌ一家の温かさが非常に引き立つ。
温かいモブや脇役、無邪気な子供の描写が上手い高屋敷氏の本領発揮回。
優しい手つきなど、心温まる芝居づけも相変わらず上手い。本作は演出だが、脚本でも同じ特徴が見られるのは、いつもながら不思議かつ面白い。
状況と連動する物、鳥、太陽、雨、火などの描写も興味深い。これも、脚本でも見られる特徴。演出経験の豊富さが、台詞の羅列に頼らない脚本を実現させている。
また、今回は高屋敷氏得意の飯テロも出た。高屋敷氏の担当作の食事シーンが何故美味しそうかといえば、状況設定や描写の見事さが効いているのだろう。その熱意が作画スタッフにも伝わるのではないだろうか。
勿論、高屋敷氏自身が、食べる事が好きなのもあると思うが、「食と生」は同氏のライフワーク。あらゆる作品でそれは強く主張され、今回も前面に出ている。
あと、今回ビタリスが言う、人に親切にされたら、自分も更なる他の人に親切にせよ、それは巡り巡って自分に返ってくるという教えは、不思議とカイジ・カイジ2期(高屋敷氏シリーズ構成・脚本)にも繋がっていく。
本作では高屋敷氏は演出担当で、話の大筋を変えることはできないが、その回の雰囲気や方向性を決めることはできる。その「方向性」は、後の同氏の脚本作にも活かされているから、作品と作品が重なるのだと考えられる。
そもそも高屋敷氏は、何を訴え、何を表現したいかがハッキリしている作家である。その「思い」の強さは、同氏がどんな役職であれ完成映像に出ており、作品を追っていて興味が尽きない。
繰り返しになるが、レミ達は、次回から非常に過酷な運命に翻弄される。「話をいじれない」立場なりに、せめてもの癒しとして、高屋敷氏は今回の朗らかさ、温かさを演出したのかもしれない。
後に「話をいじれる」脚本にまわった際、高屋敷氏は、過去作のキャラ達の救済とも取れるような展開を書くことがある。そこからも、同氏が、自分の担当作を忘れないことが窺える。
高屋敷氏の仕事量は膨大で、それを「忘れない」ようにするのは大変だと思うが、目の前の仕事に今までの経験をフル活用する同氏の姿勢は、やはり尊敬に値する。