家なき子47話演出:粋な暴走
アニメ『家なき子』はエクトール・アンリ・マロ作の児童文学作品をアニメ化した作品。過酷な運命のもと旅をする少年・レミの成長を描く。
総監督は出崎統氏。
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本記事を含めた、当ブログの家なき子に関する記事一覧:
https://makimogpfb2.hatenablog.com/archive/category/%23%E5%AE%B6%E3%81%AA%E3%81%8D%E5%AD%90
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- 今回の話:
サブタイトル:「決死のダイビング」
脚本:杉江慧子氏、コンテ:出崎統監督、演出:高屋敷英夫氏。
ドリスコル(レミを狙う泥棒)の仲間と誤解され、逮捕されたレミは、列車で少年刑務所に護送される。
マチヤ(レミの親友。風来坊)らは、レミ救出に動く。
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ドリスコル(レミを狙う泥棒)の仲間と誤解され逮捕されたレミに、マチヤ(レミの親友。風来坊)は、ジョリクール(芸をする猿。二代目)を使って手紙を届ける。
ギミックを使う凝った作戦は、ルパン三世2nd(演出/コンテ)、忍者マン一平(監督/コンテ/脚本)ほか数多い。
手紙を受け取るため、立て掛けたベッドを踏み台に使ったレミは、バランスを崩す。
コミカルなアクションは、宝島(演出)でも目立つ。
手紙は、列車で少年刑務所にレミが護送される間に、必ずレミを助けると書かれていた。
手紙を渡せたマチヤは、仲間達と手を叩いて喜ぶ。手での感情伝達は頻出。グラゼニ・ストロベリーパニック(脚本)と比較。
作戦決行日。列車には確かに、狸寝入りするマチヤとボブ(マチヤの友人で、大道芸人)がいた。
寝る姿に愛嬌がある描写は、まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)、F-エフ-(脚本)ほか多い。
一方、ボブの友人であるマックスとピーター、そしてジョリクールとカピ(芸をする犬。賢い)は、崖の上から、列車が減速するカーブ地点を見下ろす。
(西部劇を思わせる)似たような構図が、空手バカ一代・宝島(演出)にある。どれもコンテは出崎統監督。
マチヤとボブは、レミとエイムズ警部(ドリスコルを追っていた警部)と、その部下が入っている客室をノックし、ニヤリと笑い合う。
おにいさまへ…・アンパンマン(脚本)ほか、笑い合う場面が微笑ましい描写は多々ある。
マチヤは、自由席が満員だから座らせてほしいと、エイムズにかけあう。
新ど根性ガエル(脚本)、宝島(演出)ほか、お調子者、もしくは、お調子者の演技を表現するのが、高屋敷氏は上手い。
結果的にエイムズは、マチヤ達の荷物は客室に置いてもいいと折れる。
客室を出たマチヤとボブは笑い合う。
ここも笑い合う姿が微笑ましい。ガンバの冒険・じゃりン子チエ(脚本)など、高屋敷氏は「笑顔」を重視する。
その後、荷物から物を取り出したいと言って再び客室に入ってきたマチヤは、レミの罪状を根掘り葉掘り聞く。
ここも、お調子者的な軽妙な演技づけが上手い。宝島(演出)、まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)と比較。
マチヤは、新鮮な空気を入れようと提案し、客室の窓を開ける。これも作戦のうち。
作戦のための、キャラの用意周到ぶりは、ルパン三世2nd(演出/コンテ)やカイジ2期(脚本)にも見られる。
マチヤとボブは、作戦成功を祈り、握手する。そしてボブは、列車の上に登る。
ここも、手と手の感情伝達。ルパン三世2nd・MASTERキートン(脚本)と比較。
そして客室に入ったマチヤは、トランクに入れていたネズミを解き放ち、エイムズを動転させる。
割と散々な目に遭う警察官といえば、やはりルパン三世2nd(演出/コンテ)の銭形と重なってくる。
エイムズがネズミに狼狽している隙に、レミはマチヤの指示に従って窓から脱出し、列車の上に登っていたボブに引っ張り上げられる。
手と手を使った命がけの場面は、あんみつ姫・忍者戦士飛影(脚本)ほか、色々な作品に見られる。
ボブはナイフでレミの拘束を解いて、これからが大事だと、レミの手を取る。
ここも、手から手への感情伝達。F-エフ-(脚本)、ど根性ガエル(演出)と比較。
エイムズは、列車の上までレミ達を追ってくる。
列車でのアクションは、ルパン三世2nd(演出/コンテ)でも炸裂している。
列車がカーブにさしかかって減速するタイミングで、レミ達は列車から飛び降り、エイムズは悔しがる。
ここも雰囲気がルパン三世2nd(脚本)の、ルパンと銭形の追いかけっこを彷彿とさせる。
マチヤとボブは、藁の山に突っ込んだレミを見て笑い出す。
ここも笑顔がはじける。まんが世界昔ばなし・元祖天才バカボン(演出/コンテ)と比較。
レミは、馬車で迎えに来たマックス、ピーター、カピ、ジョリクールを見て喜ぶ。
仲間愛は、ど根性ガエル(演出)や元祖天才バカボン(演出/コンテ)など、様々な作品で前面に出される。
馬車で、ミリガン夫人(レミと以前交流した富豪で、レミの実母)がフランスにいる事を話したレミは、港町のリトルハンプトンに向かうことに。
