じゃりン子チエ55話脚本:組み合わせの妙
アニメ『じゃりン子チエ』は、はるき悦巳氏の漫画をアニメ化した作品。小学生ながらホルモン屋を切り盛りするチエを中心に、大阪下町の人間模様を描く。監督は高畑勲氏。
───
本記事を含めた、じゃりン子チエに関する当ブログの記事一覧:
───
- 今回の話:
演出:御厨恭輔氏、脚本:高屋敷英夫氏。
変装した、おバァはん(チエの祖母)に勝ってしまったテツ(チエの父)は、しばらく身を隠す。
───
変装して襲撃してきた、おバァはん(チエの祖母)に勝ってしまったテツ(チエの父)は、家に帰って来ず、チエは一応周囲を見渡す(アニメオリジナル)。歯磨き場面は、1980年版鉄腕アトム・忍者戦士飛影・グラゼニ(脚本)にもあり(全てアニメオリジナル)、高屋敷氏の癖が感じられる。
ジュニア(お好み焼き屋・百合根の飼い猫)は、小鉄(チエの飼い猫)から、おバァはんがテツに負けた事を聞き驚く。二匹のやりとりが可愛い。マイメロディの赤ずきん(脚本)、まんが世界昔ばなし(演出/コンテ)ほか、動物の可愛さは様々な作品で目立つ。
テツに負けてから、おバァはんはすっかり自信をなくし、拳で椅子に穴をあける事もできなくなる(普段はできる)。ベルサイユのばら(コンテ)、マイメロディの赤ずきん(脚本)ほか、味のあるおばあさんは多い。
チエは、これからテツが、自分の強さに目覚めて手がつけられなくなるのではと危惧するが、ヨシ江(チエの母)は、それはないと否定。おにいさまへ…・めぞん一刻(脚本)などでも、達観した大人の女性の描写は印象深い。
チエは、拳骨(テツの恩師)の家に行き、今の状況を話す。拳骨は、おバァはんが変装したのはまずかったと分析する。マイメロディの赤ずきん(脚本)、宝島(演出)ほか、コミュニティのご意見番的キャラは強調される。
拳骨は、おバァはんに会うことに。そんな中、拳骨とチエは渉(拳骨の息子で、チエのクラスの担任)に会う。渉に寄り道がバレないようにしたいチエだったが、拳骨はそれをからかう。宝島(演出)、太陽の使者鉄人28号(脚本)ほか、年の差がある可愛いコンビは多い。
一方テツは、拳骨の家に潜み、渉に厄介になっていた。シリーズを通して、テツと渉の組み合わせは微笑ましい。性格や立場が全く違う人間関係は、新ど根性ガエル・ワンナウツ(脚本)などでもクローズアップされる。
おバァはんを訪ねた拳骨は、テツは神経戦に弱いのに、先の対決では、変装で純粋なパワー勝負になったのがまずかったと語る。また、拳骨は渉がテツを匿っているのではと勘を働かせる。ここは、会話主体なのに飽きさせない工夫が上手い。
その頃テツは、渉の買ってくる菓子パンの種類が、いつも同じなことに文句をたれていた。
ここも可愛い。グラゼニ・カイジ2期(脚本)など、やはり色々とタイプが全く違う者同士の関係を描写するのが、高屋敷氏は上手い。
そこにチエから電話がかかってくる。拳骨はチエの家で夕飯を食べることにしたから、遅くなるという連絡だった。これを受けた渉は、出前で天丼を取ることに。テツは大喜び。ワンナウツ(脚本)、宝島(演出)ほか、喜ぶ姿が可愛い場面は多い。
しかし、チエの電話は拳骨の作戦の一部。店の人の代わりに、拳骨・おバァはん・チエで天丼を届け、テツを驚かそうという算段であった。緻密な作戦を立てるキャラは、ワンナウツ・カイジ2期(脚本)などでもインパクトがある。
拳骨の作戦は大当たりで、おバァはんに捕まったテツはコテンパンにされる。プロレス技が原作より具体的。プロレスといえば、高屋敷氏は、空手バカ一代のプロレス回のコンテ/演出を担当しており、比べると面白い。
拳骨とチエは、おバァはんとテツのバトルを見ながら天丼を食べる。飯テロは頻出。アンパンマン・F-エフ-・カイジ2期(脚本)と比較。
小鉄はジュニアに、勝負はパワーではなく“人間の差”で決まるのだと語るのだった。夕陽が映るのはアニメオリジナル。全てを見守るような夕陽は頻出。RAINBOW-二舎六房の七人-・F-エフ-(脚本)と比較。
- まとめ
色々なキャラの、多彩なやりとりが可愛い。終盤以外は会話主体なのに、相変わらず飽きさせない構成は流石。この技術については、グラゼニ17話(高屋敷氏脚本)で集大成が見られる。
グラゼニ17話について、以前書いたブログはこちら:
https://makimogpfb2.hatenablog.com/entry/2019/04/10/095344
それにしても、どのキャラも可愛い。本当に不思議なことだが、演出にしろ脚本にしろ、高屋敷氏が関わると、キャラが愛らしくなる現象が見られる。それだけ同氏が“可愛さ”のツボを心得ているからだろうか?
また、強くて偉大な“母”の描写は、色々な作品で強調されている。高屋敷氏なりの、“母”へのリスペクトが感じられ、興味深い。
“母”の描写だけでなく、血のつながりが無い“他人”同士の関係も、高屋敷氏は、可愛く、濃厚に描写する。渉とテツはじめ、タイプが全然違う人間を組み合わせるのが本当に秀逸。
高屋敷氏は、孤独の恐ろしさを、あらゆる作品で訴えているが、色々な違いを乗り越え繋がっていく人間関係を前面に出すことも、「孤独対策」の一環と捉えているのかもしれない。
とにかく高屋敷氏が関わる作品では、「皆が一人のために、一人が皆のために」の精神が目立つ。カイジ・カイジ2期(シリーズ構成・脚本)はその最たるものだと思う。
こういった「人の繋がりの温かさ」の表現の上手さは、高屋敷氏の魅力の一つ。数々の作品で見られるので、同氏が強く主張したいことの一つかもしれない。そう思うと、表現者としての同氏の「強さ」も感じられ、やはり興味は尽きない。