マチヤは、手製のサンドイッチをレミに差し出す。飯テロは実に多い。宝島(演出)、MASTERキートン(脚本)と比較。
レミは、ありがたくサンドイッチを食べる。
感情を込めて食べる場面もまた、数多い。おにいさまへ…・グラゼニ(脚本)と比較。
マチヤ達は、陽気に歌を歌う。
歌を歌う場面は、元祖天才バカボン(演出/コンテ)や、はだしのゲン2(脚本)ほか、しばしば見られる。
馬車は、軽快に進む。似たような絵面が、ベルサイユのばら(コンテ)、まんが世界昔ばなし・ルパン三世2nd(演出/コンテ)などに見られ、興味深い。
レミは、仲間に感謝しつつ、サンドイッチを味わう。
心のこもった食べ物を食べる場面も多い。MASTERキートン(脚本)、柔道讃歌(コンテ)と比較。
一方、フランスにいるミリガン夫人らは、レミが育ったシャバノン村へ向かう。
高低差を使った、似た構図がベルサイユのばら(コンテ)などにも見られる。
アーサー(ミリガン夫人の息子。足が不自由)は、レミが実の兄である可能性があるとして、陽気に歌って喜ぶ。
ここも、楽しく歌う場面。元祖天才バカボン(演出/コンテ)、じゃりン子チエ(脚本)と比較。
列車を降りたエイムズは、レミ達を検問の網にかけるべく動く。
ここもやはり、ルパン三世2nd(脚本)と雰囲気が重なってくる。
検問すべく、レミ達の馬車に乗り込んだ警官は、女装したマチヤを見て引く。
味のあるモブは、太陽の使者鉄人28号・コボちゃん(脚本)ほか、数々の作品で目立つ。
次に警官は、女装したレミを見て、(マチヤに比べて)美人だと感心し、マチヤは密かに舌を出す。
変装する展開は、元祖天才バカボン(演出/コンテ)やルパン三世2nd(脚本)ほか結構ある。
検問をクリアしたレミ達だったが、ジョリクールが動いたためにマチヤのカツラが外れ、正体がばれる。
ここも雰囲気が、ルパン三世2nd(脚本)の、ルパンと警官隊のアクションに似ている。
レミ達は、馬車から荷物を投げ、警官隊の動きを翻弄する。
追われる際に頭を使うのは、ルパン三世3期(脚本)、まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)ほか、インパクトのあるものが多い。
ボブはマックスと、レミはピーターと握手して別れ、馬車を降りて山に入る。
ここも頻出の、手と手での感情表現。忍者戦士飛影・F-エフ-(脚本)と比較。
山に入ったレミ、マチヤ、ボブ、カピ、ジョリクールは必死に逃げる。
途中、滝の描写があるが、出崎統監督も、高屋敷氏も滝を好む。宝島(演出)、アンパンマン(脚本)と比較。
崖に追い詰められたレミ達は、下の川に飛び込むことを決意する。
崖の似たような絵面が、宝島(演出)や柔道讃歌(コンテ)にも見られる。
レミは、自分の手と、泳げないマチヤの手をロープで繋ぎ、ボブ、カピ、ジョリクールと共に、川へ飛び込むのだった。
手と手で強い繋がりを表す描写は、ワンナウツ・ルパン三世3期(脚本)なども印象的。
- まとめ
割と、出崎統監督や高屋敷氏はじめ、スタッフが暴走気味に、それぞれの好みを爆発させている回。
西部劇の列車強盗ものを彷彿とさせており、西部劇好きの出崎統監督の趣味が窺える。
カーブでの減速時に飛び降りるネタは、忍者戦士飛影の高屋敷氏脚本回に出るほか、列車を使ったアクションは、ルパン三世2nd147話(高屋敷氏演出/コンテ)や、1980年版鉄腕アトム31話(同氏脚本)にも適用されており、比較すると面白い。
ルパン三世2nd147話(高屋敷氏演出/コンテ)について、以前書いたブログ記事:
https://makimogpfb2.hatenablog.com/entry/2018/03/11/140355
1980年版鉄腕アトム31話(高屋敷氏脚本)について、以前書いたブログ記事:
https://makimogpfb2.hatenablog.com/entry/2017/11/20/131616
このことから鑑みるに、高屋敷氏は結構、列車アクションが好きなのではないだろうか。とにかく今回は、スタッフの好みを見ていくと興味深い。
それにしても今回は、雰囲気がルパン三世と大いに重なる。ルパン三世2ndは1977〜1980年放映で、本作家なき子は1977〜1978年であるため、年代も近い。
ルパン三世シリーズでは、出崎統監督が1stシリーズとテレビスペシャルに、高屋敷氏と竹内啓雄氏(もう一人の家なき子演出ローテ)が2ndに、高屋敷氏が3期に参加しているため、スタッフの繋がりも濃い。
それもあり、今回の一場面を切り取って、ルパン三世の一場面と言い張っても騙せるのではないかと思えるくらい、今回はルパン三世テイストが強い。
また、「かわいそうな子供の話」という、家なき子の一般的イメージを粉砕するに余りあるパワーが今回にはあり、娯楽活劇に徹している。
これもまた、「アニメにする」ということの醍醐味。出崎統監督も、高屋敷氏も、「アニメにする意義」を常に意識している節があり、その思いがフィルムに反映される傾向がある。
あと、活劇に徹してはいるものの、手から手へ感情を伝えるという、高屋敷氏が色々な作品で見せる描写を、クライマックスで非常に印象深く見せている。これもまた、「思い」の強さだと思う。
今回と、次の48話(竹内啓雄氏演出)は、実に「スタッフの暴走」が見られる回。
しかしながら、単なる「好き勝手」ではなく、受け手が「アニメ」というものを楽しく見られるように、工夫が満載された作りであることに、感慨を受けるのである。